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雨月物語 [映画]

しばらく続いていた爽やかな秋晴れも、どうやらこのあたりで一服となりそうな気配です。
ふと気づくと、街路の公孫樹の葉がずいぶん黄色くなっていました。
ツワブキの花も今が盛りという感じです。
tuwabuki.jpg

読書の秋にちなんでいるわけでもないのですが、先日、ふと本棚にある「雨月物語」を手に取りました。
「雨月物語」は、いうまでもなく上田秋成の短編怪異譚集(「蛇性の婬」のみは中編)です。
上田秋成は国学を突き詰めた学者でもあり、一代の美文家でもありました。
久しぶりに通読して、例えば「白峯」などにおける壮大で絢爛たる表現に打ちのめされたり、「夢応の鯉魚」の諧謔にうならせたところです。
二十歳代前半の頃は「吉備津の釜」の生々しくも恐るべき展開に息を飲んだものですが、還暦も間近になった現在、むしろ「菊花の約(ちぎり)」の惻惻たる文章に心を奪われるようになりました。
従弟の元に幽閉され、重陽の佳節(9月9日)に帰り来るとの約を果たすすべなき赤穴宗右衛門は、「いにしへの人のいふ 人一日に千里をゆくことあたはず 魂よく一日に千里をもゆくと 此ことわりを思ひ出で みづから刃に伏し 今夜陰風に乗りて遥々来り菊花の約に赴く」のですが、その、宗右衛門が幽界の者となって丈部左門のもとを訪れる下りを次のように表しています。
もしやと戸の外に出て見れば 銀河影きえぎえに 氷輪我のみを照して淋しきに 軒守る犬の吠ゆる声すみわたり 浦浪の音ぞここもとにたちくるやうなり 月の光も山の際に陰くなれば 今はとて戸を閉てて入らんとするに ただ看る おぼろなる黒影の中に人ありて 風のまにまに来るをあやしと見れば 赤穴宗右衛門なり

難しい表現を一つも用いずに、実に淡々と綴られていますが、何という深い文章かと、改めてため息をついてしまいました。いうまでもなく、この肝のような文章表現を必然とさせる物語が確りと底流を支えているからこそ成り立つものに外なりません。

雨月物語は、江戸時代後期(18世紀後期)に書かれたものですからもちろん文語調ですが、非常に読みやすい文章(樋口一葉の小説や森鴎外の「舞姫」を読むことができれば大丈夫)ですし、その呼吸を感得するためにもやはり原文を読むのが一番良いと思います。
因みに、ネットを検索したら、原文を掲載しているサイトがありました。

日本古典文学摘集(雨月物語)

さて、雨月物語といえば、1953年に製作された溝口健二監督の映画がとりわけ有名なのではないでしょうか。


映画「雨月物語」は、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」を題材として、依田義賢が溝口監督との壮絶なディスカッションの上で脚色した作品です。
上田秋成の雨月物語は、中国の白話小説から題材を得て日本的に翻案されたものが中心であり、先の二つもその例から逸するものではありません。
依田さんは、この二つを融合することにより、通り一遍の怪異譚には終わらない日本的情感に溢れた美しくも切ない物語を作り上げました。
物語の構成は「浅茅が宿」を中心に置き、戦乱に巻き込まれて妻の元に帰れなくなった夫の挿話に「蛇性の婬」を入れるというもの。
唯一の中編小説である「蛇性の婬」は、見目麗しい美女「真女児」の姿を借りた大蛇が、見初めた大宅の豊雄を執拗に追い回し、折伏しようとした法師を取り殺すなど、それこそ大立ち回りを演ずる物語であり、何よりもその「真女児」は次のごとき淫奔極まりない妖魔とされています。
此邪神は年経たる蛇なり かれが性は淫なる物にて 牛と孳みては麟を生み 馬とあひては龍馬を生むといへり 此魅はせつるも はたそこの秀麗きに奸けたると見えたり

