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熊井啓監督「朝やけの詩」 [映画]

ぐずついた天気が続いていますが、そのおかげで熱帯夜からは解放され、その点はありがたい限りです。
それでも、今日は昼になってお天気が回復してきました。
日比谷公園ではセミの鳴き声が盛大に響き始めています。

さて、先日、以前に書いた映画関係の記事を眠らせておくのも残念なので、少しずつこちらで取り上げていきたい旨のことを書きましたが、調子に乗って掲載します。
熊井啓監督の「朝やけの詩」です。
画像は、例によってビデオ画面からのキャプチャなのでゴースト出まくりです。すみません。

*************** ここから ***************

公開年等 1973年東宝=俳優座 朝やけの詩の一場面
監 督 熊井 啓
脚 本 山内久、桂明子、 熊井啓
撮 影 岡崎宏三
音 楽 松村禎三
美 術 坂口武玄
録 音 太田六敏
照 明 榊原庸介
出 演 仲代達矢、北大路欣也、関根惠子、佐分利信

極私的感想-ブルドーザーを持った猿の集団…

ある就職試験の集団面接の情景を時折思い出すことがある。当時猖獗を極めていた観光開発の効果について、という話題が提供された。
私は憤然として、「観光業者や土建業者の利益のために、大切な山河が破壊されることには我慢がならない」と答えると、会社側は、「開発によって道路などのアプローチ方法が整備されることで、それまでは行きたくても行けなかった老人や障碍者の人が、高山や奥深い自然に親しむことが出来るようになるという効果もあるのでは?」と続けてのご下問。
ここで反対意見を申し述べることはこの就職先を諦めることにつながる、と頭の中ではわかっていながらも、私は「そんな自分勝手な理屈は人間の傲慢だと思う。自然は人間のためにあるのではない。ありのままの姿で残してこその自然なのではないか」などと答えてしまった。
そのときの私の頭の中には、映画「朝やけの詩」の中の長野県観光開発局の言いぐさが渦巻いていた。曰く「本県は風光明媚な大自然に恵まれております。ただ、このまま放置していたのでは宝の持ち腐れです。自然は全ての人々に開放してこそその存在価値が出てきます。私たちは、都会生活で自然を全く失ってしまった人々、様々な公害で苦しんでいる勤労者・一般大衆に、その疲れ切った心を癒す憩いの場所を提供しなくてはなりません。それは本県の義務であるというのが、我々観光開発論の根底を成すものであります。」というもの。
この試験官の発想もこれと大同小異だと思ったのである。
「朝やけの詩」の舞台が私の故郷のすぐ近くであることから、この映画は私にとって、誠に辛いものだった。霧ヶ峰・美ヶ原のビーナスラインが残した開発・自然破壊の爪痕が、実際に想像を絶するほどひどいものであったからである。
類い希な高層湿原も縄文時代の貴重な遺跡も、開発推進者には何の価値もなかったのだろう、次々とブルドーザーのキャタピラに巻き込まれていく。
カヌーイストの野田知佑さんは、「日本は、サルにブルドーザーを使わせたらどんなことになるのかという壮大な実験をしている」といった意味のことを仰った。
この映画を観るにつけ、そのことが思い起こされる。
いや、少なくともサルは、自分の生活環境における「程度」は知っていると思われるので、果てしない金銭欲に任せて自然を破壊しまくる人間よりも知恵は上かもしれない。従って、この言い方は「サルに失礼」かな。
だが、違った意味での知恵、つまり自然破壊に抵抗する人たちをいかに分断させ、効率よく土地を接収していくか、といった奸智には長けているわけだね。
そのあたりも憎らしいほど的確に描いている。

松村禎三の音楽は、オスティナートに近い変奏曲のような形式を用いて、この重く哀しい映像を際だたせている。
この印象的な主題は、ある時は弦を中心に重苦しく、ある時はギター独奏で、場面に応じた変化を紡ぎだしていきながら、ラストでは畳みかけるようにその速度を速め、夕映えの霧ヶ峰の映像に重なっていった。晩鐘のような鐘を背後に響かせて…。
こうした音楽の使い方は、例えば、この前年に作られた「忍ぶ川」にも見られる。ここでもギターの使い方が素晴らしかった。
松村禎三の映画音楽はどれも美しく印象に残るものばかりだが、私自身は、彼が自主制作として作った「ぼくのなかの夜と朝(ぼくが鳥になったら)」が一番好きだ。
ここで歌を歌っているのは、「黒猫のタンゴ」で有名な皆川おさむだった…。

