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パレストリーナ、「聖母被昇天のミサ」 [音楽]

大型連休も終わり、今日から出勤という方も多いのではないでしょうか。
昨日は都心でも夏日になり、さすがにこの時期では驚きでしたが、今日は少し暑さも和らいでいます。
明日からは天気が崩れるとのことで、貴重な陽射となることでしょう。

Palestrina.jpg先日、久しぶりに楽譜の整理などをしていましたら、パレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」が出てきて、懐かしく読み返したところです。
合唱をなさっておられる方であれば、この曲をお歌いになったご経験はきっとおありだろうと思われますが、その精緻で美しいポリフォニーには多くの方が心を奪われてしまうことでしょう。

ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ(1525~1594)は、いわゆるルネサンス期に膨大なマドリガーレやミサ曲を残した作曲家です。
因みに「パレストリーナ」とは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「ヴィンチ村」と同じく場所を示す名前です(ラファエロ・サンツィオ・ダ・ウルビーノの「ウルビーノ」も同じ)。
つまり、「パレストリーナ市」生まれのジョヴァンニ・ピエルルイジ、ということになりましょうか。
とはいえ、皆川達夫さんも仰っているように、彼の音楽をルネサンス音楽の中でひとくくりにするのはかなり無理がありそうです。
この時代の音楽は、かなり厳格なポリフォニー構造で造られていますが、パレストリーナの音楽は、極めて精緻な対位法に則って書かれつつも、かなり斬新な和声進行を用いており、その響きを作り出すためには各声部の旋律線を動かすことも厭わないというような自在な創造を成し遂げているようにも見受けられますから。
かといってバロックでもなく、やはりこれは彼独自の「パレストリーナ様式」と呼ぶべき一種のマニエリスムなのでしょう。
当時の同時代的作曲家(ラッススなど)が劇的表現や半音階進行など改革的な様式を模索していたのに比して、彼はむしろポリフォニック面では古風なやり方を守ってきました(トレント公会議の決定に忠実であったという点も重要ですね)が、しかし、響きはむしろ遥かに近代的なものであったといえるのかもしれません。
それゆえに、後世の作曲家、例えばJ.S.BACHなどにも大きな影響を与えたようですが、彼の様式そのものがそのままの形で発展・進化していくということにはなりませんでした。

さて、そのパレストリーナの作品の中で、恐らく最も有名なのは「教皇マルチェルスのミサ」でしょう。
マルチェルスという、1555年4月のうちの三週間のみ在位した教皇に敬意を表してその名前が冠されたミサといわれており、実際、マルチェルスは人格高潔で優れた方であったそうですね。
このミサ曲に関しては有名な逸話があります。
先に少しふれた「トレント公会議」でポリフォニー音楽を全て廃止するという強硬論が多数を占めた時、神の啓示に打たれたパレストリーナがそれに導かれ新しいミサ曲を完成し、これをその会議の席上で演奏したところ列席の人々がそのポリフォニーの美しさに心を打たれ、従来通りのポリフォニー音楽を認めることになった、その曲こそが「教皇マルチェルスのミサ」であった、というものです。
もちろんこの逸話は伝説の域を出ず、むしろパレストリーナはヴィクトリアとともに、トレント公会議の決定に沿ったポリフォニー音楽を書くことによってその地位を確かなものにしたともいえるわけですから、主客は完全に転倒していますよね。
実際、歴史的な考察からも明確に否定されているようですが。
それはともかく、こうした逸話の甲斐もあってか、この曲は広く演奏され多くの聴衆に親しまれています。
実際に、透明感あふれる明晰で美しいポリフォニーは、パレストリーナによってこそよく成し遂げられる世界と申し上げるべきでしょう。

しかし、パレストリーナの代表作がこの曲であるかといわれれば、私はどうも首をかしげざるを得ません。
私にとっては、やはり晩年に作られた「聖母被昇天(Assumpta Est Maria)のミサ」が、その充実度と美しさにおいて、彼の代表作とされるべきではないかと考えます。
同様の題名のグレゴリオ聖歌から始まり、それをモチーフにパレストリーナが作ったモテット、そしてそれをそのままミサ曲に転用したパロディ・ミサである「聖母被昇天のミサ」に導かれていく一連の世界は、その教会音楽としての完成度において正に彼の最高傑作と言ってもいいのではないでしょうか。
精緻なポリフォニーが展開される充実した「Kyrie」、むしろハーモニックな展開が印象的な「Gloria」の後半と「Credo」、煌めくような旋律が交錯する「Hosanna in excelsis」、そしてそれらの集大成のような美しさを湛えた「Agnus Dei」。
このグレゴリオ聖歌から「Agnus Dei」に至る40分になんなんとする曲を聴き終えた充実感は途方もなく大きいものがあります。

さて、これが収められているCDですが、この曲はLPレコードの頃から極端に録音が少なく、私が精力的にバロックやルネサンス音楽を聴いていた30年くらい前には、頑張って探してもなかなか「これは」というレコードは見つかりませんでした。
現在もその状況はさして変わってはおらず、「教皇マルチェルスのミサ」のCDは結構有名どころの演奏がCD化されているのに、「聖母被昇天のミサ」はほとんど見かけません。
その中でも、あの「Tallis Scholars」が演奏したCDが販売されていますのでご紹介します。

