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いのちのこと(「銀河鉄道の夜」など) [日記]

11月になりました。
今日も秋晴れの爽やかな日となりました。

風邪を引いて熱が出てしまったので、昨日は会社を休んでしまいましたが、その甲斐あって平熱に下がったので、今日は普通に出勤しました。
出勤後、同僚や上司にお休みをいただいたお詫びを申し上げると、どうやら風邪やインフルエンザが流行っているようです。
気温の著しい変動が続いていたので、体温調整がうまくいかなくなったことも大きな原因なのでしょうが、学級閉鎖になった学校もあったとのこと。
気をつけたいものです。

昨晩、熱が下がったのでネットの記事などを見ていましたら、サーチナに興味深い記事が載っていたのでご紹介します。

【中国ブログ】「日本人はゴキブリをつまんで逃がす?」留学生が感銘を受けた日本の害虫駆除

飛んで来た蚊を躊躇なく叩き潰した筆者(中国人留学生)に対し、なぜ刺してもいない蚊を殺すのか?と真顔で尋ねた日本人の態度に驚いたのだそうです。
さらに、彼がバイト先の倉庫でゴキブリに遭遇した時に、殺さずティッシュでつまみ上げて店の外に放り投げた日本人のことにも触れ、
「私は蚊やゴキブリを見たら殺すことを真っ先に考えてしまっていたが、日本人はまず第一に逃がしてやろうと考える。この違いに非常に驚いた」

と綴っているそうです。

彼の出会った日本人は何れも少数派ではないかとこの記事では述べていますが、意外にそういう行動に出る人は多いのではないかと私は思っています。
小さな虫を指先で殺すな。その虫があなたに一体何をしたというのか。

子供の頃、私はこの言葉を読んで深く感じ入り、そしてとても悲しい想いに包まれました。

その頃の私は(子供は大抵そうだったと思いますが)昆虫が大好きで、カブトムシやクワガタやセミや蝶やバッタやカマキリなど、手当たり次第に捕まえては、粗末な虫籠や、下手をすると菓子箱の類にまで押し込んで悦に入っていました。
もちろん、殺してしまおうだなどと考えていたわけではなく、とにかく自分の手元に確保しておきたい、という気持ちからだったのだろうと思います。
しかし、そんな扱いをすれば、虫たちが死んでしまうのは当然のこと。
それでも、「次にはきっとちゃんと飼ってやるのだ」などと出来もしない妄想を抱いて、補虫網を片手に野原を走り回っていたのです。

先に書いた言葉は、そんな蛮行を繰り返していた時に、ふとしたきっかけで目にしたもの。
子供心に自分のこれまでの非道な行いに恥じ入る思いであったのでしょうね。私は次第に昆虫採集をしなくなっていったのでした。

それ以来、私は、ハチやブヨやアブや蚊などが攻撃目的で刺したり血を吸ったり噛みつきに来たりする場合を除いて、無意味に虫を殺すことをしなくなりました。
ベランダの鉢植えの葉に毛虫や青虫が付いていれば、袋などに捕って近所の公園に放しに行きますし、部屋の中に入り込んだハエなどは団扇などを使って外に出すようにしています。
結局自分の目に触れるところから排除しているだけではないか、などの批判は甘んじて受けざるを得ませんが、それでも私の生活空間から出ることによって他に生きる一縷の望みがあるのであれば、それはそれで良いのではないかと、私は勝手に考えているのです。

私の周囲にも、そうした小さな命を簡単に奪うことに躊躇する人々がかなりの数おります。
だからこの記事を読んで、なるほどこれはある種の国民性もあるのかもしれない、と考えてしまいました。

