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菱田春草、マリア・カラス、大杉栄、伊藤野枝の命日 [映画]

今日は、菱田春草の命日で没後100年になるのだそうです。
春草は36歳という若さで亡くなりました。
横山大観とともに岡倉天心の強い影響下で日本画の新たな表現を様々な方向から試み、近代日本絵画発展の礎を築いた画家で、その早すぎる死は各方面に大きな悲嘆を齎したそうです。
あの横山大観が、自身を日本画の大家と評せられるたびに「春草の方がずっと上手い」と応えた逸話からもそのことがうかがえます。
これは、1900年に描かれた「竹に猫」です(長野県水野美術館収蔵)。
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そしてこれは、代表作ともいわれる「落葉(1909年)」の一部です(茨城県近代美術館収蔵)。
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天心門下が試みた画法の一つである輪郭線を廃した無線描法や、空気遠近法を用いた深遠な空間技法など、実に深く美しい印象的な絵ですね。

また今日は、マリア・カラスの命日でもあり、もうあれから34年が経っています。
53歳で亡くなったわけですから、あの謎に包まれた死が訪れなければ今でも存命であった可能性は捨てきれず、いまさらながらに無念な想いにかられます。
カラスのオペラはもちろん筆舌に尽くしがたいほどすばらしいものですが、そのほかで私が特に印象に残っているのは、ピエロ・パオロ・パゾリーニ監督の「王女メディア」です。
ギリシャ悲劇の代表作である「王女メディア」の物語をここでいちいち表記する愚は避けたいと思いますが、このパゾリーニの映画の最も大きな魅力は、その大元の物語の筋よりも、その時代背景を描き出しそうとしたことにあるのではないかと私は思っております。
愛する男(イアソン)の野望を叶えるために自分の弟を殺し父に背いて「金毛羊皮」をイアソンに与えながら、結局そのイアソンに裏切られたため、イアソンの新しい妻とその父親を呪い殺し、イアソンとの間にできた自分の子供たちまで殺す…。
もちろんこのプロットそのものはそのまま引き継がれていますが、強烈な印象を残すのは、冒頭、古代コルキスにおける五穀豊穣の呪術的祭りのシーンなど、プリミティブな表現に係る部分ではないかと思います。
この生贄のリアルなシーンは、人によっては眼をそむけたくなるかもしれません。
しかし、こうした試みがあってこそ、この映画が単なる裏切られた女の復讐劇に堕ちることなく、映画を観ることによって私たちが得られる様々に創造的な喜びを届けてくれるのではないでしょうか。
それにしても、メディアを演じたマリア・カラス。
この当時、年齢は46歳であったはずですが、何ともため息が出るほど美しかった。
その存在感は恐ろしいほどのもので、彼女が啻に美声を誇るソプラノ歌手のみならず桁外れに優れた心理描写を役柄に注ぎ込み得る表現者であったことが分かります。
この王女メディアにおいて音楽面でもいくつかの斬新な試みが図られていますが、メディアが子供たちを殺す場面では日本の長唄が用いられていました。
その哀切極まりない響きに、子供を殺すメディアの深い悲しみが共鳴し、時間も空間も超えてしまうような想いにかられ、溢れる涙を抑えきれなかったことを思い出します。
この曲は、峰崎勾当作曲の「雪」であり、相思相愛であった男と女が、男の心変わりによって寂しい一人寝の身となった女の嘆きが謳われています。
聞くも淋しき独り寝の、枕に響く霰の音も、
若しやといつそせきかねて、
落つる涙の氷柱より、
つらき命は惜しからねども、
恋しき人は罪深く、思はぬことの悲しさに、
捨てた憂き、捨てた浮世の山かづら。

ぱらぱらと落ちる枕元の霰の音を、もしや男が戸を叩く音ではないかと思う女心が、とりわけ泣かせますが、パゾリーニが、この長唄の歌詞を承知の上で(恐らくそうなのでしょう)使ったのであれば、改めて彼の鋭敏な感性に驚嘆せざるを得ません。

