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感ずる音と音楽 [音楽]

連日、冷え込んだ日が続きます。
津でも最高気温が20度に届かなくなりました。
一昨日まで「クールビズ」だったのが、早速街中では「ウォームビズ」商戦が始まっているようです。
何という変わり身の速さ、とびっくりしつつ、この気温ではそれもまた然りというところでしょうか。
こんな気候を反映してなのか、タンポポの花が咲いていました。
tanpopo1102.jpg
これもちょっとびっくりですね。

ここのところ少し気持ちに余裕が出てきて、山を歩く時間が少しずつ確保できるようになってきました。嬉しいことです。
山には限りませんが、街の喧騒を離れると、様々な自然界の音に触れることができます。
鳥の囀りや虫の鳴き声などはいうに及ばず、風が木立や草原を吹きぬけていく音、川のせせらぎ、寄せては返す波の音、それに視覚から喚起される音(例えば私は、空を流れる雲からも音を感じます)などなど、静寂(しじま)から想起される音も含めて、それこそ世界は無限の響きに満ちている…。

私は以前、次のような雑文を書いたことがありました。

山と音楽

13年位前にアップした雑文ですので、なんだか気恥ずかしいほどに青臭いのですが、こうした感覚は、今現在でも私の中にきちんと存在しているようです。
ただ、あまりにも即物的かつ極私的な感覚に基づく記事で、自然が奏でている様々な音の響きについては全く言及しておりません。
もちろん、そんな大それた「言及」などできるはずもないのですが、自然界に満ち溢れる音を自分の感性で受け止めることのできる悦びには格別のものがあるのだなと、これは常日頃から感じているところではありました。

「風の音など、自然の奏でる音には平均律などはない。人間の作り出す小ざかしい音楽などとは別次元の感動がある」というようなことを仰った方がいました。
これは全くそのとおりですが、それに対して「その自然界が奏でる無限の音に共鳴し、それを平均律に組み替えて音楽を作り出す人間の叡智もまたすばらしい存在ではありませんか」と返した方がおられ、この方の感性もまたすばらしいものだなと感動したことを思い出します。
クラシック音楽のような再現芸術の場合は、そこにさらに演奏者の表現という重要なファクターが加わりますから、可能性はそれこそ無限大に広がることでしょう。
演奏そのもの、もっといえば芸術というもの自体は、所詮「人工的」な営みの中に成り立ちうるものなのかもしれません。
しかし、正統で精緻な技術を駆使して作り上げられた作品が、却って素朴な自然の姿を表すこともまた真実なのではないでしょうか。
音楽に関していえば、音楽は常に、風や空や海や山とともにあるのですから。

私が、例えば家で音楽を聴くとき、そして、山を歩きながら音楽を感ずるとき、そこに隔てられている様々なものが一瞬にして距離を失い、私の心の中で同化します。
その喜びこそが私の追い求める音楽の姿なのかもしれないなと、秋の夜空を見上げながらつくづく思い返したものでした。

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hirochiki

私も、今日はどうしてもコスモスが見たくなり出かけてきました。
もう終わりがけでしたが、風に揺れる可愛いコスモスを見ることができ
とても嬉しくなりました。
ふと足元に目をやると、やはり黄色いタンポポが咲いていましたね。
うちの娘は、この夏頃から毎朝庭の花に水やりをするのが日課となっています。
毎日6時頃に起床し朝食を食べてから水やりをするために外に出ます。
小鳥の鳴き声を聞いたり植物の成長を眺めていると、とても清清しい気持ちになれるようです。
ですので、狭い庭に水をやるだけなのになかなか家に入ってきません(笑)
クラシック音楽を聞いていると、目の前にその風景が広がるように感じることがありますね。
by hirochiki (2012-11-03 18:24) 

夏炉冬扇

今晩は。
畑の音の一番は鳥の鳴き声です。、
by 夏炉冬扇 (2012-11-03 21:07) 

tochimochi

「山と音楽」興味深く読ませていただきました。
山を歩きながらあるいは攀りながら、音楽が頭の中に響き同化する・・・私もクラシックではありませんが同じような経験をしていたような記憶があります。
でもこの頃はあまり響いてこなくなりました。たぶん昔は写真などはあまり撮らず、ひたすら山に向き合っていたせいかと思います。
ちょっと寂しいことかもしれませんね。

by tochimochi (2012-11-03 22:16) 

伊閣蝶

horochikiさん、こんばんは。
コスモスがきれいに咲いていますね。
津でもまだその姿を見かけることが出来、この寒さをちょっと忘却できたりしました。
それから、そちらでもタンポポの花を見かけられましたか。
本当に不思議な気候になっていますね。
お嬢様の日課の、花への水やり、なんだかその情景に想いを馳せて、ほのぼのと温かな気持ちにさせて頂きました。
きっと、水を上げながら、花たちと様々な言葉を交わしておられるのではないでしょうか。
私もそんな経験がありますから。
by 伊閣蝶 (2012-11-03 22:53) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
鳥の声、どうしてあれほど純粋な音色なのだろうかと、聴くたびに感動してしまいます。
手の届かない憧れのような気さえしますね。

by 伊閣蝶 (2012-11-03 22:53) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
青臭い拙文をお読み頂き、誠にありがとうございました。
山に入っていると、そのときの状況とは無関係に頭の中に響き渡る音楽というものがありました。
それが近頃はあまり響いてこなくなったというお話、実は私も同じように感じていたのです。
それが一つの契機となって、このような雑文を書いてしまったのですが、tochimochiさんも同じようなご経験をされていて、それを「寂しい」と仰って頂き、正直に申し上げて、少しホッとしました。ありがとうございます。
ひたすら山に向き合っていた頃のことを、私も思い起こしていました。

by 伊閣蝶 (2012-11-03 22:54) 

のら人

HPを持ってらしたのですね。
少し ・・・ 拝見させていただきました。
素晴らしい ・・・。 ^^
山と音楽ですが、自分は必至な山行のためか、キノコでも山でも「音楽」が身近に聞こえてきません。 ^^;  ここからは、工夫がいります。 ^^

by のら人 (2012-11-03 23:48) 

伊閣蝶

のら人さん、こんにちは。
拙いサイトをご覧頂き、ありがとうございました。
ほとんど手入れのされていないサイトでお恥ずかしい限りです。
山登りで音楽が聴こえてしまうのは、もしかするときちんと山に対峙していないからかもしれません。
by 伊閣蝶 (2012-11-04 08:35) 

Cecilia

「山と音楽」、以前拝読させていただいていました。
私は高校生や大学生の頃、実家の畑仕事・山仕事(しいたけ)を手伝うときによく歌っていました。今のように携帯音楽プレイヤーがあるわけではなかったですが(ウォークマンはありましたが畑には持って行かなかったです。)頭の中にはその当時の好きな音楽が流れていて単調な仕事でも退屈するということはありませんでした。
自然の中で歌うとき、または自然の中で音楽を脳内再生するとき、鳥の声や風の音などと調和して、室内とは違う感覚がありますよね。
by Cecilia (2012-11-05 09:38) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
「山と音楽」、拙い文章にもかかわらず、ご覧頂き、恐縮です。
体を使う仕事のおり、そういえば私もよく歌を口ずさんでいました。
そうすることにより、仕事も退屈しなかった、というところも同じです。
自然の音に触れる時、また、自然の中で音を感ずるとき、不思議な高揚感に包まれます。
芸術も、ある意味では五感で感ずるものであるからなのかもしれませんね。
by 伊閣蝶 (2012-11-05 23:01) 

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