SSブログ

マリア・ユージナ名演集(16CD) [音楽]

相変わらず暑い日が続きますが、それでも朝晩は多少涼しくなり、このところエアコンなしでも眠ることができるようになっています。
考えてみれば、もう8月も中旬。9月の声を聞けばだいぶ猛暑も治まってくるのでしょうか。

以前から手に入れたかった、マリア・ユージナのCDボックスを入手しました。
maria-yudina.jpg
彼女は、ネイガウス、イグムノフ、ゴリデンヴェイゼル(ゴールデンワイザー)、ソフロニツキー、ヴェデルニコフらとともに「ロシアの巨人ピアニスト」と称せられ、リヒテルやギレリスからも畏敬の念を以て崇められていた存在です。
「鋼鉄のような」という形容が誠にしっくりくる強靭な精神力と高い芸術性を兼ね備えたピアニストです。

CDと収録曲は次のとおり。

Disc1及び2
 J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1~2巻から(1951-1957年録音)
Disc3
 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(1968年録音)
Disc4
 J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ 二短調(1948年録音)
 J.S.バッハ/リスト編:前奏曲とフーガ イ短調(1954年10月20日、モスクワ労働組合ホールでのライヴ録音)
 J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第1番二短調(初CD化)
  USSR全同盟放送交響楽団
  クルト・ザンデルリング(指揮)
  1956年10月8日、モスクワ音楽院大ホールでのライヴ録音
 ハイドン:ピアノ・ソナタ 変ホ長調(1951年録音)
Disc5
 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第6番ニ長調 K.284(初CD化)
 モーツァルト:ピアノ・ソナタ ヘ長調 K.545/494(初CD化)
 (1963年録音:アナログ盤からの復刻リマスター)
Disc6
 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310
 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331『トルコ行進曲付き』
 モーツァルト:ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K.457
 (1951年10月6日、モスクワ音楽院小ホールでのライヴ録音)
Disc7
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番二短調 K.466
  USSR全同盟放送交響楽団
  セルゲイ・ゴルチャコフ(指揮)
  (1948年録音)
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
  USSR全同盟放送交響楽団
  アレクサンドル・ガウク(指揮)
  (1943年録音)
Disc8
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第5番ハ短調(1950年録音)
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番変イ長調(1958年録音)
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調『月光』(1954年4月4日、ライヴ録音)
Disc9
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第16番ト長調(1951年録音)
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番二短調『テンペスト』(1954年4月4、ライヴ録音)
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第22番ヘ長調(1951年録音)
Disc10
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第27番ホ短調(1958年録音)
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番イ長調(1959年録音)
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調『ハンマークラヴィーア』(1951年録音)
Disc11
 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調(1958年録音)
 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調
  レニングラード・フィルハーモニー交響楽団
  クルト・ザンデルリング(指揮)
  (1948年、レニングラードでの録音)
Disc12
 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調『皇帝』
  USSR全同盟放送交響楽団
  ナタン・ラフリン(指揮)
  (1950年12月16日、モスクワ労働組合ホールでのライヴ録音)
 ベートーヴェン:合唱幻想曲 ハ短調 op.80
  USSR全同盟放送交響楽団、他
  セルゲイ・ゴルチャコフ(指揮)
  (1947年、モスクワでの録音)
Disc13
 シューベルト:4つの即興曲集 op.90及び142(1964年、モスクワでの録音)
Disc14
 シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調(1947年8月8日、モスクワでの録音)
 シューマン:幻想小曲集(1951-1952年録音)
Disc15
 ブラームス:ピアノ・ソナタ第3番ヘ短調(初CD化)
 ブラームス:ワルツ集から第15番イ長調(初CD化)
 (1954年10月20日、モスクワ労働組合ホールでのライヴ録音)
 ブラームス:2つの狂詩曲から第2番ト短調(1952年録音)
 ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ(1948年5月24日録音)
Disc16
 ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』
 1967年夏の録音(アナログ盤からのリマスター)
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調(初CD化)
  キエフ・フィルハーモニー
  ナタン・ラフリン(指揮)
  (1954年、キエフ・フィルハーモニー大ホールでのライヴ録音)

良くもこれだけ貴重な音源が残されていたものと、驚嘆しつつ感謝の念に堪えません。
今年の8月11日に発売されましたが、既に「取り寄せ」状態となっています。
事前に予約しておいて本当に良かったと安堵しました。

16枚のCDはどれも聴きごたえ十分ですが、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴くと、これまた何ともユニークな演奏家と驚いてしまいます。
ユニークな「ゴルトベルク変奏曲」の演奏、というと、かのグレン・グールド盤が思い起こされますが、このマリア・ユージナの演奏を聴いてしまうと、なんだかおとなしいもののように感じてしまうから不思議ですね。
私自身、「ゴルトベルク変奏曲」はリヒターによるチェンバロ演奏が一番のお気に入りなのですが、この演奏もなかなかに味のある素晴らしいものだと感じました。