そういえば宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に、次のような描写がありましたね。
川の向う岸が俄に赤くなりました。
 楊の木や何かもまつ黒にすかし出され、見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。
 まつたく向う岸の野原に大きなまつ赤な火が燃され、その黒いけむりは高く桔梗いろのつめたさうな天をも焦がしさうでした。ルビーよりも赤くすきとほり、リチウムよりも、うつくしく醉つたやうになつてその火は燃えてゐるのでした。
「あれは何の火だらう。あんな赤く光る火は何を燃せばできるんだらう。」ジヨバンニが云ひました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが又地圖と首つ引きして答へました。
「あら、蝎の火のことならあたし知つてるわ。」
「蝎の火つて何だい。」ジヨバンニがききました。
「蝎がやけて死んだのよ。その火がいまでも燃えてるつて、あたし何べんもお父さんから聽いたわ。」
「蝎つて、蟲だらう。」
「ええ、蝎は蟲よ。だけどいい蟲だわ。」
「蝎いい蟲ぢやないよ。僕博物館でアルコールにつけてあるの見た。尾にこんなかぎがあつて、それで刺されると死ぬつて先生が云つたよ。」
「さうよ。だけどいい蟲だわ、お父さん斯う云つたのよ。むかしバルドラの野原に一ぴきの蝎がゐて、小さな蟲やなんか殺してたべて生きてゐたんですつて。するとある日、いたちに見附かつて食べられさうになつたんですつて。さそりは一生けん命遁げて遁げたけど、とうとういたちに押へられさうになつたわ。そのとき、いきなり前に井戸があつてその中に落ちてしまつたわ。
 もうどうしてもあがられないで、さそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云つてお祈りしたといふの。
 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとつたかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた。それでもとうとうこんなになつてしまつた。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだを、だまつていたちに呉れてやらなかつたらう。そしたらいたちも一日生きのびたらうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてず、どうかこの償には、まことのみんなの幸のために私のからだをおつかひ下さい。つて云つたといふの。そしたらいつか蝎はじぶんのからだが、まつ赤なうつくしい火になつて燃えて、よるのやみを照らしてゐるのを見たつて。
 いつまでも燃えてるつてお父さん、仰つしやつたわ。ほんたうにあの火、それだわ。」
「さうだ。見たまへ。そこらの三角標はちやうどさそりの形にならんでゐるよ。」
 ジヨバンニはまつたくその大きな火の向うに、三つの三角標が、さそりの腕のやうに、こつちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのやうにならんでゐるのを見ました。そしてほんたうにそのまつ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。

病床にあった賢治にせめて精の付くものをと、母親が貴重だった鯉の肝を入手して食べさせようとしたとき、彼は「そういう可哀そうなものを食べてまで生きようとは思わない」と泣いたそうです。
賢治の早世はその菜食主義原因なのではないかとの指摘もあり、それゆえにこのサソリの火の下りは胸にしみるものがありますね。

こうした死生観に共鳴を覚える人の割合は、もしかすると日本人には多いのかもしれません。
この記事を読んで、ふとそんな感慨に浸ったのでした。
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hirochiki

今日はご出勤されたとのことで、少し安心いたしましたが
お仕事はご無事に終えられましたでしょうか。
風邪はわかりますが、もうすでにインフルエンザも流行っているのですね。
私も、気をつけたいと思います。

昆虫採集のお話を読ませていただき、伊閣蝶さんのどんな小さな命も尊ぶやさしいお気持ちを感じました。
でもそれは、うちのブログにいただくコメントを読ませていただいて、いつも感じていることです。
宮沢賢治が母親に話した言葉もまた、温かい気持ちになりますね。

この後もあまりご無理をされず、くれぐれもお大事になさって下さい。
by hirochiki (2011-11-01 19:43) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
連日の、温かな思いやりに溢れるコメント、本当にありがとうございます。
おかげさまでちゃんと勤め終え、無事に帰宅しました。
インフルエンザまで流行っているとは私も知りませんでしたが、本当に気をつけなければと思っております。今後も無理をしないように気をつけたいと思います。
hirochikiさんもどうぞくれぐれもお気をつけ下さい。

虫の命の記事について、過分なるコメントを頂き、恥じ入るばかりです。
うまくいえないのですが、自分がされて嫌なこと悲しいことは、ほかのものに対してもしたくない、という気持が強いからかもしれません。
一つの命が産まれてくるのは、数々の偶然が奇跡的に合致することよるものではないかと考えていて、この地球上にこれほど豊かな命が溢れている意味を大切に考えたいと思っているところもあります。
それでも、人は、ほかの生き物の命を奪うことによって生命をつなぐという宿業もまた背負わざるを得ない。
それだけに、宮沢賢治の「蠍の火」に、深く感じ入ってしまうのでしょうか。

by 伊閣蝶 (2011-11-01 21:05) 

