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大フィルの行方(「エイジオブエイジ04」を聴きながら) [音楽]

晴れの日が続きますが、週末にかけてだいぶ冷え込んできそうです。
空気も乾いているので、風邪などには十分に気をつけたいものですね。

ヒロノミンVさんの記事に触発され、大植英次指揮、大阪フィルによる「エイジオブエイジ04」を聴いています。

ヒロノミンVさんのご感想にもありましたが、冒頭の「ラ・ヴァルス」の演奏が、誠にすごい!
迸り出るエネルギーの塊を全身で感じてしまうような大熱演です。
私としては、どうしてもミュンシュの演奏が耳について離れないこの曲ですが、十分に肩を並べる演奏ではないかと思いました。
最初に聴いた時には、そのエネルギーに圧倒されて終わってしまったのですが、改めて聴くと、実に細部にわたって念入りに音を作っていますね。
大植さんの高い要求に大フィルが立派に応えている、という印象を持ちました。

それから、「英雄の生涯」も聴きごたえ十分で、荒々しい印象ばかりが先に立っていたこの曲が、こんなにしっとりとした美しい叙情的な面を持ち合わせていたのかと、改めて瞠目したものです。
とかく冗長になりがちな凡演も結構あったりする曲ですが、大植さんの神経が隅々にまで行き届いて、全体の構成を強固にしていたように思われました。

そして、武満徹の「ノスタルジア」!
これは文句なしの名演です!
以前、このブログの記事で取り上げたイ・フィアミンギの演奏が、この曲における私のそれまでのベストでしたが、これを上回る演奏ではないかと思っています。
武満徹の音楽の真骨頂は弱音の響きにあると私は考えているのですが、この大フィルの弦の美しさは特筆すべきものです。
殊に、独奏ヴァイオリンを担当した首席コンマスの長原幸太さんの演奏の素晴らしさはどうでしょう!
この曲の特徴である沈痛なエレジーを、実にしみじみと聴かせてくれました。
大フィルを関響の頃から育て上げてきた朝比奈隆さんは、得意としていたドイツロマン派の音楽のほか、邦人作曲家による音楽を数多く演奏会で取り上げてこられましたが、大植さんは全く独自の感性でさらに深みのある響きを作り出しています。
聴いていて全身に震えが来て、思わず涙を流してしまいました。
三木先生のご逝去というファクターが大きく影響していたことは否めませんが、武満徹とアンドレイ・タルコフスキーという二人の類稀な創造者も、既にこの世の人ではないことが重なってきてしまい、胸が苦しくなるような感動を覚えたのです。
この曲のベストの演奏として、きっと多くの武満ファンの心に長く刻みつけられることでしょう。

さて、この大フィルを巡って、今、その存在を左右しかねない大きな問題が惹起しています。

橋下改革「大フィル」「文楽」の運営危機に

このことに関し、ヒロノミンVさんも次のような記事をお書きになっています。

どうなる!?大阪フィル・・・

全く言語道断とはこのことをいうのか、と思いますね。
恐らく、橋下氏にとっては、クラシック音楽も文楽も、全く興味のない分野なのでしょう(府知事の時代に大フィルの助成を打ち切ったほか、「文楽は二度と見ない」などと発言したそうですし)。
個人としては単なる趣味の範疇ですから、別に何ら問題はないと思いますが、市長という全権掌握の絶対権力者としての立場で、己の感性にフィットしないものを「無駄」として切り捨てるのはいかがなものでしょうか。

前市長が目指してきた市民協働などの主要政策を担ってきた6名の幹部を更迭し、一方ではカジノを合法化し立ち上げるのには積極的な働きかけをしているそうです。
市長選で敗れた平松邦夫市長が夢洲で進めていた液化天然ガス発電所の新設計画を凍結してカジノ予定地とすることも想定しているとみられる。

