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斎藤茂吉、生誕130年 [日記]

先週末は「母の日」ということもあり、また、GW中は帰省できなかったこともあって、八ヶ岳の実家に帰省しておりました。
渋滞を避けるために、朝の5時30分くらいに家を出たので、結構な交通量はありながらもスムーズに走ることができ、8時には実家に到着。帰りも、日曜日の昼過ぎに出たのにもかかわらず、大きな渋滞に巻き込まれることもなく、やはり2時間30分くらいで帰宅できたところです。
後半のGWと打って変わって、素晴らしい好天に恵まれたのですが、さすがにGWの翌週だと車の量も少ないのでしょう。ラッキーでした。

しかし、実家では3月下旬並みの冷え込みとなっていて、土曜日の朝、車に乗っていたときの外気温は3℃でした。
日曜日の明け方は零度近くまで下がったようです。
そんな気候ですから、花もやっと咲き始め。
自宅の庭ではハナモモが花をつけていました。
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ツツジも盛りです。
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驚いたことに木蓮も最盛期。
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そのほか、サクラソウやチューリップや水仙やオキザリスなど、正に今が花盛り。
義弟が、母のために八重桜を持ってきてくれましたが、これも今が満開です。

八ヶ岳も、赤岳・阿弥陀岳・横岳・権現岳などの主稜はまだ雪が残っていました。

さて、今日は斎藤茂吉生誕130年の日に当たるのだそうです。
尤もwikiによると、戸籍では明治15年7月27日生とのことですが。

茂吉はアララギ派の歌人でもあり、伊藤左千夫の弟子でもありましたから、写実的でかつ生活感にあふれ生き生きとした歌をたくさん詠んでいます。

どの歌もすばらしいものではありますが、茂吉の歌の中で、とりわけ私が好きなのは、

最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

という、歌集「白き山」におさめられた中の一首です。
1946年1月、斎藤茂吉は郷里でもあり疎開先でもあった山形県上山からから大石田に移住しましたが、「白き山」はこの大石田を立って帰京するまでの1年10カ月の間に詠まれた824首を収めている歌集です。
この歌の中で用いられている「逆白波」という語については、「恐らく茂吉の造語だろう(木村勝夫)」とのことですが、白い波頭が立つまで荒れた最上川の情景が眼前にありありと浮かんできませんか。
特に、下の句の「ふぶくゆふべとなりにけるかも」が、大変印象的ですね。

この歌に関して、井上ひさしさんが、「自家版 文章読本」の中で次のように分析されています。
私はこのくだりを読んで、うーむとうなってしまいましたので、ちょっと長くなりますがここに引用してみましょう。
井上さんはこの歌をローマ字に書き移して、母音の構造を明らかにし、次のように書きます。
「逆白波」は六音、そのうち四音が「ア」の母音を孕み持つことがわかる。そればかりか上の句十七音のうち「ア」を抱く音が九音もあるのだ。半分以上が「ア」の母音を響かせている。「ア」は大きな抱擁力を持つ音である。赤ん坊が最初に学習するのもこの音であって、この音はすべてを受け入れる。そこでこの歌の上句は荒れ狂う大自然をそのまま我がものとして受け入れているのだとわかる。ところが下句に至って事情は一変する。とくに第四句の「fubuku yufube to」が重要だ。七音のうち五音までが「ウ」の母音を孕んでいる。「ウ」は思い屈した、姿勢の低い音である。それが五個も連続すると、まるで唸り声のように聞こえる。吹雪に吹き飛ばされまいとして唸り声を発しながら背をかがめている人間。だが第五句の結句で人間は大自然と和解する。第五句は「アイウエオ」の五つの母音をすべて含んでいるからである。日本語の持つすべての母音が響き合うこと、それはまったき世界の再創造である。