それから、モーツァルトの演奏における自由闊達さ!
これにも新鮮な驚きを禁じ得ません。
ピアノソナタはいうに及ばず、K466とK488というモーツァルトのピアノ協奏曲の定番がこれほど胸にしみいる演奏にはなかなか出会えません。
これまでのお気に入りはハイドシェックやクララ・ハスキルというところでしたが、まるで異なるアプローチながら、新鮮な感動を覚えたところです。

などと、この調子で書き続けていけば本当にきりがないのでやめますが、もう一つ、ベートーヴェンの「月光」の第1楽章で、これほど低音域の音が力強く心に響いたことはありませんでした。

まだ、とても全部を聴き通す時間がなく、上滑りの感想のみで誠に恐縮ですが、夏バテ気味だった私の心に明るく力強い炎をともしてくれたCDでありました。
心が折れそうになったときの最高の特効薬となりそうです。

こうした演奏が可能であったのも、恐らくはマリア・ユージナという女性の生き方そのものが厳しくも輝かしいものであったからにほかなりません。

当時、スターリン体制のソ連にあって、微妙な立ち位置にあったショスタコーヴィチを常に擁護し、コンサートにおいてはパステルナークの詩を堂々と読み上げたという彼女。
彼女は、宗教を否定するソビエトの体制の中にあっても己のロシア正教への信仰を貫き通してもいます。
J.S.バッハの曲の演奏に当たり楽譜に残されている書き込みからも、その信仰心の深さが推し量れるとのことでした。
そうした行動もあって、演奏活動や教職活動を差し止められる事態に何度も陥ったそうですが、一歩間違えば「粛清」の恐れすらあったのにもかかわらず、己の信ずる道をまっしぐらに生きた彼女は、真の意味での英雄であり豪傑でもあったのでしょう。
それゆえにこそ、その演奏は、剛毅・強靭でありつつもしなやかな抒情性と伸びやかな熱情を如何なく発揮しているのです。
そんな彼女を、ショスタコーヴィチら音楽家はいうに及ばず、ゴーリキーやソルジェニーツィンといった作家たちも絶賛したのでした。

当時の彼女の驚嘆すべき逸話の一つに、“親友”ショスタコーヴィチの語った次のような「恐るべきもの」があります。
それはあの恐しいスターリンの粛清時代のことです。ある日、ラジオ委員会に電話のベルが鳴りました。電話をかけてきたのはスターリンでした。スターリンは訊ねます。「昨夜、ラジオでマリヤ・ユージナの演奏するモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いたのだが、この曲が収録されたレコードはあるか」と。この問いに、ラジオ委員会はすぐに「はい、もちろんです」と答えます。答えを聞いたスターリンは、翌日、郊外の別荘にそのレコードを届けさせるようにと命じるのですが、その後、ラジオ委員会は大パニックに陥ったのでした。なぜなら、実際にはそんなレコードなど存在しなかったのです。当時を振り返って、ショスタコーヴィッチは「誰もスターリンに『いいえ』と答えることなどできなかった。『いいえ』と答えようものなら、どんな恐ろしい結果が待ち受けているのかを誰もが知っていたからだ。あの当時は人間の命などなんの価値のないものだった」と語っています。すぐにマリヤ・ユージナが呼び出され、オーケストラが集められ、その日の夜中にレコーディングが始まりました。そして翌日、スターリンのためだけに、大急ぎで作ったたった1枚のレコードが出来上がったのです。
その後しばらくして、ユージナはスターリンの個人的な指示によって、一通の封筒を受け取ります。封筒の中には2万ルーブルが入っていました。当時の2万ルーブルといえば、かなりの高額です。ユージナはスターリンに宛てて、次ぎのような手紙を書きました。「ヨシフ・ヴィッサリオノヴィッチ、あなたの支援に大変感謝いたします。私はこれから、国民や国に対するあなたの罪を神が許してくれるよう、昼も夜も神に祈りを捧げてまいる所存です。慈悲深い神はきっと許してくださることでしょう。いただいた2万ルーブルは、私が通っております教会の改修工事のために遣わせていただきます」
ショスタコーヴィッチはこの信じがたい話を次ぎのように締めくくっています。「その後、ユージナはいかなる罰も受けませんでした。スターリンはただ黙っていたのです」

引用元=ソ連時代にも信仰心を失わなかったピアニスト、マリヤ・ユージナ

正に、マリア・ユージナの面目躍如!ではありませんか。

多分に面従腹背的な部分のあったミーシャ(ショスタコーヴィチ)からすれば、この展開は彼の予想を劇的に裏切る誠に喜ばしき展開であったことでしょう。

晩年は極度に禁欲的な生活を送りながら、貧しい人々への援助も熱心におこなっていたマリア・ユージナ。
それも、敬虔なロシア正教徒として蓋し当然の行動であったのではないかと思われます。

