SSブログ

ロバート・スコット没後100年 [山登り]

朝のうちこそ少し寒さを感じましたが、穏やかな日和となりました。
どうやら今週中に桜の開花宣言がなされるような話になっており、週末は各地で桜の花の便りが聞けるのかもしません。
尤も、私の自宅近くの街路樹のソメイヨシノはまだ蕾がかたそうで、開花までにはまだ時間がかかりそうな雰囲気ですが。
それでも、今日のお昼、久しぶりに日比谷公園に出かけたところ、もう辛夷の花が咲き始めていました。
辛夷

寒緋桜も咲いています。
寒緋桜

こちらは大寒桜です。
大寒桜

また、白い沈丁花も盛りでした。
沈丁花
この株は、花のつき方がちょっと特徴的ですね。

今日は、イギリスのロバート・スコットが南極点に到達後、帰路の遭難死したとされる1912年3月29日からちょうど100年目となります。
スコット隊は1912年1月17日に南極点に達しますが、帰路、様々なアクシデントに襲われ、結局生還は果たせませんでした。
スコットたちの遺体は、遭難から6カ月後の夏に捜索隊によって確認されましたが、遺体はそのままテントにくるまれる形でその最期の地に葬られ、回収されることはなかったとのことです。
代わりに遺品は持ち帰られ、その中には、スコットに先立つことひと月前の1911年12月14日に南極点に到達していたアムンセンが極地のテント内に食料とともに残した手紙(アムンセン隊が帰途に全員遭難死した場合に備え、2着の到達者に自分たちの初到達証明書として持ち帰ることを依頼し書かれたもので、もう一通、ノルウェー国王に充てた手紙も残していて、これもスコットに託しています)もありました。
結果として、スコットはアムンセンの南極点初到達を証明することになり、いわば敗北宣言ともいうべき証拠品を大切に保管していたわけでスコットの高潔な人間性がわかるような気もします。
もちろん、この手紙をスコットが所持していたということは、スコット自身が南極点に到達した事実をも証明することにもなりますね。

アムンセンは、スコット隊よりは距離は多少短いものの全くの未踏のルートを辿り、スコット隊の採ったルートは過去に自身も含めいくつかの探検家が通っており地形もある程度分かっていたのにもかかわらず、結果としてアムンセンが初到達を果たした上、全員が無事に帰還しています。
極点に向かったスコット隊の最終アタック隊5名は、極点到達は果たしたものの全員が遭難死しました。
この両隊の明暗を分けた原因は、wikiなどでも詳しく分析されていますので、ご興味のある向きは是非ともご覧ください。

ロバート・スコット(wikipedia)

極地の厳しい自然環境に対する知見、装備の優劣、移動手段、極地探検の目的、隊の士気など、個別の要素は様々にありましょう。
どれも尤もな分析だと思いますし、後講釈とはいえ、私も大変考えさせられました。特に「退却」について、です。
こうした高次元の冒険はもとより、自然をフィールドにした活動における安全地帯への退却は高度な技術であると考えます。
アムンセン隊は、あくまでも彼ら自身の内部からわき起こった極地探検へのモチベーションをベースに行動していたわけですから、恐らくアムンセンを始めメンバーひとりひとりがそうした危機管理を念頭に置きつつ、ギリギリの活動を己の責任のもとに実践していたのでしょう。
「行ってみて、無理ならば引き返せばいい」という態度を「楽観的」と西堀栄三郎さんはご指摘されたとのことですが、ここに至るまでの事情などを忖度すれば、アムンセン隊がこれを実践することは、ある意味相当な決断と困難な調整を必要としたものと思われます。
人は、目前に大きな目標が存在する場合、体力的な限界をしばしば精神的なもので超えてしまう事態に陥ってしまいます。
集団行動をとっている場合は、なおのこと中止につながるようなことを自ら言いだすことに大いなる躊躇を感じてしまうことでしょう。
退却が高度な技術であるというのは、そうした折の状況を冷静かつ的確に判断することができるようになるためには相当な経験と修練が必要となるからにほかなりません。
アムンセン隊のメンバーには、そうした探検家にとって必須となる「技術」と覚悟が当初から備わっていたということではないか。

