マーラー、交響曲第3番ニ短調 [音楽]
立秋を過ぎたというのに、正に殺人的な猛暑がやってきています。
この週末、土曜日の津の最高気温は38度を超え、今日、日曜日はとうとう39度になってしまいました。
所によっては40度を超えているようで、こんなものを「残暑」と呼ぶこと自体、矛盾していますね。
そんなわけで、この週末は山に行くのを控えました。
連日の猛暑で少々バテ気味でもありましたし、ズボンの裾上げのほころびを修繕しなければならなかったので、アイロンがけやシーツ・タオルケットの洗濯などもついでにやったところです。
そんな作業の合間に、マーラーの交響曲第3番を聴いていました。
この曲は、マーラーが1895年から96年にかけて作曲したもので、演奏時間に100分を要する長大なものですが、全体の構成も堅牢で、その長さをあまり感じさせません。
私は、マーラーの曲の中でもとりわけお気に入りの曲の一つなのですが、この長さを敬遠してか、マーラー好きの私の友人の中には、さすがに辟易する、なとどいう人もおります。
7番などは、私も実はちょっと辟易させられますが、3番はそんなことはないのではないかなあ、と私は思っていて、聴き終えるとまた最初から聴きたくなってしまうような魅力を持った曲だと感じています。
実際に、この週末、4回聴いてしまいました(バーンスタイン指揮2回、レーグナー指揮2回)。
特に、第一楽章と第六楽章(フィナーレ)が規模的にも中心をなしていて、それぞれ30分くらいの演奏時間となりますが、音楽の力にぐいぐいと引き込まれていきます。
フィナーレの全楽器演奏による再現部から壮大なコーダに至って全曲が締めくくられると、また、第一楽章冒頭の、8本のホルンによるユニゾンの主題を聴きたくなってしまうのです。
この第一楽章の第一主題は、ブラームスの交響曲第一番の第4楽章の主題に良く似ていて、あるいはマーラーのブラームスへの想いが込められているものなのかもしれません。
さて、長大な曲でもありますから、マーラーが込めた曲想の概要を予め念頭において聴いた方が、より理解が進むのではないかと考えます。
マーラーは、この曲に関して、大要次のような楽章ごとの標題を考えたようです。
この標題は、「誤解を招く可能性がある」として、出版時に作曲者の手によって削除されましたが、正しく「言い得て妙」という感じです。
この曲に関して、「マーラーの田園」という印象を語る方もたくさんおられるようですが、季節も含めた自然の営みとそれをもたらしてくれる神の存在、そして「愛」という存在が、非常に大きなモチーフになっているように私には思えます。
それ故にこの曲は、全編を通して明るさと希望と生の喜びに満ちあふれているように感ぜられるのでしょう。
マーラーは、1895年の2月に、弟のオットーをピストル自殺で亡くしています。
その衝撃は誠に大きかったと伝えられていますが、その年にこの曲を構想したというのであれば、恐らくそうした堪え難い悲しみと絶望感を克己し、明るい未来を見いだそうとしたことの、これは一つの回答であるのかもしれません。
さて、その演奏ですが、さすがにたくさんのCDがリリースされています。どれを選ぶのかはそれこそ悩ましいことでしょう。
私として、まず取り上げたいのはこのCDです。
交響曲第3番 テンシュテット&ロンドン・フィル(1986年ライヴ)
100分という演奏時間を、聴衆の緊張感を持続させながら成し遂げることは至難の業。
この曲の実演を私はまだ一度も聴いたことがありませんが、それもまた宜なるかなと思います。
従って、このCDがライヴであるということだけで私はもう頭を垂れてしまうのです。
あの冒頭の、8本のホルンによる裸単騎みたいなユニゾンを始め、トロンボーンやピッコロなど、様々な管楽器にむき出しのソロが割り当てられている中で、それをきちんと統御しつつ、声楽付きのこれだけ大きな規模の演奏家集団を最後まで破綻無く統率するためには、いったいどれほどの精神力と人間性が必要なことか。
想像するだけでため息をついてしまいます。
テンシュテットは、この演奏の前年に喉頭がんの手術を受けました。
そのハンデを克服しての、渾身のライヴといえるのではないでしょうか。
ライヴ故の傷は各所に認められますが、それを割り引いても、やはり力のこもった見事な演奏ではないかと思います。
それから、マーラーといえば、やはりバーンスタインですね。
そのバーンスタインがウィーン・フィルと組んだDVDがあります。
交響曲第1番、第2番『復活』、第3番 バーンスタイン&ウィーン・フィル、ロンドン響(DVD)
クリスタ・ルートヴィヒ(アルト)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン少年合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1972年4月、ウィーン、ムジークフェラインザール
これまた、なんとも美しい演奏です。クリスタ・ルートヴィヒのアルトも誠に素晴らしいものでした。
でも、若き日の、ニューヨークフィルとの演奏も忘れられません。
