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三木稔先生とのお別れ [音楽]

昨晩は、久しぶりの皆既月食でした。
真夜中にオレンジ色の皆既食の姿を見て、不思議な感動を覚えたものです。

mikiminoru.jpg今日は、三木稔先生のお通夜が執り行われました。
葬儀は明日で、出来れば明日、最後の野辺送りに立ち会いたいと思っていましたが、残念ながらどうにも都合が付かず、せめてお通夜だけでも参列したいと思ったのでした。

昨日はとびきりの寒さでしたから、今日も同じく寒くなるだろうと覚悟していましたが、意外なことに穏やかな天候となり、その点は楽をさせてもらったところです。

先生の遺影は、このお写真でした。
この穏やかで優しい笑顔に、どれほどたくさんの勇気と喜びを与えて頂いたことか。

三木先生との最後のご対面。
思っていたよりもふっくらとした顔(かんばせ)で、まるでお眠りになっているかのような安らかなお顔でした。
しかし、そのほころびかけた先生のお口元に間近で接していると、あの柔らかで優しいお声が聞こえるような気がして、やはり涙をこらえることは出来ません。
ご遺骸に接することにより、ある意味での踏ん切りはつきましたが、それでもこの喪失感は埋めようもなく大きいものです。
自分にとって、三木先生の存在が如何に大きなものであったか、改めて思い知った次第です。

お通夜の間、三木先生のお作りになった曲がずっと会場に流されていました。
どれも私にとっては大切な曲ばかりですが、殊に「秋の曲」や「華やぎ」は胸に迫って、たまらない思いにさせられました。
しかし、本当にしみじみ美しい曲だなと思ったことも事実です。
このような曲を、それこそ数多生み出された先生が黄泉の国に旅立たれてしまった。
しかし、この曲たちは既に、独自の命をもって永遠に響く存在となっている、そのこともまた、今日のお別れで実感したことでありました。

お通夜式に先立ち、三木先生もそのメンバーであり、また、男声版レクイエムを始め三木先生の声楽曲の初演を行ってきた東京リーダーターフェルとリーダーターフェル・ジルヴァーナのメンバーによって、リーダーターフェルのテーマ曲でもあるウェルナーの「野バラ」が献奏され、現代邦楽の発展において誠に大きな足跡を残された三木先生の、もう一つの大きな音楽的基盤であった合唱が、式場と三木先生の棺と祭壇に響き渡りました。

お亡くなりになるまで本当にお元気でいらして、ご自身の足でお歩きになることはもちろん、ご自宅の階段も何の苦もなく登り降りをなさっておられた三木先生。
敗血症によるご逝去と仄聞しましたが、10年を超える長きにわたったがんとの闘いの中で、最後は骨への転移もあったとのこと。
まだまだやり残されたお仕事はたくさんおありではなかったかと思われますが、日本史オペラの完成で一区切りついたとお考えになられたのでしょうか。

「自分がこれから作りたい音楽のこと、やらなければならないことなどを考えると、自分に残された寿命ではとても足りない」

知命の前後からそのように仰っていた三木先生。
ご自身の寿命という時間に勝つことはかないませんでしたが、先生の音楽は未来に向けてさらなる輝きを増して、世界に響き渡ることでしょう。
この、三木先生のお残しになった作品を、恐らく時間は抹殺することなどできますまい。その、三木先生の分身たちは永遠の命を宿されたのですから。
それを私は確信しているのです。

どうも、気持ちの上では、何も整理がついていないようです。
そのためにいつも以上に支離滅裂な文章になってしまいました。
三木先生のことを、自分の中で総括するためには、まだもう少し時間が必要な気がします。
すみません。

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コメント 8

Cecilia

三木稔さんのお通夜に参列されたのですね。葬儀に参列できないのは残念でしたが、近くでお別れできて良かったですね。
今後三木さんの音楽を聴く時に聞き流すことはできないような気がします。
素晴らしい先生に出会えた伊閣蝶さんは幸せだと思います。
by Cecilia (2011-12-12 09:44) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
温かなコメント、本当にありがとうございます。
お近くでお別れができたので、少し気持ちの整理がつきました。
とは申しつつも、折に触れて、例えばこのブログの写真などを見ていると、もう三木先生はこの世にはおられないのだなという現実が胸に迫ってきます。
それでも、やはり、お会いできて本当に良かった。三木先生にお会いできたことは、私の生涯にとって最も大きな恩幸の一つであったと、つくづく感じております。

by 伊閣蝶 (2011-12-12 12:19) 

夏炉冬扇

こんばんは。
新聞にお亡くなりになった記事が出ていました。有名な方なのですね。
by 夏炉冬扇 (2011-12-12 18:07) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
己の信ずる道を、ぶれることなくまっすぐに突き進んでこられた、真に尊敬できる芸術家であったと、私は思っています。
残念ながら、世界(特に欧米)における圧倒的な高い評価に比べて、日本での評価は不当なほど低かったと感じてはおりますが。
by 伊閣蝶 (2011-12-12 18:15) 

hirochiki

三木先生の遺影のお写真は、本当に素敵な笑顔ですね。
その笑顔に先生のやさしいお人柄が偲ばれるような気がします。
お通夜に参列されてもまだお気持ちの整理がつかないとのことですが、
やはりそれだけ先生と伊閣蝶さんの心の繋がりが深かったということだと思います。
先生は、10年以上がんと闘いながらも素晴らしい作品を残されたのですね。
無理に総括されようとなさらず、どうか自然なお気持ちでお過ごし下さい。
それから、寒くなりましたので、くれぐれもお身体にご自愛下さいね。
by hirochiki (2011-12-12 21:11) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
温かなお気遣いのコメント、本当にありがとうございます。
三木先生は本当に笑顔の素敵な方でした。
純粋で、人を疑うことを知らない少年のような心を持ち続けておられ、それゆえに傷つかれたことも数多くあります。
本日、無事に野辺の送りも終わったとの連絡をいただき、それでもやはりまだ信じたくない気持が強いようです。
それゆえ、ご助言の通り、無理な総括をすることは止めにしたいと思います。自然な気持に任せて、私の心の中で静かにお見送りが出来れば、それが私にとっては最良のことではないかと考えます。
ありがとうございました。
これからまた一段と冷え込みが厳しくなるようです。
どうぞ、くれぐれもお体をお大切に、風邪など引かれませぬよう、お気を付けになってお過ごし下さいね。
by 伊閣蝶 (2011-12-13 00:34) 

tochimochi

三木稔さん、存じ上げていない方でした。
でも記事から多くの音楽関係の方から慕われた方ということが分かります。
ご冥福をお祈りします。

by tochimochi (2011-12-13 19:13) 

伊閣蝶

tochimochiさん、こんばんは。
温かなコメントをありがとうございます。
お人柄だったのでしょう、三木先生は確かに多くの方々に慕われていました。
あれだけの音楽を作りながら、決して奢り高ぶるところのない方で、それがまた大きな魅力のひとつであったのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2011-12-13 23:40) 

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