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桜の花と木蓮の花 [音楽]

春の嵐が吹き荒れましたが、今日は風は強めながらも良いお天気になりました。
出勤途上、通りがかりの公園の桜が咲いていたので、携帯電話のカメラで撮影。
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昨日の、あの風雨に耐えて花を咲かせた桜に感激しました。
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今週は各地で花見の宴が催されることと思います。

ちなみ私の職場の庭には木蓮の樹があって、こちらはもう満開です。
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ようやく春の訪れを感ぜられるようになりました。

年度末ということもあり、それなりに多忙な日が続き、このブログの更新もままならない状況です。
この週末も、家事(消費税率改定前の買出しを含む)のほか、持ち帰りの仕事もあって、記事を書く時間も取れませんでした。

そんな中、昨日はあいにくの荒天でしたので、部屋にこもって家事や仕事をしながら音楽を聴いていました。

何ゆえにそのような気分になったのか、然とはわからないのですが、久しぶりにベートーヴェンの交響曲第5番を聴きたくなり、最初はフルトヴェングラー&ベルリン・フィルのCDをかけました。
これを聴き終えたあと、ちょっと興味がわいてきて、カルロス・クライバー&ウィーン・フィル、オットー・クレンペラー&フィルハーモニア管、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルと、次々に同じ曲を聴き続ける仕儀となったのです。

ベートーヴェンの交響曲第5番は、なんといっても冒頭のいわゆる「運命の動機」が強烈な印象を私たちに与えます。
Beethoven-syn5-1.gif
この総譜の5小節目までがそれに当たりますね。二つのフェルマータが大変大きな意味を持っています。
この第4小節目、タイで結ばれた先頭の二分音符ですが、これは、最初の手書きスコアでは無かったのだそうです。つまり、三小節目以降は第一・二小節と同じ音形で最初は構想されたということでしょう。
それをベートーヴェンは後から敢えて第4小節の二分音符を書き加えている。
このことに関して、芥川也寸志さんは、著書の「音楽の基礎」の中で次のように触れています。
ベートーヴェンはあとからこの一小節を書き入れたのであるが、ベートーヴェンの解釈にかけては右に出るものなしといわれた指揮者ワインガルトナーは、これを不可解といい、それに対して、やはりベートーヴェンの権威であった指揮者フルトヴェングラーは、「ワインガルトナーともあろう音楽家が!」と嘆いたあと、「ベートーヴェンが一小節を書き入れたのは、それだけ長くのばさなければならぬと思ったからだ」といっている。この両巨匠の言葉の裏に、フェルマータに対する感じ方の相違があるように見える。

フルトヴェングラーの言葉はあまりにも当たり前すぎるような気がして思わず失笑してしまいました(ワインガルトナーにしてもそんなことは言わずもがなの話と思うことでしょう)が、「フェルマータに対する感じ方の相違」という観点からすれば頷かざるを得ません。
私事ですが、私がこの曲を最初に聴いたのは幼稚園の頃で、父の所持していたSPレコードからでした。
そのレコードはワインガルトナーの指揮によるもので(オケは残念ながら記憶にありません)、そのときのこの冒頭の印象は今でも強烈に記憶に残っています。2小節目のフェルマータから3小節目の八分休符を挟んでFの音が出てくるまでの間に大きな区切りのようなものを感じたのでした。
つまり、G・G・G・E♭とF・F・F・Dは、それぞれ別々の四つの音として認識したのです。
その印象はかなり長い間変わることはなかった(というのも、子供心にこの曲の重さを負担に感じ、あまり積極的に聴かなくなったことが大きな理由)のですが、社会人になってから聴いたジュリーニ&ウィーン・フィルの演奏によって、それは大きく覆されました。
今となっては当たり前のことなのですが、この5小節は緊張感を以て連続する一つの主題であることに改めて気づかされたのです。
3小節目冒頭の八分休符はあくまでも八分休符なのであり、2小節目のフェルマータのあと、直ちにGやFの八分音符と同様の長さと緊張感の中で表現されるべきものであった…。
その後、クレンペラー&フィルハーモニア管による1960年のライブ演奏CDを聴き、いよいよその感を強くしました。クレンペラーの演奏は、非常に印象的で大きなルバートが随所に現れますが、この冒頭の5小節の恐るべき緊張感は筆舌に尽くしがたいものがあります。
その後、カルロス・クライバー&ウィーン・フィルのCDなどを聴くに及んで、幼少の頃から持ち続けたこの曲に対する己の一方的な印象は大きく変貌していったのでした。

フェルマータが、その用いられる場所や場面によってその表すべき意味を変えることは、多少なりとも音楽に親しみ楽譜を読んだり演奏をしたりしている人にとっては自明のことと思われます。
例えば、バッハのコラールなどに用いられるそれは演奏の中における自然な流れの息継ぎを示していますので、この音を伸ばすようなことを普通はしません(カラヤンが指揮したマタイ受難曲ではこのフェルマータを伸ばしているので、私は大変不自然に感じました)。
一方、曲の最後に用いられるフェルマータは、静寂の世界に帰っていくための経過句であることから、演奏者は、演奏会場や聴衆の状況などを感じ取って、それにふさわしい表現を提示しようと試みるわけです。殊にディミヌエンドを伴った最後の音でのフェルマータは、奏でられている音と静寂との間が溶け合って一体化する時間を提供しようと意図されたものともいえるのではないでしょうか(演奏会におけるフライングブラボーや拍手を私が毛嫌いする理由もこの辺りにあります)。