交響曲全集(第1番~第10番『アダージョ』)、亡き子を偲ぶ歌 バーンスタイン&ニューヨーク・フィル、ロンドン響、イスラエル・フィル(12CD限定盤)
このボックスセットの演奏は1961年ですから、バーンスタイン43歳の指揮、ということになります。
何とも瑞々しい響きで、どちらかというと、私はこの演奏の方がお気に入り。
それにしても、このボックスセット。2190円という価格はやはり破格です。
デジタルリマスタリングによって音質も磨き上げられ、その点でも聴きごたえがあります。
私はこの演奏のLPも所持しておりますが、二枚組で、4回レコードの針を下ろさなければなりませんでした。
それが二枚のCDに収まっているという点でも、ちょっと嬉しいものがありますね。
そんな中で、実は私の一番のお気に入りの演奏があります。
ブルックナー:交響曲第4、5、6、7、8、9番、ミサ曲第2、3番、テ・デウム、マーラー:交響曲第3番、他 レーグナー(11CD)
ハインツ・レーグナーが、手兵ベルリン放送交響楽団を率いての、1983年の録音です。
これは文句なしに素晴らしい演奏だと思います。
この曲は、マーラーのほかの曲でも同じですが、やはり金管や打楽器の存在感が非常に重要。
そのいずれもが、大変緻密かつ熱い情熱で見事なまでに統制されていました。
このボックスセット、ほとんどの方はブルックナーの演奏を目当てに購入されるものと思いますが、このマーラーは絶対に聴きものです。
この大曲を、全く破綻することなく統率する力量。誠に素晴らしいものがあります。
2001年に亡くなりましたが、本当に残念なことでした。
追伸。
半沢直樹、ものの見事な大どんでん返しでしたね。
直樹の父親を自殺に追い込んだのは、予想通り大和田常務(香川照之)でしたし。今後の展開も見逃せません。
しかし、毎回、観ながら、何だか胸につまされてしまいます。
この週末、土曜日の津の最高気温は38度を超え、今日、日曜日はとうとう39度になってしまいました。
所によっては40度を超えているようで、こんなものを「残暑」と呼ぶこと自体、矛盾していますね。
そんなわけで、この週末は山に行くのを控えました。
連日の猛暑で少々バテ気味でもありましたし、ズボンの裾上げのほころびを修繕しなければならなかったので、アイロンがけやシーツ・タオルケットの洗濯などもついでにやったところです。
そんな作業の合間に、マーラーの交響曲第3番を聴いていました。
この曲は、マーラーが1895年から96年にかけて作曲したもので、演奏時間に100分を要する長大なものですが、全体の構成も堅牢で、その長さをあまり感じさせません。
私は、マーラーの曲の中でもとりわけお気に入りの曲の一つなのですが、この長さを敬遠してか、マーラー好きの私の友人の中には、さすがに辟易する、なとどいう人もおります。
7番などは、私も実はちょっと辟易させられますが、3番はそんなことはないのではないかなあ、と私は思っていて、聴き終えるとまた最初から聴きたくなってしまうような魅力を持った曲だと感じています。
実際に、この週末、4回聴いてしまいました(バーンスタイン指揮2回、レーグナー指揮2回)。
特に、第一楽章と第六楽章(フィナーレ)が規模的にも中心をなしていて、それぞれ30分くらいの演奏時間となりますが、音楽の力にぐいぐいと引き込まれていきます。
フィナーレの全楽器演奏による再現部から壮大なコーダに至って全曲が締めくくられると、また、第一楽章冒頭の、8本のホルンによるユニゾンの主題を聴きたくなってしまうのです。
この第一楽章の第一主題は、ブラームスの交響曲第一番の第4楽章の主題に良く似ていて、あるいはマーラーのブラームスへの想いが込められているものなのかもしれません。
さて、長大な曲でもありますから、マーラーが込めた曲想の概要を予め念頭において聴いた方が、より理解が進むのではないかと考えます。
マーラーは、この曲に関して、大要次のような楽章ごとの標題を考えたようです。
- 第一部
- 序奏 「牧神(パン)が目覚める」
- 第1楽章 「夏が行進してくる(バッカスの行進)」
- 第二部
- 第2楽章 「野原の花々が私に語ること」
- 第3楽章 「森の動物たちが私に語ること」
- 第4楽章 「夜が私に語ること」
- 第5楽章 「天使たちが私に語ること」
- 第6楽章 「愛が私に語ること」
この標題は、「誤解を招く可能性がある」として、出版時に作曲者の手によって削除されましたが、正しく「言い得て妙」という感じです。
この曲に関して、「マーラーの田園」という印象を語る方もたくさんおられるようですが、季節も含めた自然の営みとそれをもたらしてくれる神の存在、そして「愛」という存在が、非常に大きなモチーフになっているように私には思えます。
それ故にこの曲は、全編を通して明るさと希望と生の喜びに満ちあふれているように感ぜられるのでしょう。
マーラーは、1895年の2月に、弟のオットーをピストル自殺で亡くしています。
その衝撃は誠に大きかったと伝えられていますが、その年にこの曲を構想したというのであれば、恐らくそうした堪え難い悲しみと絶望感を克己し、明るい未来を見いだそうとしたことの、これは一つの回答であるのかもしれません。
