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チェリビダッケ・エディション第2集 ブルックナー:交響曲集、テ・デウム、ミサ曲第3番 [音楽]

連日猛暑が続きます。本当に厳しい暑さですね。

そんな中、昨晩は津の阿漕浦海岸で花火大会が開催されました。
ありがたいことに私の住居のベランダからも見え、職場の同僚といっぱいやりながら楽しんだところです。
hanabi0729.jpg

ところで「阿漕」というと、欲深だとか強引・無情などという意味で使われることが多いのですが、もともとの意味は「同じことを何度も繰り返す」であり、その由来は次のように、親孝行な息子の悲しい物語から来ています。

阿漕平治

禁止されていた阿漕浦での漁をしたかどで筵に巻かれて阿漕浦に沈められた平治が真夜中に頻りに網を打つという伝説から、「逢ふことをあこぎの島に引く網のたびかさならば人も知りなむ」という歌が詠まれたとのこと。
ここから「しつこい」という意味になり、それが今の悪い意味に変わっていったのでしょうか。

さて、こちらに移ってきて、しばらくCDの購入などを控えていましたが、HMVのサイトで大変魅力的なBOXセットを見つけてしまい、とうとう辛抱たまらず購入してしまいました。

「チェリビダッケ・エディション第2集 ブルックナー:交響曲集、テ・デウム、ミサ曲第3番(12CD限定盤)」です。


チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルによるブルックナーの交響曲はこれまでにも何枚か所持していましたが、3番から9番までの交響曲にテ・デウムやミサ曲第3番までカバーし、リハーサルの模様も収録されている12枚組で、2500円を切る価格となれば、買わずにはいられませんでした。
音質もすばらしく良好で、現在のチープな再生環境でも十分満足のできる仕上がりになっています。
改めて聴きかえしてみると、チェリビダッケは音楽に対して、そこに書かれている音の響きを如何に芳醇かつ繊細に表現するか、という音響的な部分を非常に重要視していたことがわかるような気がしました。
前にも書いたことがありますが、例えばホルンやワーグナーチューバで和音を作るとき、どの音をどれだけの強さで吹かせるかを一つ一つ厳密にチェックし、演奏するホールでの響きが最も輝かしくなるよう、完璧にコントロールしていたそうです。
当然リハーサルは長大になり、楽団から忌避されることもあったと思われますが、ミュンヘン・フィルは、そんなチェリビダッケの行き方に全身全霊をこめてついて行った。
すごいことだなと思いつつも、ミュンヘン・フィルの音自体は、あのクナッパーツブッシュやケンペの頃の渋いいぶし銀のような響きを継承していて、むしろチェリビダッケ自身がその響きにほれ込みそれに合わせて演奏を組み立ててきたのではないかとも感じています。
こうして、一音一音の響きにこだわるわけですから、必然的に演奏時間は長くなり、聴く人によってはとても耐え切れない、ということにもなりかねません。
事実、私自身も、20年位前にテレビで放映されたブルックナーの8番を聴いた(観た)時には、あまりの気持ちよさに転寝をしてしまったくらいですから。
このCDでも、5・7・8・9番は、耐え難く長いと感ずる方もおられることでしょう。
ある意味では、私の理想としているブルックナー演奏とも異なっています。
しかし、このCDの演奏の中からは、それまで見落としていた(聴き落としていた?)様々な音や響きが聴こえてきます。
「ああ、ここではこんな音が鳴っていたんだな」と発見するときの喜びもまた格別のものがありました。
チェリビダッケは、「音楽の目的は快を与え」ることにある(「音楽提要」)としたのはデカルトの大いなる過ちである、と言ったそうですが、皮肉なことに(いやむしろそれ故に)、その演奏からたくさんの悦びを得ている聴衆が数多く存在しています。

このBOXセット、中でも4番と6番はとりわけすばらしく、なかなかいい演奏に出会うことの少ないこの二つの交響曲において相当高い位置を占めることでしょう。
また、ミサ曲第3番も聴きものだと思います。
3番も、この曲はこんなに壮大なスケールを有していたのだなと改めて気づかされるのではないでしょうか。

チェリビダッケやヴァントの演奏するブルックナーを聴いていると、ブルックナーという人のその心中にどれほど大きな宇宙が存在していたかを遥か遠くを眺めるかのように想い返してしまいます。
音楽を精神面で云々する風潮も時折見受けますけれども、音楽とは畢竟音の響きであり、それを楽器とホールを通じて人々に届けるのが演奏家の使命というものではないでしょうか。
その響きの中からどのようなものを感ずるか見出すのか、それは全て聴き手にゆだねられます。
ブルックナーの宇宙は、その残された楽譜の紙背を見通すかのような、こうした使徒たちの手によって再現される。
そのことの不思議と感激を、このCDを聴きながらしみじみと味わっているところです。