牛とつるんで麒麟を生み、馬とつるんで龍馬を生む、というのですから、正に国津罪「牛婚(うしたはけ)」「馬婚(うまたはけ)」の権化みたいな邪神ですね。

しかし、映画「雨月物語」に登場する若狭は、織田信長によって滅ぼされた朽木家で、愛も恋も知らずに虚しくなった姫君という設定になっています。
取り殺されるという結末からいえば、真女児も若狭も同じことではありましょうが、肉欲本位に執着する前者と生あるうちには叶わなかった女としての愛の喜びを得たいと願う後者とでは格段の差があるようにも思います。

そして、「浅茅が宿」の宮木の設定。
原本では、夫愛しさのあまりに幽霊の身となってもその姿を現そうとする女心の切なさが主体となっておりますが、映画では、帰ってきた夫の元に一人息子を誘い、安らかに寝付いた夫の身の回りの世話までするという、妻というよりは母のような存在として描かれています。
宮川一夫による驚嘆すべきラストシーンのカメラワークは正にその宮木の視点を表すものであり、幽霊というよりもむしろ二人を見守る慈母神のような存在に昇華していました。

派生作品が原作を超える、ということは往々にしてあることではありますが、この映画「雨月物語」は、正にその典型的な例ではないかと思います。
中国の白話小説に端を発した怪異譚から、日本固有ともいうべき祖霊信仰の姿にまで持って行った溝口健二と依田義賢両氏の慧眼と才能には驚きと感動を禁じえません。

それでも、世の中にはこうした翻案に異を唱える人も少なからず存在します。
そのことについて、依田さんは自著の「溝口健二の人と芸術」の中で、次のように喝破しています。
この映画が出てからある学者の方から映画の『雨月物語』は古典をけがすものであると、きついお叱りをうけましたが、秋成が中国の原典から、まったく別の彼のものをたてたように、わたしたちが、秋成から彼のイメージをもとにして、別のものを作ったとしても秋成の作は、少しも汚したことにはならないと思います。次々とたくさんなイメージを持たせるものが凝集していることで、雨月物語は、古典として絶品だといえるのではないではないでしょうか。原典と秋成との間のディスタンスこそが、彼の偉大さを意味するわけで、この場合原典は触媒に過ぎないでしょう。同様に、わたしたちがアダプトすることは原作におもねる事ではないと思います。適応した時には既に別なものが生まれて作られてゆくのです。
シナリオライターはいつもそんな立場に立たされますが、現代にも強い共感と豊富なイメージを与えてこそ、古典といわれる所以であり、これが歴史の生命だとさえ思っています。

文化や芸術というものが、過去から未来に向かって滔々と流れる大河の上に創造されていく、という理が胸に浸み込むような言葉だと思いました。

さて、そんな名作映画ではありますが、モーパッサンの「勲章」から着想して挿入されたという、藤兵衛と阿浜をめぐるシーンには違和感を禁じえません。
特にラストで、阿浜に許しを乞うた藤兵衛が鎧・冑・具足などを川に投げ捨てる下りは、それまでの物語の展開からすれば信じられないほど大甘なのではないか。
貧しい生活から抜け出して立身出世を果たすため、止める阿浜を振り切って命がけの行動を貫き、結果として侍大将まで上り詰めた藤兵衛が、遊女に身をやつしていた阿浜と「偶然に」出会ったことをきっかけに、その全てを擲ってしまう。
これはちょっとあり得ない展開なのではないでしょうか。
溝口監督と依田さんの当初の構想では、遊女宿で藤兵衛に出会った阿浜は、その身を恥じて井戸に身投げをして果てる、というものであったそうです。
これは、ラストは明るい展開にしろ、という大映本社からの強い要請を受けたもので、依田さんは「シナリオのきびしい構成からすると、このラストは蛇足になるので、見苦しくつけ足された形になって、わたしはたまらなくいやでした(前掲書)」と述懐しておられます。