このCDボックス。
唯一残念な点は、彼女が最も心血を注いで演奏したと思われる、ロシアの同世代の作曲家の作品、とりわけ、ショスタコーヴィチやストラヴィンスキーの曲が収録されていないことです。
特に、ショスタコーヴィチのピアノ・ソナタにおいては、彼女の演奏が最上のものとされているので、惜しまれるところですね。
尤も当のショスタコーヴィチは「この演奏はこのソナタの最良の演奏だという評判をとっているが、ユージナのテンポは全く適していない。いわば原作に対して自由気ままに演奏している」と愚痴っていたそうですから、面白いものですが。

nice!(20)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 20

コメント 10

hirochiki

こちらは、秋の虫の音は聞こえるようになってきたものの
まだまだエアコンをつけたまま就寝しています。
そろそろ夏の疲れた出てきたのか、朝起きても体がだるく感じられます。

マリア・ユージナのまなざしを見ていると、その精神力の強さが表れているように思います。
それだけではなく高い芸術性も兼ね備えた素晴らしいピアニストなのですね。

by hirochiki (2013-08-17 05:36) 

tochimochi

16枚ものCDボックス、マニアには垂涎ものなのでしょうね。
伊閣蝶さんの興奮が伝わってきます。
スターリンとのエピソードも興味深いです。
無慈悲な鉄の男も少しは皮肉を解する心があったのですね。

by tochimochi (2013-08-17 10:45) 

夏炉冬扇

今晩は。
雨がほしいです!
by 夏炉冬扇 (2013-08-17 18:18) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
そちらでは秋の虫の音が聞こえてきますか。
こちらはまだまだです。
ただ、このところ夜は風が入ってくるようになりましたので、エアコンなしでも就寝できるようになりましたが。
マリア・ユージナ、意志的な眼差しですよね。この写真を見ているだけで、吸い込まれてしまうような底の深さを感じさせられます。
by 伊閣蝶 (2013-08-17 20:58) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
彼女のレコードやCDは、発売と同時に瞬間蒸発!みたいなことが二昔前には何度もありました。
精神的な救いを求める聴き手がそれだけ多いということかもしれません。
正直に申し上げて、この段階で、これだけの規模のボックスセットが入手できるとは思っても見ませんでした。それ故に恥ずかしいほど興奮してしまった次第です。
スターリンとのエピソード。仰る通り、もしかするとスターリン自身、こうした真摯な(それでいて皮肉の利いた)反応を求めていたのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2013-08-17 21:03) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
こちらも全く雨が降りません。
ダムも干上がり、農作物への影響が心配されます。
by 伊閣蝶 (2013-08-17 21:05) 

のら人

朝晩エアコンなしですか?
凄いです。
自分はつけっぱなし、軟弱者です。 ^^;
>「誰もスターリンに『いいえ』と答えることなどできなかった。
現代の民主主義も形骸化し、同じような弊害がありそうですね。

YESマン以外は、政府でも企業でも、幹部に昇れないですから。(苦笑)
by のら人 (2013-08-18 11:56) 

伊閣蝶

のら人さん、こんにちは。
どうも、エアコンをつけて寝ると、変に体の一部分だけが冷えるような気がして熟睡できないのです。
かといって、暑くて眠れないので、どのみち睡眠不足には変わりないのですが(^^;

>YESマン以外は、政府でも企業でも、幹部に昇れないですから。

これは確かに仰る通りだと思います(痛感しております)。
命をとられるようなことはないので、その点ではスターリンの頃よりはいいのでしょうが。

by 伊閣蝶 (2013-08-18 16:35) 

九子

マリア・ユージナさん。すごい女性ですね!
スターリンにそんな事を言って自分がどうなるか考えなかったのでしょうか?
それとも自分の演奏によほど自信があったのか・・。
たぶん、死ぬことも覚悟した発言だったのでしょう。
サッチャーさんじゃないけれど、鉄の意志を感じさせる面影ですね。
by 九子 (2013-08-21 00:03) 

伊閣蝶

九子さん、こんばんは。
凄い女性だと思います。
粛正された事例を、もちろん彼女を知っていたはずですから、こうした発言を行うことがどれほど危険であるか分かったいた上で、しかし、自身の信ずるところを歩もうとしたのでしょうね。
もしかすると、そんな自分を、当然神様はお守り下さるはず!と信じて疑わなかったのか。
そして、実際そうであったのでしょうね。
by 伊閣蝶 (2013-08-21 22:02) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0