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チャイコフスキーの「晩禱」 [音楽]

昨日は暖かな春の気配が残っておりましたが、今日は厚い雲が張り出し、気温も10度を下回っています。
先程、たまたま去年の記事を確認したのですが、昨年は2月の初めにもう紅梅が咲き始めていたのですね。
今年はそれよりも一カ月遅れています。
いまさらながらに今年の寒さを実感しました。

2月26日の「晩禱」本番演奏の余韻がなかなか頭の中を去らず、そのあと聴いている曲もチャイコフスキーなど、なぜかロシアの作曲家のものばかりで、自分でも呆れてしまいますが、この「晩禱」の演奏を通じて、チャイコフスキーの同名の曲の存在を知ったのは、思いがけない副次的な収穫でした。
チャイコフスキーの「晩禱」は次の17曲によって構成されています。
  1. 首誦聖詠「我が霊や、主を讃め揚げよ」
  2. 「主憐めよ」と短い応唱
    1. 連祷(キエフ詠唱)
    2. 連祷(ズナメニ詠唱)
    3. ポロキメン
      1. 主は王たり、彼は威厳を衣たり
      2. ポロキメン第一調~第八調
      3. 凡そ呼吸ある者は主を讃め揚げよ
    4. 福音経の読みの前後に
      1. 主や光栄は爾に帰す
      2. 主憐れめよ
    5. 天門を閉じる前に
      1. 爾の神にも
      2. 主爾に
      3. 福を降せ
      4. 神や、我等のいと敬虔なる、至高の偉大な統治者
      5. ヘルウィムより尊く
      6. 光栄は父と子と聖神に帰す
      7. 主憐れめよ
  3. カフィズマ(第一段)「悪人の謀」
  4. 「主や爾によぶ」と讃頌「我が霊を獄より引き出して」(第一調~第八調)
  5. 聖入「聖にして福たる」
  6. 生神女讃詞「生神童貞女や慶べよ」
  7. 「主は神なり、我等を照らせり」と復活のトロパリ第一調~第八調
  8. ポリエレイ「主の名を讃め揚げよ」
  9. 復活の讃歌「主や爾は崇め讃めらる、爾の誡を我に教へ給へ」
  10. 唱和詞第四調「我が稚き時より」
  11. 復活讃歌「ハリストスの復活を見て」
  12. 共頌歌「我が口を開きて」(イルモス一~九)
  13. 生神女の歌「我が心は主を崇め」とリフレイン「ヘルウィムより尊く」
  14. 「主、我等の神は聖なり」
  15. 生神女讃詞「生神童貞女や、爾は至りて讃美たる者なり」
  16. 大詠頌「至高きに光栄神に帰し」
  17. 生神女コンダク「生神女や、吾等爾の僕婢は」

作曲は1881年5月から開始され、1882年3月7日に完成を見ました。
ロシヤ正教会の定めに従い、もちろんこの曲も無伴奏の声楽曲です。
チャイコフスキーは、これに先立つ1878年に同じくロシヤ正教会の奉神礼音楽である「聖金口イオアン聖体礼儀」を作曲しておりますから、この時期に続けて正教会のための音楽を書いたということでしょうか。
チャイコフスキー自身、奉神礼の際の音楽(声楽)に並々ならぬ興味を示していたそうですし、その祈りの姿を美しいと感じていたそうですから、やはり作曲家として取り組みたいという思いが強かったのだろうと思われます。
ロシヤ正教の音楽を極めて大切なロシヤの民族的遺産として発展・改革させようとする試みは、ほかにもグリンカを筆頭に、リヴォーフ、バフメティエフ、ポルトニャーンスキイなどによってなされてきましたが、チャイコフスキーは、それをさらに近代的なスタイルとしてそれを行おうと考えたようです。
この時期のチャイコフスキーは、アントニナ・イワノヴナとの結婚とそのあまりに早い破綻などで、自殺を考えるほどまでに精神的に追い詰められており、重度のスランプに陥っていました。
宗教曲の作曲に打ち込もうと考えたのも、そうした背景によるところが大きかったのかもしれません。当時のロシヤ正教音楽は帝室聖堂がその作曲を独占しており、ゆがめられ陳腐化の一途をたどる嘆かわしい状況にあったことがテキストの精査などによって分かり、チャイコフスキーは及ばずながらもその歪の是正を自らの手によって成し遂げる必要性を痛感したのだろうと考えます。スランプに陥った中にあっても、その想いが彼を強く励まし続けたのではないか、そんなふうにも思われます。
また、1881年には、大切な友人であったニコライ・ルビンシテインを喪っていますから、それももしかすると動機となった可能性もありましょうか(ルビンシテインを悼む曲としては別にピアノ三重奏曲「ある偉大な芸術家の思い出のために」がありますが)。

この曲も、ラフマニノフのそれと同様、演奏に1時間近くを要する大曲ですし、もともと両者とも「ズナメニ聖歌」などロシヤ正教会の聖歌をもとに作曲していることから、旋律的にはかなり似通ったところがあります。
特に1番と9番はその傾向が強いように思われました。
しかし、ラフマニノフの「晩禱」が、彼特有の分厚い和音と壮麗な対位法によって全体を支えられているのに対し、チャイコフスキーの方は、より典礼的な雰囲気を強く醸し出しているように感ぜられます。
その点、ラフマニノフに比べて平板な印象を受けてしまいますね。
少なくとも、チャイコフスキーの器楽曲などにおける華麗な音楽とは一線を劃するものがあるのではないでしょうか。