とのことですが、原発の安全神話が完全に覆ってしまった現在、果たしてどちらの方がより公益に合致するのでしょうか(門外漢の私が口を出す問題ではありませんが)。

大阪というと「お笑い」「吉本」「ボケ・ツッコミ」みたいな印象を持つ人も多いように見受けれますが、芸術の面で大阪が果たしてきた功績は、限りなく大きなものがあることは自明です。
歌舞伎や浄瑠璃しかり能や狂言の世界など、その下座音楽も併せて、日本の古典芸能の発展・拡充に大きく寄与してきましたし、朝比奈隆さんが設立し育ててこられた大フィルや関西歌劇団は、その後の日本各地に興った地域の音楽活動の発展の大きなひな形となりました。
膨大な経費のかかるオーケストラを、特定のスポンサーの意志やバックアップもない中で立ち上げた朝比奈さんが、様々な困難を乗り越えて頑張り、関響を世界の大フィルへと発展させた具体的な実績があればこそ、有数の地方オーケストラの成功があったのです。
この功績を普通の尺度で図るわけにはいかないのではないか、私はそう思います。

こうした歴史を持つ大フィルや文楽の息の根を止め、大阪を夫子ご自身が好きであるらしいお笑いだけの文化にしてしまうことが、橋下氏や、彼を選出した大阪市民のお望みなのでしょうか。

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hirochiki

音楽には素晴らしいパワーがありますね。
人を心から感動させたり悲しい時には勇気づけたりもしてくれます。
大阪をお笑いだけの文化にしてしまうなんて、絶対に大阪市民の望みなどではないと思います。


by hirochiki (2011-12-17 13:51) 

don

橋下さんは応援してますが、大フィルは継続して欲しいですね。

カジノはパチンコよりましだと思います。
金が在日経由で北朝鮮に流れるより、税金で日本に還流
したほうがいいと思います。
by don (2011-12-17 16:18) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
私はこれまでたくさんの滋養を音楽からもらってきました。
きっと多くの人が同じような体験をされているのではないかと私は思っています。
私も、大阪をお笑いだけの文化にしてしまおうだなどと、大阪市民の方々は決して思ってなどいないと信じています。
by 伊閣蝶 (2011-12-17 17:30) 

伊閣蝶

donさん、こんばんは。
なるほど、そのような観点に立てば、確かに、パチンコよりはカジノの方がましかもしれませんね。
ずれにしても、これだけの演奏を届けてくれる大フィルはこれからもずっと存続して欲しいと心から願っています。
by 伊閣蝶 (2011-12-17 17:33) 

ヒロノミンV

 エイジオブエイジ04をお聴きになったんですね。僕は実は武満の「ノスタルジア」はあまりじっくり聞いていなかったんですが、これを機会に聴き直しました。
 この弦楽器の音は、本当に日本のオケならではで、大フィルにしか出せない音ですね。音の湿度が高いというか、潤いがあると言うか・・・。伊閣蝶さんのお陰で、大フィルの素晴らしさを再発見しました。

 大阪という都市は、東京にはない歴史の奥行きと、江戸時代以来の爛熟した文化の香りが大きな魅力になっていて、その魅力が大阪への尊敬や憧れになっていると思います。大フィルもその大阪発信の文化の重要な一角を占めていると信じます。
 最近は吉本との影響で、大阪の人もサービス精神が旺盛故に、吉本的な大阪人を『演じている』部分もあるんじゃないかと思います。
 僕は神戸の出身なので、いわゆる「ミナミ」よりも「キタ」の方が身近でした。阪急電車の沿線の落ち着いた雰囲気や、北浜・中ノ島の伝統建築には圧倒されます。大フィルを初めとするオーケストラ文化の殿堂、ザ・シンフォニーホールもその一角を占めていますね。ステレオタイプなお笑い・ボケツッコミ的文化だけが大阪じゃない!橋下氏には自覚して欲しいですね。
by ヒロノミンV (2011-12-18 00:58) 