さて、その演奏ですが、さすがにたくさんのCDがリリースされています。どれを選ぶのかはそれこそ悩ましいことでしょう。
私として、まず取り上げたいのはこのCDです。
交響曲第3番 テンシュテット&ロンドン・フィル(1986年ライヴ)
100分という演奏時間を、聴衆の緊張感を持続させながら成し遂げることは至難の業。
この曲の実演を私はまだ一度も聴いたことがありませんが、それもまた宜なるかなと思います。
従って、このCDがライヴであるということだけで私はもう頭を垂れてしまうのです。
あの冒頭の、8本のホルンによる裸単騎みたいなユニゾンを始め、トロンボーンやピッコロなど、様々な管楽器にむき出しのソロが割り当てられている中で、それをきちんと統御しつつ、声楽付きのこれだけ大きな規模の演奏家集団を最後まで破綻無く統率するためには、いったいどれほどの精神力と人間性が必要なことか。
想像するだけでため息をついてしまいます。
テンシュテットは、この演奏の前年に喉頭がんの手術を受けました。
そのハンデを克服しての、渾身のライヴといえるのではないでしょうか。
ライヴ故の傷は各所に認められますが、それを割り引いても、やはり力のこもった見事な演奏ではないかと思います。
それから、マーラーといえば、やはりバーンスタインですね。
そのバーンスタインがウィーン・フィルと組んだDVDがあります。
交響曲第1番、第2番『復活』、第3番 バーンスタイン&ウィーン・フィル、ロンドン響(DVD)
クリスタ・ルートヴィヒ(アルト)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン少年合唱団
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
1972年4月、ウィーン、ムジークフェラインザール
これまた、なんとも美しい演奏です。クリスタ・ルートヴィヒのアルトも誠に素晴らしいものでした。
でも、若き日の、ニューヨークフィルとの演奏も忘れられません。
交響曲全集(第1番~第10番『アダージョ』)、亡き子を偲ぶ歌 バーンスタイン&ニューヨーク・フィル、ロンドン響、イスラエル・フィル(12CD限定盤)
このボックスセットの演奏は1961年ですから、バーンスタイン43歳の指揮、ということになります。
何とも瑞々しい響きで、どちらかというと、私はこの演奏の方がお気に入り。
それにしても、このボックスセット。2190円という価格はやはり破格です。
デジタルリマスタリングによって音質も磨き上げられ、その点でも聴きごたえがあります。
私はこの演奏のLPも所持しておりますが、二枚組で、4回レコードの針を下ろさなければなりませんでした。
それが二枚のCDに収まっているという点でも、ちょっと嬉しいものがありますね。
そんな中で、実は私の一番のお気に入りの演奏があります。
ブルックナー:交響曲第4、5、6、7、8、9番、ミサ曲第2、3番、テ・デウム、マーラー:交響曲第3番、他 レーグナー(11CD)
ハインツ・レーグナーが、手兵ベルリン放送交響楽団を率いての、1983年の録音です。
これは文句なしに素晴らしい演奏だと思います。
この曲は、マーラーのほかの曲でも同じですが、やはり金管や打楽器の存在感が非常に重要。
そのいずれもが、大変緻密かつ熱い情熱で見事なまでに統制されていました。
このボックスセット、ほとんどの方はブルックナーの演奏を目当てに購入されるものと思いますが、このマーラーは絶対に聴きものです。
この大曲を、全く破綻することなく統率する力量。誠に素晴らしいものがあります。
2001年に亡くなりましたが、本当に残念なことでした。
追伸。
半沢直樹、ものの見事な大どんでん返しでしたね。
直樹の父親を自殺に追い込んだのは、予想通り大和田常務(香川照之)でしたし。今後の展開も見逃せません。
しかし、毎回、観ながら、何だか胸につまされてしまいます。
こんなに、暑いときは、山歩きも、避けたほうが無難でしょうね。
半沢直樹、私も見ています。最近見た日本のテレビドラマでは、最高に面白いですね。
by テリー (2013-08-11 23:48)
名古屋も毎日猛暑日が続いており、私も日中はなるべく外出を控えています。
一日の最低気温が29度と聞くと、思わずため息が出てしまいます。
私たちが子どものころに比べると、最高気温が10度近く上昇しているような気がしますね。
こんな時は、涼しい部屋でのんびりとお気に入りの音楽を聞くのが最適のように思います。
マーラーは、弟さんを亡くし深い悲しみの中にあっても一筋の光を見出して素晴らしい曲を作り出したのですね。
半沢直樹には、我が家も家族そろってすっかり嵌っています。
毎週月曜日の夜に録画したものを見ているので、今夜がまた楽しみです。
by hirochiki (2013-08-12 06:39)
暑いですね! ほんと。 困ったものです。 ^^;
さて、昨夜はヘロヘロで信濃大町で車中泊したので半沢ドラマは見れませんでした。 え? そうだったのですか?! ビックリ!