さて、この曲のレコードですが、1979年にウラヂスラフ・A・チェルヌシェーンコ指揮グリンカ記念レニングラード・アカデミー合唱団による録音があります。
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現在、CDとしては発売されていないようで、復刻が待たれるところです。
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コメント 10

hirochiki

「晩禱」の演奏の余韻がなかなか抜けきらないお気持ちは、お察しいたします。
それにしても、17曲によって構成されているとは知りませんでした。
また、それほどまでの想いがこの曲の中にあったのですね。
今週は大変な一週間でしたし、週末は、さらに気温が下がるようなので
くれぐれもお身体にご自愛ください。
by hirochiki (2012-03-09 06:15) 

Cecilia

ロシア正教用語の日本語訳、いつ見ても不思議な感覚になります。
チャイコフスキーの「晩禱」も是非聴いてみたいです。
昨日はこちらも大変暖かでコートなしでも外出できました。
by Cecilia (2012-03-09 08:30) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
「晩禱」はもともとロシヤ正教会の晩に行われる公祈祷・奉神礼の際に歌われる徹夜祷のことを狭義の意味で使っているものですから、その形式に則っています。
ラフマニノフでは15曲によって構成されていますが、もともとのロシヤ正教の聖歌が基盤になっているので、晩課・早課・一時課などに歌われる聖歌を基本に置くと、どうしてもこれだけの曲数になるのでしょうね。

ところでこちらは、今日も朝から冷たい雨が降っています。
御地ではいかがでしょうか。
週末も冷え込むようですので、どうぞ風邪などを引かれませんようにくれぐれもお気を付け下さい。

by 伊閣蝶 (2012-03-09 12:07) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
ロシヤ正教会の典礼文の日本語和訳、ラテン語のテキストの慣れている人間にとっては、確かにちょっと戸惑いを感じてしまいますね。
でも、もちろん、祈祷の内容にそれほどの違いはなく、例えば「生神童貞女や慶べよ」は「アヴェ・マリア」と言った形での一致があります。
チャイコフスキーの「晩禱」は、ラフマニノフに比べて、よりロシヤ正教会の祈祷に近しい音楽のような印象を受けます。
また、チャイコフスキーの「聖金口イオアン聖体礼儀」の方もなかなかの力作で、聴きごたえがありました。
昨日はコートなしで外出がお出来になったとのこと。
羨ましい限りです。
こちらは昨日から冬の寒さが戻り、週末にかけてかなり冷え込むようです。

by 伊閣蝶 (2012-03-09 12:07) 

般若坊

一昨日、会社時代の先輩がなくなり、昨夜初めて教会でのお通夜に参列してきました。カソリックですので保土ヶ谷カソリック教会でした。
讃美歌や牧師(外人)さんの聖書朗読が物珍しくて、すっかり教会のその雰囲気に浸り、献花してお別れしてきました。
先輩はイリノイ大学の出身ですので、そこで入信されたようです。
先導するソプラノの女性の聖歌とオルガンがなかなかでした。
by 般若坊 (2012-03-09 17:31) 

伊閣蝶

般若坊さん、こんばんは。
御先輩のご逝去、謹んでお悔やみ申し上げます。
カソリックでのご葬儀で執り行われたとのこと。
私も参列した経験がありますが、「安息のミサ」と聖歌に導かれ、司祭による赦祈式と、私などが普段接している葬儀とはだいぶ趣が異なり、感動したことを思い起こしました。
御先輩の御冥福を、心よりお祈り申し上げます。
by 伊閣蝶 (2012-03-09 18:01) 

夏炉冬扇

今晩は。
こちらは久方に午後晴れました。
ロシア正教というい「イコン」くらいしか思い出せません。
雅楽も考えれば宗教音楽なのかなぁ…
by 夏炉冬扇 (2012-03-09 21:26) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
御地では晴天となったとのこと。何よりです。
こちらは終日冷たい雨の日となりました。
「イコン」、ロシヤ正教では大切な要素です。
雅楽はもともとは神様の前で奏でたり舞を奉納したわけですから、当然宗教と無縁ということはなさそうですね。
by 伊閣蝶 (2012-03-10 00:50) 

don

チャイコフスキーのような偉大な作曲家でもスランプの時期が
あったのですね。ぼくはメジャーな曲しかしらないので、
彼について語ることはできませんが、ピアノ協奏曲の1番は
好きで、アルゲリッチでよく聞きます。
by don (2012-03-10 13:39) 

伊閣蝶

donさん、こんばんは。
創造者にスランプはつき物なのではないかと思いますね。
そのスランプをどのように乗り越えるかによって、その後の新たな世界が開けるのでしょう。
考えてみれば、大変な世界だと痛感します。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、アルゲリッチの演奏はすばらしいと私も思っております。
久しぶりに聴いてみたくなりました。
by 伊閣蝶 (2012-03-10 19:36) 

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