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瀧廉太郎「憾」 [音楽]

ようやく梅雨が明けました。
平年よりも十日ほど遅れての梅雨明けとのことです。
久しぶりに30度を超す暑さとなり、日課にしているお昼休みのウォーキングでも、少し熱中症を気遣ってしまった始末。
もちろんそれほど極端な暑さにはなりませんでしたが。

相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた痛ましい連続殺人事件。
19人もの方が亡くなり、24人の方が重軽傷を負いました。
犯行に及んだ容疑者の「動機」も含め、連日、テレビや新聞やネットなどを賑わしているので、事件そのものについて詳述することは控えます。
この事件の契機となった、「障害者は周りの人を不幸にする。いない方がいい」という容疑者の思想。
大麻や措置入院が必要なレベルの精神疾患などによるものなのかどうか然とはわかりませんが、自身「ヒトラーが降りてきた」と話しているように、その優生主義的な方向性がこの凶行を呼び起こしたのだとすれば、極めて恐ろしいことだと思いました。
こういう考え方をする人、有名どころでは曽野綾子氏や渡部昇一氏といった名前がただちに思い起こされますが、今回の植松容疑者の犯行を非難する人々の中にも近い考え方を持っている人がいるのではないか。
ネットなどを覗くと、「社会に役に立たない(役に立たなくなった)人間は、社会に迷惑をかけないように身を引くべきだ」「社会の役に立たない人に税金をつぎ込むのはおかしい」的な考え方がそこかしこにアップされていて、それなりに(閉じられた世界ではあれ)支持を受けているように見えるのです。

人間は社会的な生き物である、ということは一つの理です。
この理の本筋は、人間が生きていくためには「社会」という枠組みや構造が必要である、ということだと私は考えているのですが、社会を存続せしめるために人間は生存を許されている、と考える人もいる。つまり、人間の価値を「社会の役に立つか立たないか」で判断する、ということなのでしょう。
そういう人たちから見れば、障碍者などの社会的弱者は、社会に過剰な負担をかけないようにひっそりと暮らしなるべく早く社会の一線から身を引け、ということにつながってしまうのではないか。
植松容疑者は、特に重篤な障碍のある方から順に襲っていったといいますし、衆議院議長宛の手紙の内容などから鑑みて、この種の考え方を先鋭化させていったものと思われます。

こうした論争における非常に興味深い記述が「ヤフー知恵袋」に掲載されていて、ネットでも話題になっていますので、ご紹介します。

弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に

この「ベストアンサー」には頷かされました。

人間は、いわゆる食物連鎖の頂点にいる「最強者」と考えられてきましたが、生身の生物としては、恐らく生態系の中でもかなりの「弱者」に位置するのでしょう。
単独行の多い私は、常日頃そのことを痛感しています。
我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです

この真理について、私たちはきちんと認識しなければならないのではないかと改めて思いました。

さて、そんなことをつらつら考えていたら、なぜだかわかりませんが、瀧廉太郎の絶筆であるピアノ曲「憾(うらみ)」を唐突に思い出してしまいました。
溢れんばかりの才能を有しドイツへの留学も果たしながら、彼の地で結核に罹患し23歳という若さで早逝してしまった瀧廉太郎。
この曲を聴いていると、この題名でもある「憾(うらみ)」つまり「心残り」「無念」という瀧の想いが胸に突き刺さるような気がします。
youtubeにアップされていましたので、宜しければお聴きください。



私がこの曲のことを知ったのは、恥ずかしながら映画「わが愛の譜 滝廉太郎物語」においてでした。
1903年という20世紀初頭に、西洋音楽という括りからは完全に行進国であった日本において、このような完成度の高いピアノ曲が生まれていたこと。
そのことに深く感動したことを思い返しています。

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夏炉冬扇

嫌な事件でした。
by 夏炉冬扇 (2016-07-30 18:50) 

のら人

瀧さんと言えば、春のうららの・・・しか知りません。お恥ずかしい限りで。^^;
確かにベストアンサー頷きました。
ファイナルアンサー?の価値ありかも。 ^^
発展途上国では、少数ながらも必ず!一定確率で生まれてくる先天的障碍者のケアはある程度の自治(村、町レベル)全員でケアしているようです。
昔の日本はどうだったか?詳細は解りませんが、時代劇等で出てくるのは、余りに悲しい物語ばかり。脳に障害があるが、美人娘として生まれてきたので親に!女衒に売られて云々・・・。結果として、障害あるけど美人で救われたね!みたいな。現代の人からすれば怒りが全身を突き抜けるかも知れませんが、当の親からすれば、親の身になって考えれば、あまりの精神的苦痛に悶絶するかも知れません。お腹の中の赤ちゃんの状態でダウン症の確率が分かる現代では、その堕胎についても議論が交わされてます。少なくとも、今の日本政府行政には、先天的障害者に対して「優しさ」を感じませんね。 ^^;
by のら人 (2016-07-31 16:12) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんにちは。
こういう事件が起こる背景が気がかりです。
by 伊閣蝶 (2016-07-31 16:51) 

伊閣蝶

のら人さん、こんにちは。
瀧廉太郎の同様以外の曲を知る機会はかなり限られています。
私自身、この曲やソナチネを知ったのはかなりあとのことです。
今の政府が、こうした障碍者にとって優しくないというのは、私も痛感しますが、やはり効率性を優先するという考え方に立つからなのかもしれません。
昔の日本では、例えば福助とか恵比寿様のように、障碍のある人を、むしろそれ故に大切にした、という事例もあるようです。
異なった個性を受け入れることが、社会にとってより大きな利益になるということを感じていたのかもしれません。
世の中が、例えば金のような経済的な優位性で計られるようになるに連れて、直接的な生産性を持たない個体を疎んずる思想が強まってきたともいえるのでしょう。
社会を円滑に運営するためにはコストがかかります。
それによって住みやすい社会をつくることができるのであれば、それこそ意味のあるコストだと思います。そして、これは啻に効率性のみで計れるものではないと、私は考えます。

by 伊閣蝶 (2016-07-31 16:59) 

tochimochi

滝廉太郎と言えば荒城の月くらいしか知りませんでした ^^;
この容疑者の考えは姥捨て山にも通じるものでしょうか。
であればある閉じられた世界ではそれなりの支持もあるものと思います。
しかし多様性を許容するようになった現代では到底受け入れられるものではありません。
逮捕されても後悔、謝罪の言葉はないようですが、一種の精神病質なのかと考えてしまいます。

by tochimochi (2016-07-31 21:37) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
瀧廉太郎が、このようなピアノ曲を残していたことを、できれば知っていただきたいと思ってアップしました。
これだけの才能を有する作曲家が、当時の日本にいたことが驚きです。
相模原の容疑者、仰る通り、一種の精神病質なのでしょうが、彼をそこに追いつめた環境にもまた、ある意味での問題があるのかもしれません。
姥捨山の伝説。少なくとも捨てられる側の老人は納得していた可能性がありますので、酸鼻極まりないこととは云い条、まだ多少理解できる部分が残されているのかもしれませんが、今回のように、襲われた側の人たちの想いが全く顧みられないことが、大変悲しく思いました。

by 伊閣蝶 (2016-07-31 22:45) 

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