岡崎宏三のカメラも、美ヶ原から槍穂連峰までの広大極まりない風景を雄渾に描きつつ、朝夫(北大路欣也)と春子(関根惠子)の切ないまでの愛の姿も優しく見守っていた。
その二つが融合する、あの朝やけの槍穂連峰を背景に二人が駆け上るシーンは実に美しい(上の画像)。

監督の熊井啓は長野県出身である。従って使われる方言もほぼ完璧だった。やはり、このあたりを故郷とする私にとって、このことは非常に大きな意味があって、安心して聞けることだけで感慨は深くなる。
特に、アポロ観光の取締役塚越を演じた永井智雄はうまかったなあ。彼は確か東京の小石川生まれだと思ったんだけれども。さすがに稀代の名優!

ところで、この映画、一点だけどうにも我慢ならない部分がある。
この映画は公開当時結構話題になったのだが、その一番大きな部分は、「関根惠子のヌード」だったのだ。
冒頭、関根惠子が全裸で湖に入るシーンがあり、泳ぐ関根惠子のアンダーヘアが見えたの見えないので、話題が沸騰。そのあおりを食って、お花畑でお互いに求めあう北大路欣也とのシーンまで、変に汚れた印象を受けてしまった。
もちろん熊井監督の描きたかったところはそんな部分ではないわけで、これにはいたくお腹立ちであったとのこと。
今見直しても、これらのシーンは浮きまくっていると思う。何だか大切にしたいものが、土足で踏みにじられているような、そんな切ない感じを受けている。
これらのシーンがなくても十分にこの映画は成り立ち得るし、むしろその方がよほど感動的なものになっていたのではないか。返す返すも無念でならない。

*************** ここまで ***************

私が映画関係の記事を書いてみようと思ったきっかけは、私が大好きな映画なのに残念ながらビデオ化されておらず、しかも再上映の機会もなかなかない作品がたくさんあり、何とも無念極まりないなあ、という想いからでした。
そんな作品の中でも、例えば東京国際映画祭の開催などをきっかけにテレビで放映されたりすることがあり、そんな機会をとらえて録画したテープを、劣化を防ぐためにDVDに焼いてきました。
その際、せっかくだから感想などを書いておこうと思い立ったわけです。

その後、ありがたいことに、いくつかの作品はDVD化されることになったのですが、この「朝やけの詩」は、未だにDVDはおろかビデオにもなっていません。
「地の群れ」のような部落問題を扱った微妙な作品でも一度はビデオになっていることを考えると、これもまた残念な限りです。
また、熊井啓監督には、未だにビデオ化はおろか、完全な形での再上映もなされていない傑作「黒部の太陽」があります。
熊井啓監督が亡くなった折、私は熊井監督と「黒部の太陽」に関する雑感を書いたことがありますが、今、改めて思い返してみても、二重三重に無念でなりません。
石原裕次郎さんの、この映画に込めた思いはわからなくもありませんが、「劇場で観て欲しい」という言葉を曲解し、ビデオ化を拒否した挙句、劇場での再上映もしないという石原プロの態度は誠に度し難いものがあります。

話がちょっとずれてしまいましたが、そんなわけでこの「朝やけの詩」の録画テープから作ったDVDは、私のライブラリ(大袈裟ですね)の中でもとりわけ貴重なものの一つです。

ところで主演の関根恵子さん。
この当時は正に若さ溢れる女優としての絶頂期であり、本当にまばゆいほどに美しかった!
その表情の一つ一つに現れる存在感の大きさは格別なものがありましたね。

