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秋の桜の花と読書 [日記]

sakura1018.jpg朝のうちは曇り空のはっきりしないお天気でしたが、昼からは青空も広がり、柔らかな陽射が降り注いできました。
日比谷公園では、バラの花などが盛りになっていますが、その中にあってタンポポなど、春の花も咲いています。

狂い咲きなのでしょうか。

さらに驚いたことには、桜の木まで花をつけ、若葉が出てきています。
秋口から冬にかけて咲く桜(十月桜や冬桜など)もありますが、どうもソメイヨシノっぽいような気もして、これも狂い咲きなのだろうかと首をかしげてしまいました。

でも、寒暖の差が結構激しいこんな状況では、花だって間違えてしまうかもしれませんよね。
少なくとも今咲いている花は今年の夏を知らないのですから、人間のように「あの暑い夏が過ぎたから秋なのだ」なんて考えるすべもないことでしょう。

いずれにしても、ちらほらと咲く桜の花の可憐さに心がなごむ思いがして、散歩の足取りも軽くなってしまいます。

秋といえば「読書」などと、子供のころは良く学校の先生にハッパをかけられましたが、秋の夜長を本を読みながら過ごすという贅沢な楽しみから遠ざかってどれほど経つのかなと、ふと思い返しています。
仕事柄、日々膨大な文書に目を通していますから、老眼が進んでいることもあって、時折活字には辟易とさせられます。
とはいえ、もともと本好きだったこともあり、今でも入浴の時に本を持ち込んだりなどして、家内に叱られたりするのですが。

さて、様々な本がある中で、冒頭の数行に目を奪われるような作品にしばしば出会います。
本屋で立ち読みをしていてそんなことに出くわすと、「当たった!」などと口ずさみ、その場で買って帰ってしまう羽目に陥ったりするわけですが、それこそ枚挙のいとまもありません。

「木曽路はすべて山の中である」
「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く」
「ある朝、不吉な夢から目覚めたグレゴール・ザムザは、自分が一匹の巨大な甲虫に変わっていることに気付いた」
「今日、ママンが死んだ。もしかしたら昨日かもしれないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった」
「国境の長いトンネルを越えると、そこは雪国だつた。夜の底が白くなつた」
「私はその百日紅の木に憑かれていた。それは寿康館と呼ばれている広い講堂の背後にある庭の中に、ひとつだけ、ぽつんと立っていた」

何だか記憶の赴くままに、何も手元にない段階で頭に浮かんできたものを列記してしまいましたが、何れも良く知られた「名作」の冒頭のフレーズではないかと思います。すばらしい呼吸ですよね。

また、

「いづれの御時にか女御更衣あまたさぶらひたまひけるなかにいとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めきたまふありけり」

とか、

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」

などのような文章も、日本人の血肉のようなものとして刻みつけられていることでしょう。

そんな中で、私はある小説を手に取り、次の書き出しを読んで息を飲んだ記憶があります。
二年ばかり前のこと、薄い靄のかかつた或る晩秋の日の午後、私は或る郊外電車のG駅へ通ずる広いバス道路を歩いてゐた。

淡々としたなんのてらいも修辞もない普通の文章に見えますが、私のようなど素人には逆立ちしても書けない表現です(こうした表現を生み出すために、職業的な小説家がどれほど苦労することか)。
作者は上林暁で、「野」という作品です。
典型的な私小説で、文学を志す男が妻と子を抱えて日々の暮らしに困窮しつつ、気晴らしかたがた野に出て様々な人との行き交いや風景を眺めて物思いにふける、といった何の変哲もない内容です。
しかしそれが、このような平易で何のけれんもない文章で綴られていく時、読者はその中からいわく言い難い深い滋養のようなものを得ていくことができるのではないか、私はそう思います。
「野」は、長い間、現代日本文学全集などのような本の中でしかお目にかかることができず、畢竟私も図書館で上林暁の巻を借りてきて読んだものです。
ありがたいことにそれが昨年、「薔薇盗人」「聖ヨハネ病院にて」などの代表作とともに講談社文庫から刊行されました。
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もうひとつ、これは高校生の頃のことですが、友人からある小説の単行本を貸してもらい、その書き出しを読んで私は強く心を打たれたのでした。
人はなぜ追憶を語るのだろうか。
(中略)それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持がするのだろうか。

蚕棚と隣り合わせで、あの独特な臭いと蚕が桑の葉を食べる音を聞きながら眠りについた記憶のある私は、この書き出しを読んで「当たりだ!」と叫んだのです。
北杜夫の長編処女作「幽霊」との出会いでありました。既に「どくとるマンボウ航海記」を読了していたので、そのあまりの違いに面食らいもしたものです。

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ムース

読みたい本を買っても買いっぱなしになってしまいました。最近では小説を読破するのは厳しく、新書を拾い読みする程度で恥ずかしい限り。長い小説が多いのも一因で、その意味ではカフカの「変身」は短いこともあり珍しく数回読めました。確かにあの冒頭は素晴らしいです。
「今日、ママンが死んだ・・・。」確かに何かで読んだような気がしますが、タイトルが思い浮かびません。気になるのでご教授いただけると幸いです。
by ムース (2011-10-18 23:24) 