一方のスコット隊は、スコット自身の出自の関係もありましょうが、英国海軍に所属する隊員が大宗を占め、必然的にその運営も海軍式の上意下達構造となっていた嫌いがあります。
指揮命令系統が一本化している組織は、組織そのものが崩壊しない限り、相当の威力を発揮するものと思われますが、その統帥部が機能しなくなってしまうと瓦解してしまい、あとは烏合の衆となる虞なしとしません。
両隊の明暗は、そうしたところでも分かれてしまったのではないかと、私は思っています。

初登頂、未踏のルート開拓など、人跡未踏の地に対する人間の憧れは誠に大きなものがあります。
アムンセンたちノルウェーに先を越されたスコットたちの英国部隊の無念は如何ばかりであったか、想像するに難くありません。
新田次郎の「劒岳 点の記」に描かれた、陸軍参謀本部陸地測量部と日本山岳会との初登頂争いと、初登頂かと思われた陸地測量部隊が剣岳山頂で見つけた鉄剣と錫杖の頭を巡るいきさつなどをみても、「初」というものの価値にどれほど人がこだわるのか判ろうというものです。
不毛な争いのように見えますけれども、そうした想いがあればこそ、人はますます憧れを強くするものなのでしょうし、それがまた新たなチャレンジへのモチベーションにつながっていくものなのでしょうね。

私の山における師匠は、初登攀ルートを開拓した折、たとえトップでルート工作を行わずトップの確保や支点のクリーニングの担当のみに終始したとしても、そのルートを拓くに当たって力をつくしたのだからと、必ず初登攀記録のメンバーにそうしたメンバーの名前も加えてくれました。
山屋にとって、初登攀記録に己の名前が載るのは自分にとっての大きな証でもありますから、師匠は自らの経験からそうした対応を頑なに守ってきたのだろうなと思うと、その心の奥底に流れている温かな気遣いに対していまさらながらに感動を新たにしてしまいます。
nice!(10)  コメント(10)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 10

コメント 10

hirochiki

雲ひとつない青空に白やピンクのお花がとても良く映えていますね。
私は、特に大寒桜の淡いピンク色に惹かれます。
それから、この沈丁花はユニークな形をしていますね。
沈丁花の中でも何かめずらしい種類なのでしょうか。
ところで、ロバート・スコットは若くしてお亡くなりになられたのですね。
せっかく南極点に到達できたのに、帰路のアクシデントで生還を果たせなかったとのことで、どれほど無念だったことでしょう。
伊閣蝶さんには、素晴らしい山のご師匠様がいらっしゃるのですね。
最近は、クライミングのトレーニングなどはされていらっしゃいますか。
by hirochiki (2012-03-29 21:01) 

tochimochi

先日『点の記』を読んだばかりです。
ここでは山岳会よりも国の測量部が先に登っていますが、その過程では皆が協力し合うという姿勢が成功を収めた部分が大きいと思います。
スコット隊の場合は最初に大きな躓きがあったにも拘らず、国家の威信をかけているという自負が撤退できなかった要因ですね。
仰るとおり、退却は高度な判断そして技術を要すると思いますが背負っているものの重さも大きいですね。
やはり個人の自発的な行動が一番成功を収めるのだと思います。
さりげなく述べられていますが、伊閣蝶さんは素晴らしいクライマーだったのですね。私は小心者の悲しさで、楽しさばかりを追い求めてきました。

by tochimochi (2012-03-29 23:24) 

夏炉冬扇

お早うございます。
子供のころ白瀬大尉の伝記にあこがれたものです。
今朝はこちら一転曇り空となってます
by 夏炉冬扇 (2012-03-30 07:51) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
暫くご無沙汰していた日比谷公園では、たくさんの花が咲き始めていました。
私も大寒桜の見事な花には、さすがに「おお!」と声を上げてしまいました。
天気も良かったのでなおさらです。
それからこの沈丁花の花。私も不思議に思っています。恐らく違う種類ということではなく個体の特徴なのでしょうが、こんなふうに細かな花弁がまとまっているのは誠にユニークですね。
山の師匠は、もう仰ぎ見るしかない存在で、70歳を超えた現在でも岩登りや冬期登攀などを実践しています。すごい人だと思います。
私の方は、年明けからいくつかの事故や怪我に見舞われ、今はちょっとお休みです。
そろそろリハビリを兼ねて登りに行こうかと思っているところですが。