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hirochiki

「朝やけの詩」はもちろん一度も観たことがありませんが、「なるほど」と思いながらこの記事を読ませていただきました。
>自然は人間のためにあるのではない。
このことは、今回の震災で思い知らされた気がしております。
皆川おさむさんは、「黒猫のタンゴ」の印象しかないのですが、大人になってからも歌をうたっていらっしゃったのでしょうか。
関根(高橋)恵子さんは、今でも時々母親役でドラマに出演されたりしていますが、現在はお上品でとても美しいというイメージがあります。
素晴らしい映画は、DVDやビデオ化は無理としても、せめて再上映はしていただきたいですね。
by hirochiki (2011-08-01 16:01) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
早速のコメント、ありがとうございました。
お風呂の修理は無事に進んでおられますか?
暑い時期ですから、早く修繕がお済みになるようにと願っております。
「自然は人間のためにあるのではない」
これは当たり前のことなのにもかかわらず、ついつい忘れてしまうほど、不断の私たちは自然に対してあまりにも傲慢なのかもしれません。
先日の大震災は、その当たり前のことを痛感させてくれました。

ところで、皆川おさむさんは現在グラフィックデザイナーをなさっておられ、歌の世界は声変わりを機におやめになっているようですね。

関根恵子(現在の高橋惠子さん)は、この時期、本当に輝くほど若く美しい女優でした。
しかし、様々なストレスも抱えておられたのでしょう、睡眠薬自殺を図ったり、男性と海外に逃亡したりと、いろいろな事件を起こし、一時、引退の危機までありました。
きっと、高橋伴明監督とのご結婚によって救われたということなのでしょう。
今は、仰る通り、とても素敵で上品な役柄を演じておられます。

映画の再上映、いろいろと権利問題などがあり難しいのでしょうが、これは万人の財産なのですから、是非とも良い方向に解決してほしいなと、痛切に思います。
by 伊閣蝶 (2011-08-01 18:04) 

節約王

こんばんは。記事拝見しました。サルにブルドーザー・・・・実に痛烈かつ分かりやすい表現ですね。おっしゃるとおり人間の為だけを考えてはいけないと思います。地球温暖化や異常気象もそのつけが回ってきた、つまり人間雄為ばかり考えた挙句、人間が苦しむ事になり、その代表的な温暖化は40度を超えることが当たり前になった今われわれも実感していると思います。就職試験での伊閣蝶様の信念あるお言葉、痛快でした。お年寄りがアクセスできる環境も確かに大切ですがその結果温暖化で昨年は数多くのお年寄りが熱中症で亡くなられた事実ははたして無視できるのか?。と私も思います。
「朝やけの詩」すばらしい作品のようですが興行収入目当ての不要な演出は私も残念だと思います。私も映画が大好きですがはやりいい作品を見ていい気分になっているのに”興行収入目当ての不要な演出”は大変残念に感じます。一時的な利益よりも文化的な価値を重視した作品や監督のほうが結果的に大きな収穫を得ていると思いますので。
by 節約王 (2011-08-01 19:20) 

hirochiki

おはようございます。
いつも心温まるコメントのレスをありがとうございます。
おかげさまで、お風呂の給湯器は無事に新しいものに交換していただきました。
昨晩は、ゆっくりとお風呂に浸かることができ幸せな気持ちになれました(*^_^*)
by hirochiki (2011-08-02 05:39) 

Cecilia

ビーナスラインを通って霧が峰まで行ったことがあります。
http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/2006-08-06
私のように山に慣れてない人間でも、また運転がうまくなくても楽しむことができたというのは道路が整備されたおかげと言えるのかもしれませんが、そのために犠牲になったものも多いのでしょうね。私が行ったときはビーナスラインもかなり渋滞していましたし排気ガスの影響もあるのでしょうね。

>「開発によって道路などのアプローチ方法が整備されることで、それまでは行きたくても行けなかった老人や障碍者の人が、高山や奥深い自然に親しむことが出来るようになるという効果もあるのでは?」

はっきり言って利益のためだと思うのですが、弱い者の立場になっているかのような言い方に腹が立ちますね。

駒ケ岳にロープウェイで登った時に下方に枯れた木々がたくさん見えました。いくら便利になっても肝心の自然の美しさが損なわれては何もなりませんね。
by Cecilia (2011-08-02 09:17) 

伊閣蝶

節約王さん、こんにちは。
「サルにブルドーザー」。野田知佑さん著書でこの一文を読んだ時には、膝を打って共感したものでした。
人間の飽くなき欲望のために自然が破壊され、それツケが地球温暖化や異常気象というかたちで回ってくる…。仰る通りと思います。
お年寄りや障碍者のためにといいつつ、その影響を真っ先に受けるのがこうした社会的な「弱者」であるとすれば、結局、開発(破壊)側は詭弁を弄していたということになるのでしょう。嘆かわしいこととつくづく思います。
興行収入目当ての不要な演出、これも全く同感です。
配給会社は、結局、利益を得るためのものとして興行物を扱っていますから、そうした方向に流れるのでしょうが、観客が喜ぶであろう、などと想定してのことであれば、観客を蔑視しているわけであり、舐められたものだなと腹立たしくなりますね。