そのように考えてくると、ベートーヴェンが何故に2小節目と5小節目の二分音符にフェルマータを付けているのか、また、敢えて4小節目にタイで結んだ二分音符を後から付け加えたのかも分かるような気がします。
幼いころに聴いたワインガルトナーの演奏では、第3小節冒頭の八分休符にまでフェルマータがついているのではないか、という印象を与えられました。
もちろんそれが悪いわけではありません。八休符にフェルマータがついているのではなく、2小節目のフェルマータの後に区切りを入れているわけで、そうした演奏もまた十分に説得力を持つものだと思うからです。
チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの演奏も、そうした方向における最上のものでしょう。



このように考えてくると、作曲家が、楽譜という極めて伝達性能に劣る記録手法を用いて、如何に己の意図する創造の世界を伝えることが困難であるかを痛感させられます。

以前にも書きましたが、三木稔作曲のレクイエムの第二楽章は、7拍と5拍を中心に書かれています。
音楽の専門教育を受けてこなかった私たちのような素人は、かなり面食らいます。
小・中学校までの音楽の授業に出てくる拍子は、4分の2、4分の3、4分の4、8分の6辺りまでなのですから、これも蓋し当然のことでしょう。
仮に7拍を4拍と3拍に分けて小節線を書き入れれば、その楽譜を見た演奏者は、その小節線を必ず意識します。
指揮者のタクトも、3拍の小節の冒頭を示すように動くわけです。
従って作曲者が7つの音を一つの表現単位として示すためには、7拍で区切る必然性があるのです。そうでなければ、その思いは伝わりません。

「お前の道は 海に近い 真っ黒な岩壁の上を走っている」

という歌詞の持つ緊迫感を表現するためには、こうした記譜とならざるを得ないのです。
同じような例は、ヴェルディのレクイエムのリベラメやラフマニノフの晩祷などにも見られますね。

作品を具体的な形(響き)にするためには、全てをその表現者にゆだねなければならない。作曲者のジレンマはそのあたりにもあるのでしょうが、演奏はしばしば作曲者の意図する以上の世界を描き出すことがあります。
それもまた、作曲という創造行為の大いなる喜びの一つなのでありましょう。
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夏炉冬扇

今日は。
桜もモクレンも輝いてますね。
こちらもいい天気で、畑仕事はかどりました。
音楽はなし。でもウグイス鳴いてます。
by 夏炉冬扇 (2014-04-01 16:50) 

hirochiki

今年は、急に暖かくなったので木蓮や桜が一気に開花したような気がします。
こちらのソメイヨシノは、ほぼ満開です。
毎日車で桜のトンネルを通るのがとても楽しみです。
この週末は夜桜を楽しみたいと思っていたのですが、かなり冷え込むようなのでちょっと迷っているところです。
新年度になり、少しずつでもお仕事が落ち着いていかれるといいですね。
by hirochiki (2014-04-01 19:39) 

tochimochi

此方では今週末くらいが見頃となりそうです。
同じ曲を演奏者を変えながら何回も…聴き方に感心してしまいました。
それにしても幼稚園の頃からクラシックに親しんでいたのですね。
やはり豊かな感性の賜物でしょうね。

by tochimochi (2014-04-01 20:00) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
そちらも良いお天気とのこと。畑仕事がはかどってなによりでした。
音楽は、静寂と静寂の間を埋めるものだと思います。
人にとって一番心安らぐのは、恐らく静寂なのではないでしょうか。その静寂は、もちろん鶯の鳴き声も入ります。
by 伊閣蝶 (2014-04-01 22:48) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
そちらはソメイヨシノが満開ですか。こちらもそろそろ見頃を迎えそうです。
毎日、桜のトンネルを通るのは最高ですね。羨ましい。
ところで、仰る通り、明後日辺りからまた寒さがぶり返しそうな雰囲気ですね。夜桜にはちょっと注意、というところでしょうか。
by 伊閣蝶 (2014-04-01 22:52) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
御地では、今週末が桜の見頃となりますか。春の到来ですね。
クラシックは再現芸術の極致ですから、楽譜の読み方によって様々な表現が可能なのだろうと思います。
それが聴く者の悦び、というところでしょうか。
子供の頃のことを言えば、その頃から音楽を聴かせてくれた父に感謝ですね。
by 伊閣蝶 (2014-04-01 23:03) 

のら人

春の嵐が繰り返しますね。
最近風が強い日が多いです。

>お前の道は 海に近い 真っ黒な岩壁の上を走っている

いい歌詞ですね。 ^^
そして難しいリズム ・・・  城ヶ崎シーサイドを思い出しました。 ^^;
by のら人 (2014-04-02 20:37) 

伊閣蝶

のら人さん、こんばんは。
今日は少し風も弱く穏やかお天気でしたが、夜には雨が落ちてきました。
なかなか安定しないお天気が続きます。
このレクイエムの歌詞は、三木稔先生の奥様である三木那名子さんによる訳・作詞によるものです。
三木那名子先生は、この曲に、争いのない真に平和な世界への願いを込めたと仰っていました。
城ヶ崎シーサイド、懐かしい。
向こうに戻ったら是非とも出かけたいと思います。
by 伊閣蝶 (2014-04-02 21:59) 

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