いろいろと書きましたが、この映画は、美術・演技・音楽など全般にわたって能の様式を大々的に取り入れた嚆矢のような作品となりました。
特に早坂文雄さんの音楽が、その後の日本映画の音楽演出に残した功績には多大なものがあり、「雨月物語」と「近松物語」の音楽があったからこそ、「切腹」や「怪談」の音楽を書くことができた、と武満徹さんは仰っています。
これは啻に映画音楽のみならず、「ノヴェンバー・ステップス」や「エクリプス」などの記念碑的作品の創造にまでも繋がっていったのではないでしょうか。


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tochimochi

紅葉と思っているうちに立冬となってしまいました。
今週は寒くなりそうですね。
雨月物語は読んでいませんでしたが興味を持たせていただきました。
そのうち読んでみようと思います。

by tochimochi (2015-11-08 08:13) 

夏炉冬扇

ツワブキが咲くと、ああ1年たった、と思います。
by 夏炉冬扇 (2015-11-08 08:15) 

のら人

かなり以前の幽霊映画にも面白そうなのがありますね。^^
原作者と脚本家と監督はそれぞれ立場も見解も違いますから、映画化されたものと原作を比較すると結構違いが出ますね。
by のら人 (2015-11-08 13:23) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
今日は雨模様のお天気で、気温もぐっと低くなってきています。
初冬の雰囲気になりました。
雨月物語、短編ですからとっても読みやすく、内容も非常に面白いので、是非ともご一読下さい。
by 伊閣蝶 (2015-11-08 18:17) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
仰る通りですね。
私も、この時期の花、ツワブキや山茶花の花を見ると、同じように感じます。

by 伊閣蝶 (2015-11-08 18:18) 

伊閣蝶

のら人さん、こんばんは。
近頃のホラー映画と違って、以前の怪談映画は、人の心の奥底の恐怖心を呼び起こすものが多いと思います。
原作の存在する題材を映画化するのは、ある意味、それぞれの読者固有の世界を統一しようとする試みなのでしょうから、その違いを楽しめるかどうかが鍵なのでしょう。
私は楽しみたいクチですが。
by 伊閣蝶 (2015-11-08 18:22) 

サンフランシスコ人

10/22 サンフランシスコ近代美術館で「雨月物語」を上映....

https://www.sfmoma.org/event/ugetsu/
by サンフランシスコ人 (2016-10-08 03:20) 

伊閣蝶

サンフランシスコ人さん、こんばんは。
この映画が、このような形で、米国での上映が行われるとはすばらしいことと存じます。
たくさんの方に観てもらえれば、と思います。
by 伊閣蝶 (2016-10-11 22:26) 

サンフランシスコ人

サンフランシスコの近くのバークレー市では、小津安二郎・映画祭を開催しています....

http://www.bampfa.berkeley.edu/program/contemplative-cinema-ozus-late-films
by サンフランシスコ人 (2016-10-12 01:08) 

伊閣蝶

サンフランシスコ人さん、こんばんは。
米国では黒澤明監督の人気が高いといわれてきて、小津は英国、溝口はフランス、などといわれてきました。
間口が広がってきていて喜ばしいことです。
個人的には成瀬巳喜男監督などの真価が伝わればいいなと思います。
by 伊閣蝶 (2016-10-12 22:03) 

サンフランシスコ人

「成瀬巳喜男監督などの真価が伝わればいい...」

http://bampfa.org/event/when-woman-ascends-stairs-2

五ヶ月前にバークレー市で上映..
by サンフランシスコ人 (2016-10-13 02:19) 

サンフランシスコ人

成瀬巳喜男に関する新聞記事...

http://www.sfgate.com/entertainment/article/Director-Mikio-Naruse-retrospective-takes-2555462.php

十年位前にバークレー市で成瀬巳喜男・映画祭を開催しました.....
by サンフランシスコ人 (2016-10-13 02:28) 

伊閣蝶

サンフランシスコ人さん、こんばんは。
成瀬監督もこのように取り上げられましたか。
感激です。
by 伊閣蝶 (2016-10-13 22:03) 

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