>一時的な利益よりも文化的な価値を重視した作品や監督のほうが結果的に大きな収穫を得ている

長い目で見れば仰るとおりでしょう。
しかし、制作現場のスタッフたちにしてみれば、「売れない」ことは即破綻に直結してしまいます。悲しいことですが。
映画を観る側の方にも、確かな価値観が求められるということでしょうね。

by 伊閣蝶 (2011-08-02 12:17) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
こちらこそ、いつも思いやりにあふれた温かなコメントを頂戴し、心より感謝申し上げます。
お風呂の給湯器、無事に交換がお済みになったとのこと。
安心しました(*^_^*)
私もお風呂は大好きなので、幸せなお気持ちに浸られたこと、とっても良くわかります。
ところで皆川おさむさんが歌った「ぼくが鳥になったら」の映画は、筋ジストロフィ症の男の子を題材としていて、この歌は症状が進み動くこともままならなくなった「ぼく」が、大空を自由に飛ぶ鳥に想い乗せた心境を描いたものです。明るい曲想ですが、何ともいえない想いが胸にしみてきます。

by 伊閣蝶 (2011-08-02 12:18) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
蓼科へのご旅行の記事、早速拝見しました。
ローランサン美術館にお立ち寄りとのこと。
ローランサンとアポリネールの悲劇的な恋と、そこから生み出された「ミラボー橋」。
「ミラボー橋の下をセーヌ川が流れ/われらの恋が流れる…」
レオ・フェレのシャンソンを聴いたりすると、何だか胸にしみてきます。
「死んだ女より、哀れなのは忘れ去られた女です(マリー・ローランサン)」
ビーナスラインは私の地元でもあるので、しばしば車で出かけますが、運転しやすい道で、確かに楽しくなります。
ただ、八島湿原などを見ると、以前はこの高層湿原がずっと広がっていたのだろうな、などと思い複雑な気分になってしまいますね。
開発業者やその利権にぶら下がる連中の言い分は、いつの時代も「公共の利益」みたいな耳触りのいいお題目ばかりですが、結局のところこうした自然を食い物にして自らの利益確保に走っているわけです。
その言い訳に老人や障碍者といった「社会的弱者」を持ちだしてくる態度は実に薄汚いものだと私も思います。
駒ケ岳ロープウェイも、その架設によって沢などの水脈が寸断されました。立ち枯れもその影響の一つでしょう。
このロープウェイによって、駒ケ岳や千畳敷やそこに生きる動植物たちが得た利益は一つもありません。強いられた犠牲と被害のみです。
私が山に登る行為も、残念ながら自然破壊の一つなのだろうと思います。その都度慙愧の念にかられるのですが、せめてそうした気持ちだけは忘れたくないなと、自己欺瞞であることを承知しつつも、常に考えています。

by 伊閣蝶 (2011-08-02 12:19) 

きんた

蝉の声我が家もだんだん大きく(うるさく)なってきています。(^^)/
でも夏らしいです。
by きんた (2011-08-02 17:24) 

伊閣蝶

きんたさん、こんばんは。
私の自宅の付近でもヒグラシが鳴き始めました。
本当に夏が来たんだなあ、と感じさせられますね。
by 伊閣蝶 (2011-08-02 18:15) 

神谷 守

あさやけの歌のDVDまたはビデオが是非ほしいのですが、ゆずっていただけませんか?
by 神谷 守 (2015-11-01 15:12) 

伊閣蝶

神谷守様、コメントありがとうございました。
私自身、これまでかなり迂闊に扱ってきましたが、テレビ放映の録画に関する「私的利用」の許容範囲はかなり狭いもののようです。
お求めのままに複製を作製し神谷様にお渡しすることは、著作権法の縛りがあるなかではどうやらそれに抵触することとなり、誠に申し訳ありませんが、現状では難しいと思います。
何卒ご理解頂けますよう、お願い申し上げます。
by 伊閣蝶 (2015-11-03 23:26) 

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