by 伊閣蝶 (2012-03-30 12:17) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんにちは。
「点の記」、お読みになられましたか。
私は文春から刊行された1977年に読みましたので、もう35年も前のことです。
30年以上も経て映画化された時には、さすがに感無量でした。
仰る通り、陸地測量部隊が様々な困難を克服して登頂に成功したのは使命感に基づく強固な団結力によるところが大であったと思います。
それから宇治長次郎の存在と彼に全幅の信頼をおいた柴崎芳太郎の人柄も特筆すべきでしょうか。
スコット隊の悲劇は、多くのことを学ばせてくれていると思います。
私の山の同僚は、やや過激な発言ながら、「遭難事例は遭難者が残してくれた貴重な教訓だから、ただ悲しんだり遺徳を褒め称えているだけでは進歩がない。冷静に分析して同じ過ちを繰り返さないようにすることが、結果として遭難した人の想いにかなうのではないか」と常々語っていましたが、確かにそうかもしれません。
なお、末尾に蛇足的なことを書いて私個人としてはかなり恥じ入っています。
私は「クライマー」などと呼ばれることさえおこがましい山の初級者ですが、師匠は70歳を超えた現在でも、岩登りはもちろん冬期登攀や海外遠征に出かけるバリバリの現役クライマーです。
昔それなりの登攀記録を残した方でも、たいていは50歳くらいで現役からは引退してしまい、中にはごく少数ながら(現在は全く山に登らないのにもかかわらず)昔のご自身の経験を声高に語って過去の自慢話ばかりをする御仁もいたりしますが、師匠はこうした行き方を厳しく批判しています。
少なくとも彼の口から自慢たらしい言葉を私は聴いたことがありません。事実を淡々と語って下さるだけでした。
tochimochiさんの記録を拝見し、私は私の師匠と同じ山男の矜持をtochimochiさんから感じております。学ばなければならないなといつも考えさせられている次第です。

by 伊閣蝶 (2012-03-30 12:19) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんにちは。
白瀬矗、私も日本にこんな探検家が存在したのだなと、夢中になって伝記を読みました。
壊血病で次々とメンバーが倒れる中で実施した千島探検、わずか200トンくらいの船で南極大陸に挑み、極点は踏めなかったものの乏しい装備でその地に至ったことは実に驚くべきことだと思います。
こちらは、今日は曇り空になりましたが、暖かで春の訪れを感じさせてくれます。
by 伊閣蝶 (2012-03-30 12:20) 

Cecilia

いつも美しい花の写真をありがとうございます。私も昨日ようやく今年初めて沈丁花の香りを楽しむことができました。
今日はこちらは大変雨風が強いです。

スコットとアムンゼンの話、高校のリーダーで読んだ記憶がよみがえって来ました。退却は高度な技術であるという話、とても考えさせられます。
by Cecilia (2012-03-31 10:02) 

のら人

劒岳 点の記は数年前映画で見ました。^^
最新の装備を誇る岳学会との熾烈な山頂争い。
正直あまり感動しませんでした。(苦笑)  楽で自由で楽しい登山ばかりしているのが駄目なんですねぇ。  反省です。 ^^;
by のら人 (2012-03-31 10:32) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
そちらでも沈丁花の香りをお楽しみなれたとのこと。
私も嬉しく思います。
こちらも今日は朝から風雨が強く、荒れた天気になりました。
それでも桜の花が咲き始めています。
明日は晴れるようですので、今から楽しみです。
スコットとアムンセン、極点初到達争いなどという次元の話ではなく、それぞれに残した功績は大変に大きなものがあると、改めて思っています。
by 伊閣蝶 (2012-03-31 12:01) 

伊閣蝶

のら人さん、こんにちは。
映画化された「点の記」、木村大作さんの想いは痛いほど伝わりましたが、正直に申し上げて、やはり原作には及ばないと思います。
確かに、あの背景まで全て描くのは難しいとは思いますが。
のら人さんの山行記録を拝見する限り、自由な発想に感心しますが、とても「楽で楽しい」などというレベルの登山ではないと感じます。
もちろん、その厳しさも「山を楽しみたい」というお考えからのものでありましょうけれども。脱帽です。
by 伊閣蝶 (2012-03-31 12:10) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0