さて、それからもう一つ忘れてはならないのは、大杉栄と伊藤野枝が、憲兵大尉・甘粕正彦らに虐殺されたとされるいわゆる「甘粕事件」の日であること。
あれからもう88年が経ちます。
その直前の関東大震災とともに、忘れることのできない事件の一つでありましょう。
この事件をテーマにした映画、吉田喜重監督の「エロス+虐殺(1970年製作)」は、正に彼の代表作のひとつともいえる作品であり、また、日本映画の中でも燦然と輝く傑作ではないかと思います。

このDVDは、残念ながら劇場公開版のようですが、吉田喜重監督のDVDBOXに収蔵されたのはロングバージョン版で、これは大変に充実した内容でした。
このロングバージョン版に関して、それが収蔵されたDVDBOXが発売された当時、早速購入して、その感想を書いていますので、宜しければご覧ください。

2005年1月の雑記

この雑記でも書きましたが、音楽を担当した一柳慧の表現がすばらしく、初めてこの映画を観た20代の前半、そのあまりに美しい旋律と衝撃的なプリペアド・ピアノの演奏に魂を奪われてしまったことを、いまさらながらに思い起こします。

本来であれば、どの項目も、きちんと整理をして一つ一つ記事にすべきなのでしょうが、奇しくも命日を同じうすることを以て、印象に残っていることどもを散発的にダラダラと、しかも大急ぎで書き連ねてしまいました。
いつも以上にまとまりのない散漫な文章となってしまいましたことをお詫びします。


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Cecilia

マリア・カラスの命日でしたか。
「王女メディア」はまだ観ていません。初めて聴いて印象に残っているのはベッリー二の「ノルマ」の中のアリアです。ドラマティックでありながら軽やかな技巧もこなせる稀なソプラノですよね。なかなか真似できませんが(でも昔は「ノルマ」のアリアを真似して遊んだかも・・・)、すごい歌手だったのだなあと思っています。ほかには「夢遊病の女」とか「椿姫」などを昔図書館で聴きまくったことがあります。46歳・・・声が円熟してこれから・・・と言う時期ですよね。カラスの場合は陰りが見えていたようですが。
by Cecilia (2011-09-16 14:36) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
私も新聞を読んで知りました。
カラスは、ドラマティコでも、リリコスピントでも、単なる劇的表現を超えたすばらしい声を聴かせてくれましたね。
本当にすごい歌手でした。
ルチア、ノルマ、ヴィオレッタ、トスカなど、恐らく他の追随を許さない表現ではなかったかと思われます。
ただ、仰る通り全盛期は10年くらいと短く、この王女メディアへの出演も、ソプラノ歌手として続けていくことの限界を感じたからこそ受けた、という話もあるくらいです。
でも、たとえ歌がなくても、これだけの表現のできる人だったのですから、やはり53歳で逝ってしまったのは痛恨の極みといえるのではないでしょうか。
by 伊閣蝶 (2011-09-16 17:51) 

hirochiki

菱田春草さんは、これだけ素晴らしい絵画を描かれながら
36歳という若さでお亡くなりになったことは、とても残念ですね。
きっとまだまだ素晴らしい絵画を描くことができたでしょうに。

「王女メディア」は観たことがありませんが、
マリア・カラスさんは、歌だけではなくその表現力も素晴らしく美しい方だったのですね。
46歳でそれほどの存在感があったのは、外見だけではなく内面の美しさもにじみ出ていたのではないでしょうか。
by hirochiki (2011-09-17 05:23) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
希有の才能を有しながら、夭折してしまう芸術家のことを思うと、本当に無念でなりません。
まだまだきっと素晴らしい作品を残されたことだろうと、空しい願いを抱いてしまいますね。

マリア・カラス、この方も不世出のオペラ歌手であり、演技者でもありました。
彼女も53歳という年齢で亡くなっています。
それでも、こうして、音楽以外の作品も残してくれているのですから、ありがたいことだと思っております。
「王女メディア」、もしも機会がございましたら、是非ともご覧下さい。
蜷川幸雄さんの舞台演出とはまた違った魅力を感ぜられることと思いますので。
by 伊閣蝶 (2011-09-17 12:09) 

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