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谷村新司のショータイム「プラシド・ドミンゴ」 [音楽]

今日は朝から良い天気になりました。
夕方にちょっと俄雨がありましたが、思ったほど暑くもなく快適な一日でしたね。

domingo.jpg今夜のNHKBSプレミアム、谷村新司のショータイムは「プラシド・ドミンゴ」!

前にもこのブログで触れました来日コンサートの当日に収録されたものだそうです。

プラシド・ドミンゴの生い立ちから、辛い修業時代、婦人との出会い、三大テノールの背景、今回の日本でのコンサートへの想いなど、谷村新司のエスコートで語られて行きました。
白血病に倒れたホセ・カレーラスの復帰を、パバロッティとともに祝う目的で開催された、カラカラ浴場でのコンサートでのエピソードも大変感動的なものでしたが、何といっても、ソプラノのヴァージニア・トーラとともに歌った、今回のコンサートでの「故郷」に深く胸を打たれたところです。
テレビを通して聴いていたのに、自然に涙が溢れて止まりません。
観客もみなハンカチで目を抑え、ヴァージニア・トーラの、歌いながら涙ぐんでいる姿にも感激しました。
この「故郷」の演奏の後の拍手、自然に観客が次々に立ち上がりスタンディングオベーションとなって行く様は、殊に素晴らしい光景でした。

ドミンゴは、「被災された方々、大切な人を失った方々の悲しみは深く、何年経ってもそれが癒されることはないと思います」「我々に出来ることは限られていますが、私たちの音楽に接して頂いて、せめて少しでも悲しみや辛さを紛らわせて下さるのであれば嬉しい」と語っていましたが、これだけの実力と名声を兼ね備えた不世出のオペラ歌手である彼をして、その歌で少しでも気がまぎれることが出来たら、という控えめな発言をされたことに、いまさらながらに彼の誠実かつ素晴らしい人間性をみたような気がします。

僕らの歌で被災地の人たちに勇気と元気を届けたい、という決意表明を何度も何度も聞かされるたびに、彼らの誠意はわかるのですが、その押し付けがましい言い方にどうにも居心地の悪い想いを禁じ得ませんでした。

音楽は、かなり好みのわかれる分野のアートだと思います。
同じ曲を演奏しても、それを好ましく思う人もいれば、何とも思わない人、むしろ嫌悪に近い感触を抱く人もいるわけです。
善意の押しつけみたいに好みでもない曲を聴かせられたのでは、むしろありがた迷惑のことだってあるのではないでしょうか。
「私たちにできることは限られている」というドミンゴの言葉は、正にそうした音楽の持つ本質的な性格を知り尽くしているプロ中のプロであるからこそ発せられたものなのかもしれません。
本当に実力のある人は、むしろ大変控えめである、ということはどのような分野でも言えることなのかもしれませんが、本当の実力を持つ人は、その地点にとどまっていることはなく、さらに上を目指し、さらに優れた表現を見いだそうと不断の努力を重ねているからなのでしょうね。

最後に谷村さんもコメントしていましたが、ドミンゴに対して、歌手を目指す次代の若者へ贈る言葉を訊ねた際に、何度も「サクリファイス」という表現が出てきたことに感じ入りました。
この人は、この意識があるからこそ、やはりここまで来ることが出来たということなのでしょう。
オレ様の実力だ!みたいな夜郎自大的な意識下では決して出てこない言葉でしょうし、それ故にこそ、70歳を超えてもなお、世界中のファンを熱狂させる演奏を届けることができるのだなと、改めて思ったところです。

もう一つ、あのイギリスの名優サー・ローレンス・オリビエがドミンゴの舞台を観て評した言葉、「彼は私よりも素晴らしい演技をしながら、さらに歌まで歌ってしまうのだ」は強く印象に残りました。
一流の舞台人故に知る真の才能の偉大さ、なのかもしれません。
ローレンス・オリビエがどれほど素晴らしい舞台人であったか、この言葉からも伺えるような気がします。
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hirochiki

この週末は、お天気が良いようなのでほっとしますね。
ドミンゴさんは、何と偉大な方なのでしょう。
ブラウン管を通しても涙が溢れ出てしまうほどの歌は、生で聞いたらどんなに素晴らしいことかと思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね。
せめて私も、何歳になっても努力することだけは忘れずにいたいものです。

by hirochiki (2011-05-15 06:37) 

伊閣蝶

hirochikiさん、おはようございます。
今日も爽やかな晴天の朝になりました。
こういうお天気だと、掃除や洗濯をするのも億劫でなくなりますね。
ドミンゴさんの番組、実に感動的でした。
何よりもその人間性に胸を打たれました。
素晴らしい演奏は決して技術だけで成し遂げられるものではない、という当たり前の真理を改めて痛感させられました。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
全くその通りだと思います。
才能の有無とは、畢竟、不断の努力を続けて行くことができるかどうかということなのかもしれません。
by 伊閣蝶 (2011-05-15 08:03) 

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