そういえば、快晴の青空などを振り仰ぐと、私などは喜びのあまり、「あー」と叫んでしまいたくなります。
きっと母音の中でも、一番自然な音が「ア」の音なのだからなのでしょうね。心の動きや感じたものがそのままストレートに出るような。
「イ」だとちょっと否定的なニュアンスになりますし、「ウ」は沈思的な肯定、「エ」は疑問(否定的なものも含む)や意外なことに直面する驚き、「オ」は前向きな感じでの肯定、みたいに、他の母音には何かしらの表情が付いて回るような気がしますが、「ア」にはそうした色付けがないように思われるのです。

それはともかく、殊に下の句から感ぜられる、まるで万葉集を読んでいるかの如きプリミティブな感動は、こうした精緻極まりない母音構成から齎されたものだと思うと、いまさらながらに茂吉の歌人としての底知れない才能に驚愕してしまいます。

斎藤茂吉は生涯を精神科医として生き、「歌は業余のすさび」と称していたそうですが、芥川龍之介をして「最も小説を書かせたい人物」といわしめたとのこと。
しかし、下手に文学に色気を出さなかったからこそ、数多くの珠玉のような短歌を残したということかもしれませんね。

突飛なことかもしれませんが、次男の北杜夫氏の著作「白きたおやかな峰」は、もしかすると茂吉の「白き山」に触発されて、そうした題名にしたのではないか、などと思ってみたりもしたのでした。
もちろん何の根拠もない私の思い込みに過ぎないのですが。
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hirochiki

今回は、渋滞に巻き込まれることもなくスムーズにご実家への往復をされたようで何よりでした。
お天気も良かったようですね。
青空の下のハナモモがとても美しいです。
「ア」の音は、5つの母音の中で一番大きな口を開けて発音しますね。
私は、最近仕事でミスをして「あ~」と叫ぶことが増えています(^_^;)
一緒に仕事をされている方が5月末で退職されることになり
4月中旬から引継をしているのですが、ちょっと大変です・・・

by hirochiki (2012-05-15 05:27) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
後半のGWではかなりひどい目に遭いましたから、今回スムーズだったのは大変助かりました。
天気も良く、絶好のドライブ日和でしたし。

>私は、最近仕事でミスをして「あ~」と叫ぶことが増えています(^_^;)

あー!それは私も同じです\(^o^)/
ところで、ご一緒にお仕事をなさっているご同僚が五月末でご退職とのこと。
引継もさることながら、今後の事務運営も大変なことと存じます。
くれぐれもお体にはお気を付けになって下さいますように。
by 伊閣蝶 (2012-05-15 13:00) 

九子

伊閣蝶さんの知識の豊富さと読書量にいつも感服しています。

井上ひさしさんの目の付け所はさすがですね。

伊閣蝶さんが齋藤茂吉を好む理由がなんとなく分かる気がします。
自然の美しさを心の底から愛でる事が出来る感性を持っていらっしゃるからです。

北杜夫の白きたおやかな峰、読んでみようと思います。彼の本格派小説には凄味がありますよね。

たぶんお父様の「白き」でしょうか、「白い」でしょうかに影響されたものではないかと、私も思います。( ^-^)
by 九子 (2012-05-15 17:16) 

tochimochi

渋滞に巻き込まれなくてよかったですね。
八ヶ岳の麓はまだそんなに寒いのですか。
でも春の花は一度にやってくるようですね。
斉藤茂吉の歌、井上ひさしさんの目の付け所はさすがですね。
でもここまで本人が意識して詠んだのかというと、私は懐疑的になってしまいます。歌は本人の感性によるところが大きいと思います。最上川の自然に対峙したとき、自然に口に上ってきたと考えるほうがロマンがあるような気がします。ただその結果、大自然に対する調和の世界と解釈されることはやはりすごい人だなと思います。
by tochimochi (2012-05-15 20:08) 

伊閣蝶

九子さん、こんにちは。
私の方こそ、九子さんのブログの記事から触発されることが大変多く、いつも感服してしまいます。
毎回楽しみに拝読している次第ですので、これからもよろしくお願いいたします。

「自然の美しさを心の底から愛でる事が出来る感性」、確かに茂吉にはそうした鋭い感性があるように思われました。
私は、首都圏での暮らしが長くなっているせいか、いつのまにかそうした感性が錆ついているのではないかと改めて感じています。
身すぎ世すぎに日々を安穏と暮らしていると、大切なものまで見えなくなってしまいそうです。