しかし、倍返しだ! とか10倍返しだ! とか会社内で言いたいのに言えない抑圧から、あのドラマを見てカタルシスを得ているサラリーマンは多そうです。
山行けばいいのに ・・・ と、思ってしまいます。 ^^
by のら人 (2013-08-12 12:47)
テリーさん、こんばんは。
コメント、ありがとうございました。
この暑さ、さすがに山に出かける気力はありませんでした。
半沢直樹、近頃珍しく力の入ったドラマだと思います。
by 伊閣蝶 (2013-08-12 21:59)
hirochikiさん、こんばんは。
名古屋もだいぶ暑そうですね。
津でも、部屋の中の気温が終日30度を超えていて、さすがに参ります。
仰る通り、私たちが子供の頃よりも10度くらいは高くなっているような気がします。
半沢直樹、ご覧になりましたか?
次からは第二部、いよいよ核心に迫っていきそうです。
by 伊閣蝶 (2013-08-12 22:00)
のら人さん、こんばんは。
信濃大町で車中泊とはお疲れさまです。
どうやらまたまた素晴らしい山行記録が拝見できそうで楽しみです。
半沢直樹でカタルシスを覚えるサラリーマン。
意外に、30代後半から40代後半の方も多そうです。一番辛い立場にある人たちですから無理もないことでしょう。
でも、「山に登れば良いのに」、と私も思いますね。
by 伊閣蝶 (2013-08-12 22:01)
ついに出ましたね、マーラーの3番。この曲に関しては、「夏の・・・」という表題は当たらないというより、個人的にはイメージからほど遠い感じです。どちらかというと春か秋、涼しい時期に聴きたい曲です。どの演奏がいいか?となるといろいろ語られる曲ですが、確かにレーグナーは名盤名高いところ。個人的には、爆発力の凄いバーンスタイン新盤、精緻な構成のナガノ盤を愛聴します。最近は1楽章しか聴かなくなりました。色々忙しいもので。実演で聴いた名古屋フィルの田中さんの終楽章のTbソロは感動的でした・・・。金管楽器への愛も感じる曲です。
by ムース (2013-08-13 09:18)
ほんとに暑さがぶり返してきましたね。
でも私は2日間ほど涼しく過ごしてきました。
半沢直樹、あのように生きれればいいとは思いますが難しいですね。
by tochimochi (2013-08-13 11:24)
こんにちは。
夕方の熱気が幾分ゆるんだかな、という感じです。
単身赴任ですと、家の中もあれこれですね。
残暑お見舞い。
by 夏炉冬扇 (2013-08-13 18:15)
ムースさん、こんばんは。
仰る通り、この曲に「夏の…」という標題はあまり似つかわしくないと私も思います。私は春のイメージが強いように感ぜられます。
ところでナガノ盤、気にはなっていましたが、精緻な構成というところに魅かれます。
是非とも聴いてみたいと思いました。
ムースさんはこの曲を実演でお聴きになっている。羨ましい限りです。
金管楽器への愛を感ずること。それに関して私も同じ想いです。
by 伊閣蝶 (2013-08-13 21:30)
tochimochiさん、こんばんは。
二日間、涼しくお過ごしとのことで羨ましく存じます。
何とか早く猛暑が去って欲しいと願っているところですが。
半沢直樹、実際にはあのように生きることは難しいと思います。それ故にこそ共感を呼ぶのでしょうか。
by 伊閣蝶 (2013-08-13 21:34)
夏炉冬扇さん、こんばんは。
残暑お見舞い、ありがとうございます。
昨日今日と、夜は少し過ごしやすくなってきました。
by 伊閣蝶 (2013-08-13 21:36)