伊閣蝶

ムースさん、こんばんは。
カミュの「異邦人」です。
クライマックスでアラビア人を殺す描写が凄まじく、やはり印象に強く残りますね。
私も若い頃は、難解な小説を頑張って読破する、という気概がありましたが、近頃はさっぱりです。
でも、逆に言えば、最後まで読者の知的興奮を導いてくれる長編小説自体がなくなってきている、ということもあるのではないでしょうか。
by 伊閣蝶 (2011-10-18 23:41) 

hirochiki

最近は、色々な方の記事で桜の花を拝見します。
やはり温暖化の影響なのでしょうか。
私も、ここ一年ほど急に老眼が進んでしまい、新聞を読むのも大変です。
読書もしたいなあと思うのですが、
仕事でPCを使う仕事が増え目が疲れてしまい、なかなか本の扉を開けることができずにいます。
休日の時間のある時には、読書もしたいと思います。

by hirochiki (2011-10-19 05:47) 

Cecilia

やはり名作とよばれるものは冒頭の数行で勝負が決まると言ってもおかしくないですね。今突然「石炭をば早や積み果てつ。」が浮かんできました。
また藤村はマイナーな作品を多く読んでいて(その関連で北村透谷も読みましたが)「夜明け前」は途中までしか読めていません。きちんと読まなければと思うのですが。
by Cecilia (2011-10-19 09:41) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
桜の花、かなり多くの事例があるようですね。やはり全国的な傾向なのでしょうか。
そう思うと何だか気がかりです。
hirochikiさんも老眼が進んでおられるのですか。
止むを得ないこととは思いますが、暗い所で小さな字を読むと眉間が痛くなった来たりします。
テレビやデッキなどの配線を裏に回って確かめるときなど、本当に困ってしまいます。
本を読むのにも老眼鏡が欲しくなってしまいますので、私もだいぶ読書量は減ってきました。
それにしてもPCは疲れます。目の疲労から来るのでしょうが、肩も凝ってしまうし、動かないから腰も痛くなってしまいますね。便利なものではあるし、仕事上使わないわけにはいかないものではあるのですが。

by 伊閣蝶 (2011-10-19 12:01) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
書き出しと掉尾の文章を思い付けば、それで小説は書けたも同然だ、というようなことを言ったのは確か菊池寛でありましたでしょうか。蓋し名言だなと思います。
「舞姫」は私も真っ先に浮かんできました。
後期の謹厳な文体からは想像もつかないほど絢爛たる華麗な作品ですよね。とても28歳で書かれたものとは思えません。
ところで北村透谷とは渋いところですね。「厭世詩家と女性」などに私もかなり影響を受けました。
藤村は、むしろ定型詩でのあの心地よいリズム感が好みでした。
また「家」などからもかなり強烈な印象が残っています。
童話(「二人の兄弟」など)もなかなか示唆に富んでいたなと、改めて思い返しました。
by 伊閣蝶 (2011-10-19 12:02) 

節約王

こんばんは。桜の花の狂い咲き、確かに奇妙な現象ですよね。確か昨年も同じような事があったと記憶しています。1年で2度桜が楽しめると前向きに考えています。
さて、本の冒頭の文章をそこまで明確に空で表現できること、その記憶力に驚かされました。私も「今日、ママンが死んだ・・・。」確かに見た記憶がかすかにありますが思い出せませんでした。カミュの「異邦人」ですか、又改めて読んでみたくなりました。どうせ読むなら電子書籍ではなく本で読みたいと思います。

by 節約王 (2011-10-20 19:04) 

伊閣蝶

節約王さん、こんばんは。
狂い咲きの現象、昨年もそうした事例があったということは、やはり暑い夏が影響しているのかもしれませんね。
確かに、一年で二度も花が楽しめるわけですから、これは前向きに考えてもいいように思います。
「異邦人」よろしければ、是非ともご再読ください。
私もどうも電子書籍は苦手で、やっぱり本を買ってしまいますね。
by 伊閣蝶 (2011-10-20 21:22) 

九子

北杜夫、ドクトルマンボウシリーズは何冊か読みましたが、「楡家の人々」を手にとって、私も余りの落差に驚いたクチです。遠藤周作さんの落差にも驚きましたが、北杜夫さんの場合は「能ある鷹の爪」を感じました。
北杜夫さんは自分と同病でもありますし(深刻さはまったく違いますが(^^;;)私にとって特別の存在です。
by 九子 (2011-11-04 22:06) 

伊閣蝶

九子さん、こんばんは。
北さんの著作を読むと、仰る通り、その落差に驚かされますよね。
でも、仔細に読み進めると、結局同じなんだなと思わされます。
遠藤周作さんと北さんを、同じようにお取り上げになったことは、私もかなり賛同するところで、このお二人にはそうした点でもかなりの共通点があるのではないでしょうか。
北さんは、ご自身の病気を、小説という形で相対化しておられ、これは本当に斬新な感覚だなと思われました。
鬱の自分、操の自分を、あれだけ客観的に見つめることができれば、むしろ救いがあるかなと考えてしまいました。
by 伊閣蝶 (2011-11-05 00:12) 

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