「白き山」を、後半で「白い山」誤記し、しかもそれをコピペしてしまいました。
ご指摘ありがとうございます。早速直しました。
ところで、北杜夫の「白きたおやかな峰」は、カラコルムの美しき妖精と言われ続け、長らく登頂を許さなかったディランに京都岳連隊が挑んだ折のことを題材にしています。
北さんはこのときドクターとして遠征隊に所属していました。
結局、頂上まであと75mを残して敗退してしまうのですが、その結末をあえて書かない点も含め、透明感と魅力に溢れた作品です。私は繰り返し読んで、その都度感動を新たにしました。
機会がございましたら是非!と、力強くお勧めする次第です。

by 伊閣蝶 (2012-05-16 12:14) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんにちは。
今回はうまく立ち回れたので渋滞を回避でき、安堵しました。
前回はそれでも家内がいっしょでしたから気も紛れたのですが、今回は一人でしたので、なおのこと助かった次第です。
私が子どもだったころ、五月の初旬はまだ薄氷が張り、場合によっては雪も降っていましたから、やはり標高1000mはだてではない、というところでしょうか。
それだけに春の訪れは待ち遠しく、花々の開花は最高の喜びでありました。
ところで茂吉の歌ですが、もちろん計算ずくでこんなに胸を打つ歌が読めるはずもないと私も思います。
しかし、茂吉は「短歌声調論」という労作もものにしていますから、母音の響きを念頭に置いて歌の構成を考えていた、ということもいえるのでしょう。
仮にそうしたこと事情があったとしても、産み出された歌に斧鑿の跡は全く見られないのですから、正しく超弩級の歌人であったのだろうと私も感嘆してしまいます。
by 伊閣蝶 (2012-05-16 12:15) 

夏炉冬扇

今晩は。
教科書に出てくる歌ですね。
歌30年ほど詠みました。今は川柳です。
by 夏炉冬扇 (2012-05-16 21:51) 

のら人

はなももは本当に鮮やかですよね。 ^^
いづれゆっくり茂吉の歌を読みたいです。
小説さえ最近全然読んでいないため、文章表現力も低下の一途です。
やはり新聞だけでは駄目ですね。 ^^;
by のら人 (2012-05-17 07:55) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんにちは。
お母様の棺にご自身の歌集をお入れになったことを以前伺いました。
短歌にしても川柳にしても、制約のある中で小宇宙を構築するという喜びがあると思います。
夏炉冬扇さんのブログに日々掲載されている川柳には、いつも感嘆させられます。

しかし、この茂吉の歌、教科書に載っていましたか。これは知りませんでした。

by 伊閣蝶 (2012-05-17 12:16) 

伊閣蝶

のら人さん、こんにちは。
ハナモモの花、大変華やかでしかも上品ですから、私も大好きです。
アララギ派の歌は、どれも大変親しみやすく、また心に直截訴えてくる力を持っていると思います。
私も、今回「生誕130年」という節目の日だったので改めて思い返したのですが、普段はなかなか読みません。小説もしかりです。文章というと、近頃はネットばかりのような気もしますので、文章表現能力は落ちまくりですね。
のら人さんの記事は実に的確な表現で書かれていて、また飄逸なユーモアにもあふれた素晴らしい文章だと、いつも感動しながら拝読しています。

by 伊閣蝶 (2012-05-17 12:16) 

Cecilia

斉藤茂吉と言えば「万葉秀歌」をもう一度じっくり読まなければと思っています。
茂吉の歌ではやはり中学の教科書に載っていた

みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる   
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり 

が一番心に残っています。

by Cecilia (2012-07-04 09:47) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
斎藤茂吉のこの二首、中学の教科書に載っていたのですか!
それはすごい!
中学生は多感な年頃ですから、教科書にこうした秀歌を載せるセンスに拍手を送りたい気分です。

by 伊閣蝶 (2012-07-04 11:45) 

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