伊閣蝶

ヒロノミンVさん、こんにちは。
「音の湿度が高い」、なるほど納得です。
正しくそれこそが大フィルの弦の音なのでしょうね。
大阪が、日本の文化に果たしてきた役割・功績は果てしなく大きいものではないかと私は思います。
私は浄瑠璃、とりわけ近松が大好きですので(井原西鶴もですが)、その生地(聖地)である大阪で、こともあろうに文楽がないがしろにされるなどとは思ってもみませんでした。
まして、大フィルが日本のクラシックシーンの世界発信に関して果たして来た大きな功績を鑑みれば、「無駄な補助金」という一言で切り捨てられるような存在かどうか、自明の理であるような気もするのですが。
確かに、大阪市行政当局のこれまでのやり方は余りに問題が多すぎるとは思いますが、それと文化の継承・発展が同列の次元で語られることに、極めて理不尽な怒りを感じます。
by 伊閣蝶 (2011-12-18 12:08) 

ササキ

私、以前は大阪に住んでしまして、大フィルのある打楽器奏者の方に師事していたこともあったので、地元に帰った今でもやはり気になってしまいます。

ただ、「助成金カットは横暴」とは正直なところ言えないですね。言いたい気持ちは分かるのですが、堂々と言えることでもなかろうと思うのです。


オーケストラに限らず、そもそもクラシックの歴史ってパトロンの歴史でもあるんですよね。グレゴリオ聖歌の時代はカトリック教会が、ハイドンやモーツァルトは王侯貴族が、ベートーヴェン以降は新興ブルジョアたちが、そして現代ではお金に余裕がある企業であったり、政府であったり。まさしくお金のあるところでないとクラシック音楽は生きることはできなかったわけです。

そして現在、企業も政府もお金に余裕が無くなってしまい、パトロンではいてくれなくなってしまった。となると、次の段階では、もうクラシックファンが平等に負担を請け負うのが自然な流れではないのかなと思います。それこそ、コンサートのチケットを今までの倍払ってでも聴きに行くと。署名集めるくらいなら金を出せと。


私は幼いころからクラシック音楽大好きでしたが、二十歳位の時にプロのオーケストラは助成を受けなければ成り立たないものであることを知った時は本当にショックでした。なんか、私の大好きな音楽は自分の食いぶちを自分で稼げない子供のような存在だったのだと。

幼いころから苦労をされてきた橋本さんにしてみれば、「何いつまで甘えたこと言ってんねん!大フィルに価値があるんだったら仕送り無くても生きていけるやろ?」と言っても仕方がないと思います。

「お金に換えられない価値」を守るのは結局お金、というあまりにも残酷と言いますか、がっかりな現実に立ち向かうのは、結局、私たちクラシックファンしかいないのだと思います。

お金以外にもやれることはあると思うんですよ。特に必要なのは子どもたち次世代のクラシックファンの創造。例えばボランティアで近くの学校に楽器を教えに行くとかで、それをきっかけに音楽にかかわろうと思ってくれる子が一人でも増えれば、それがクラシック音楽文化を支える力を増すことにつながります。

今は全クラシックファンの正念場だと思います。
「音楽をやるのにプロもアマチュアも関係ない。」とおっしゃった大フィルの師匠がおっしゃった言葉を、今こそ実践していくつもりです。
by ササキ (2011-12-18 23:47) 

伊閣蝶

ササキさん、こんにちは。
現役の演奏者の方からの真摯なコメント、心より御礼申し上げます。

クラシックに限らず、芸術活動はパトロンの存在とは切っても切れない間柄でありましょう。
仰る通り、「まさしくお金のあるところでないとクラシック音楽は生きることはできなかった」ということだろうと思います。
日頃、クラシック音楽から精神的な恩恵を受けている我々ファンが応分の負担をするべきだということも全くご指摘の通りでしょう。