Cecilia

「銀河鉄道の夜」に関する記事を書いたことがあります。
http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/2005-11-12-2
「銀河鉄道の夜」、何度読んでも理解できない部分が多いです。
伊閣蝶さんほど経験はないのですが子供の頃は虫取り(主にセミとかトンボ)をしました。わざと殺すことはなかったですけれど、一時期はまったのは交尾中の虫をわざと引き離すことでした。
害虫に関してですが、田舎で育ったこともあって少々家の中にいても平気です。ただネズミは困りますね。今住んでいる家は古い借家なのですけれどたまにネズミが出るんです。
粘着テープ式のネズミ捕りを仕掛けておくのですが、尻尾の先だけついてしまった子ネズミを見たときはかわいそうで近くの川原に持っていって置いてきました。そうしたと言っても長くはないと思うのですが。

by Cecilia (2011-11-02 09:57) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
以前お書きになった記事、拝見しました。
仰る通り、この物語が果たして子供たちの童話として適切かどうか、誠に疑問ですね。
もともと浄土真宗の家に生まれた賢治が、法華経に感化され父親とけんかしてまで国柱会に入りながら、何故かキリスト教的な思想を物語の中心においているように思われるところからして、混乱してしまいます。
この物語は1924年に初稿が出てから1931年の4稿までかなり大胆な改訂がなされていて、愛する妹のトシが亡くなったことが執筆の契機であったのかもしれませんが、その後の羅須地人協会の結成や労働農民党へのラポールなどによって大きく変わっているような気もします。
カンパレルラがザネリを助けるために川に入ったり、カンパネルラのお父さんが登場するのは第4稿ですし、物語の底に流れる死生観にも大きな変動があったのでしょうね。
そもそも、この物語は賢治としては未完成という扱いだったということですから、彼が構想した本来の姿はまた違ったものであった可能性もあります。
父親とけんかしてまで帰依した国柱会でありましたが、その実態が国粋主義であり、国家のための宗門として国家の護持を宗旨とし、一般の民衆に眼を向けるような本来の意味での法華経の求める世界とは隔絶していたことを知って、後には嫌悪するようになった、という話もあります(「宗教風の恋」や「心相」などの詩をご参照のこと)。
結局、賢治の求める真の意味での救済信仰は、賢治自身の思想の中でしか完結し得ないものであったのかもしれません。
既成宗教の中からそれを見つけ出そうとして、それがキリスト教的な救済思考につながったということも言えましょうか。
「銀河鉄道の夜」は、そうした賢治の救済信仰に基づいて書かれているような気がします。
いずれにしても、物語としての大きな収まりをつける前の1933年に賢治が亡くなってしまったことは、誠に無念極まりないことでありました。

ところで、子ネズミのこと。
恐らく私も同じようにしただろうなと思います。長くはもつまいと感じつつも。
by 伊閣蝶 (2011-11-02 14:00) 

夏炉冬扇

こんばんは。
小さな虫、殺してるんですよね。南無阿弥陀仏。
by 夏炉冬扇 (2011-11-02 21:45) 

伊閣蝶

夏炉冬扇さん、こんばんは。
畑で作物をお作りになる立場上、害虫の存在はやはり自分自身への攻撃と捉えざるを得ないと思います。
私も、アブラムシなどは駆除しています。
by 伊閣蝶 (2011-11-02 23:23) 

朝比奈 千歳

私のような小童(下手すれば「ゆとり」とも言われそうだが)には気難しい話です。

しかしもし記事にある日本人のような方に溢れていたらこの国のあらゆる事象が、国民性もまた大きく違っていたでしょう。
次世代に不手際を押し付ける政治家などもいなくなっていることでしょう。

>彼がバイト先の倉庫でゴキブリに遭遇した時に、殺さずティッシュでつまみ上げて
私はそのあとトイレにティッシュごと流しています。不徳ですみません。

しかし人間も昆虫も、リスクを背負って腹をくくる覚悟はこの現世では必要不可欠でも一種の不可抗力でもあります。

by 朝比奈 千歳 (2011-11-03 17:05) 

伊閣蝶

朝比奈千歳さん、こんばんは。
そうですね。
私も、自分の極私的な体験に基づいたことを書いているのにもかかわらず、それが全てに敷衍されているかのごとき書き方は不用意でした。
海外の人に日本人がそのように思われたという記事にシンパシーを感じて、それを契機に自分の幼児体験をたどってみた、というところでしょうか。
また、この記事に書いたような人々は、どうも政治家にはなりたがらない人のようにも思われます。市井の名もない人の中にはそれなりにお見かけしますが。
きっと、政治家はまた違った感性を必要とする「職業」なのでしょうね。
by 伊閣蝶 (2011-11-03 22:30) 

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