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hirochiki

ベランダからお酒を召し上がりながら花火を楽しまれたようで何よりです^^
「阿漕」という言葉の意味は、勉強になりました。
元々の意味が悪い方に転じてしまったのですね。
ところで、素晴らしいCDをゲットされたとのことで
お仕事からご帰宅されてからのお楽しみがまた増えましたね♪
私は、あまりの暑さに少々夏バテ気味ですが、夏休みを楽しみに後もう少しがんばりたいと思います。
伊閣蝶さんも、くれぐれもご自愛下さいね。
by hirochiki (2012-07-31 05:57) 

tochimochi

阿漕とは阿漕浦にまつわる物語からの言葉ですか。
勉強になりました。何でも調べてみることが大事ですね。
花火の写真が良く撮れています。やはり花火モードでの撮影ですか。

by tochimochi (2012-07-31 08:52) 

夏炉冬扇

今日は。
阿漕、漢字で書いたことないような…
なるほど、でした。
by 夏炉冬扇 (2012-07-31 13:15) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
ベランダから花火が観られたのは大ラッキーでした。
きっと、会場は相当な混雑でしたでしょうから。
「阿漕」の意味、私もこちらに来るまで知りませんでした。本当に勉強になりました。
ところで、少々夏バテ気味とのことですが、どうかくれぐれもご無理をなさいませんように。
夏休み、しっかりとお楽しみ下さい。
私は8月末にとるつもりです。
by 伊閣蝶 (2012-07-31 22:49) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
「阿漕平治」のお話は、阿漕の駅にもありましたので、やはりこちらでは良く知られたお話のようです。
花火の写真ですが、酔っぱらっていたので、全くのノーマルで撮ってしまいました。カメラをほめてあげたいところです。
by 伊閣蝶 (2012-07-31 22:51) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
「阿漕」は確かにひらがなで書いてしまうことが多いようで、阿漕浦と結びつけて考えるのは、やはりこのお話を知っている少数の方だけのようですね。

by 伊閣蝶 (2012-07-31 22:53) 

のら人

阿漕浦のお話は勉強になりました。
大抵、地名の由来は日本の場合悲しいストーリーを背景に抱えている事が多いですね。 エンドは宗教的に終わるところが日本らしいですね。 ^^
物語に出てくる「赤ヤガラ」は釣った事も、食べた事もあります。 料亭へ回される程の高級魚ですね。 確かに、上質の「椀物」にすると絶品ですね。
病も吹き飛ぶほど、美味しいです。 ^^
by のら人 (2012-08-01 20:20) 

伊閣蝶

のら人さん、こんばんは。
赤ヤガラ、召し上がったことがおありでしたか。
私は残念ながら食べた経験がありません。
こちらにいる間に一度是非食べたいと思っているところです。
病いが吹き飛ぶほどの美味しさ!
是非とも体験したく思いました。
by 伊閣蝶 (2012-08-01 23:31) 

Cecilia

「あこぎ」と「阿漕浦」・・・まったく繋がっていませんでした。(お恥ずかしながら「あそう」と読むのかと思っていました。(苦笑)
由来について大変勉強になりました。
新しい職場の同僚をお宅に招いて一杯やりながらの花火見物をされたとのこと、さすが伊閣蝶さんと思いました。
自宅に招くというのは心置きなく話せる関係でないとなかなか難しいと思うのですが、伊閣蝶さんはどこに行かれても信頼できる仲間づくりがおできになるのだろうなと思っています。
by Cecilia (2012-08-02 08:23) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
「阿漕」は確かにひらがなでかかれることが多くなっていますから、阿漕浦と連携してとらえることが少なくなっているのかもしれません。
こちらに来てまだひと月ですが、みんなが訪ねて来てくれたのは本当に嬉しいことでした。たいした料理は出来ませんでしたが、それでもみんな喜んでくれて、特に私にとっては子供世代である二十代前半の男子職員たちが来てくれたのは感動ものですね。
職場では判らない彼らの考え方を知ることが出来たのも収穫です。
こうしたことが定期的に実施できればいいなと、厚かましくも思っています。
by 伊閣蝶 (2012-08-02 23:56) 

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