クラシック音楽は、教会音楽の頃は正に門外不出の存在でありましたし、バロックから古典辺りまでは王侯貴族おかかえで、これまた特定の観客のためのものでありました。
それ以降も、結局のところブルジョアなどの後ろ盾があればこそ成り立ってきたものであったのだろうと思われます。
もちろんこれは音楽に限った話ではありませんが。
ただ、例えばミレーが、額に汗をし腰を屈め手足を筋でこわばらせながらも働く農民にラポールした絵を描いたり、ワルターのように「音楽の女神とその偉大な作品とに仕える一介の使徒として」多くの聴衆に音楽を聴く喜びと魂の慰撫を与えようとしたりした指揮者は、今回の東日本大震災の例を出すまでもなく、それこそ数限りなく存在しました。
クラシックのコンサートに足を運んだりCDを買ったりすることはなくとも、多くの人は様々な機会を通じてクラシック音楽に接し、そこから日頃の厳しい労働に疲れた体や心を癒しているのではないでしょうか。

国や地方公共団体や企業に余ったお金がないから、具体的な生産性(金銭的な)に乏しい芸術などの分野にお金が配分されない、という現実ももちろん受け入れざるを得ないのかもしれないと思います。
ただ、そうであれば、ヒロノミンVさんもお書きになっていましたが、せめて個人からの出資金や寄付などについては完全な免税扱いにするなどの対策を採ってもいいのではないか、そんな気もします(所得税や地方税など)。
大阪市民でもない私がこんなことを書くのは僭越であろうことは承知していますが、大阪市民が育てた大フィルが、現在、世界有数の一流オーケストラとして活動していることから大阪市が得ているものは決してその補助金の額に留まるものではないと思うのです。

それはともかくとして、子供たちへの積極的なアプローチでクラシック音楽を支える力を育てていく、という具体的な方策は大賛成です。
私も以前、三木先生のコンサートを自分の故郷で企画した際、地元の小・中学校などへのアプローチを試みたことがあり、子供たちの持つ感性の素晴らしさに胸をうたれたことがありますから。
クラシックファンの正念場、これも正しく仰る通りですね。
私たちにできることを具体的に探っていくことがますます必要になってくるものと思います。

どうも、まとまりのない文章になってしまいました。
失礼の段はお許しください。
by 伊閣蝶 (2011-12-19 12:36) 

tochimochi

>市長という全権掌握の絶対権力者としての立場で、己の感性にフィットしないものを「無駄」として切り捨て・・・
私もクラシックは門外漢ですが、橋本氏の独断振りには反感を持ってしまいます。
一言で言い切ってしまうのは分かりやすいですが、切り捨てられた方々の声も大事にしてほしいです。
by tochimochi (2011-12-19 22:17) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
日本は民主主義国家であり、民主主義で合意を形成するためには、やはり時間がかかるものだと思います。
単なる数の原理でごり押しするのが民主主義の本来の形ではないはず。
仰るとおり、切り捨てられる可能性のある人たちの声も大切にして欲しいものですね。
by 伊閣蝶 (2011-12-19 23:22) 

Cecilia

音楽は無駄扱いされることが多いですよね。
(私が行っていた音楽専門学校も学園全体の中で無駄なものとして廃止されました。)
トップにいる人の好き嫌いなどに左右されないようになると良いのですが。

by Cecilia (2011-12-21 15:31) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
音楽を始めとする、人の意識の根幹を揺さぶる芸術の世界を、「無駄」と切り捨てる人たちの価値観を、是非ともじっくり聴きたいものだと思いました。
彼らは、こうしたところからの滋養を受けたことが全くないのでしょうか?
仮にそうだとしても、それを心の糧にしている人たちにとって、どれほど大切なものかは判って欲しいと痛切に思います。
by 伊閣蝶 (2011-12-22 00:57) 

サンフランシスコ人

次の「英雄の生涯」も聴きごたえ十分だと思います...

オケ Houston Symphony
指揮 Orozco-Estrada

http://www.yourclassical.org/programs/symphonycast/episodes/2016/07/18
by サンフランシスコ人 (2016-10-25 07:45) 

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