10名くらいのメンバーによるこの混声合唱団は、ルネサンスなどのポリフォニー音楽をビブラートなどの装飾を極力抑えた透明な声質で歌いあげる極めて高度なアンサンブルで、ほとんどOPPといってもいいような陣形での演奏はすばらしく明晰かつ美しいものであります。
ルネサンス音楽は基本的に男声によって歌われていたはずなので、女声が入るのはおかしい、という意見を聞くこともありますが、このメンバーの女声による極めつけの演奏に接する限り、そのような枝葉末節(あくまでも演奏という面でのことです、失礼!)な議論はあまり意味のないものなのではないでしょうか。
なお、このCDには、「聖母被昇天のミサ」のほか、「教皇マルチェルスのミサ」「ミサ・シクト・リリウム(茨の中の百合のごとし)」「ミサ・ブレヴィス」「聖土曜日のためのエレミアの哀歌」など、パレストリーナの主要な教会音楽も収められています。
正に、「Tallis Scholars」自家薬籠中の曲を集めたという感じで、個人的には大変お買い得だと思いました。
特に、「ミサ・シクト・リリウム(茨の中の百合のごとし)」の美しさは特筆ものです。
実は私は、この曲も大好きなのでありました。
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hirochiki

恥ずかしながら、パレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」が。。。
曲を聞けば、思い出せるかもしれません^_^;
「ミサ・シクト・リリウム」も、機会があれば聞いてみたいです♪
ところで、連休明けはさすがにきついですね。
昨日は、家族から「すごく疲れた顔をしているよ」と言われてしまいました。
胃閣蝶さんも、お仕事がお忙しいと思いますのでお気をつけて。


by hirochiki (2011-05-10 05:52) 

Cecilia

パレストリーナと言えば"Sicut Cervus"しか歌ったことがないのですが、いいですよね。タリス・スコラーズも大好きです。Gimellから出ているクリスマスのアルバムがお気に入りです。
http://ml.naxos.jp/album/CDGIM010
by Cecilia (2011-05-10 08:32) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
「ミサ・ブレヴィス」もしかしたらお歌いになったかも、ということでしょうか。
これは何とも嬉しいことですね。
「ミサ・シクト・リリウム」も、大変美しい曲です。もしも機会がございましたら是非ともお聴きくださいませ。
ところで連休明けですね。お気遣いのコメント、誠にありがとうございました。
やっぱりいろいろと仕事もたまっていたりして、大変でした。
一番大変なのは、お休みモードから通常モードの意識を切り替えることでしょうか。
なんだか今朝も起きるのが億劫でなりませんでしたから。
hirochikiさんも、いろいろとご多忙なことと存じます。
どうぞくれぐれもご無理をなさいませんように。

by 伊閣蝶 (2011-05-10 12:11) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
「Sicut Cervus desiderat」…。谷川の水を求める鹿のように…。美しい曲です。
また、ふと思ったのですが、パレストリーナは自分で歌うこと以上に、指揮をしてアンサンブルを作り上げる方がより面白いのかもしれませんね。
タリス・スコラーズ、すばらしいアンサンブルで、混声合唱の無限の可能性を感じさせてくれます。
Gimellから出ているクリスマスのアルバムはまだ未聴ですが、機会があれば是非とも聴いてみたいところです。

by 伊閣蝶 (2011-05-10 12:11) 

節約王

こんばんは。記事拝見しました。いつも勉強になります。
混声合唱団、ルネサンス期のミサから続く音楽なのでしょうか?。私もラジオ放送などで混声合唱団を聴く事がありますがその美しさ、電子楽器などに頼らない教会などでの響き渡るような声には何度も魅了されました。
私のような無知な者にも等しくその音楽のよさが伝わるのですから当時の庶民にもさぞ親しまれた事とご推察致します。
それゆえ支持され、現在までいい形で伝わっているのですね。
by 節約王 (2011-05-12 18:50) 

伊閣蝶

節約王さん、こんばんは。
ルネサンス期の合唱曲は、恐らくほとんどが宗教がらみであったのではなかろうかと思われます。
マドリガーレなども含めてですが。
そのころは教会以外では門外不出などということもあったそうで、つまり厳粛な宗教行事だったのでしょう。
ルッターがそうした教会の特権化に異を唱え、プロテスタントの流れが出てきてから、普通の信者が協会内でドイツ語で賛美歌などを歌えるようになってから、混成合唱の枠組みが出来てきたのかもしれません。
信者達が心からの信仰を歌うときの、教会内に響いた合唱がどれほど喜びに満ちたものであったか、想像に難くありません。
私も教会でレクイエムなどを歌った経験がありますが、何ともいえない感動を味わいましたから。
音楽は、一部の選ばれた人たちだけのものではなく、多くの人々に喜びをもたらすものだと、改めて痛感します。
だから仰る通り、現在まで連綿と伝わってきているのでしょうね。
by 伊閣蝶 (2011-05-13 00:17) 

Promusica

伊閣蝶さんこんばんは。
パレストリーナについての御考察、大変興味深く拝見させていただきました。
この時代の代表的な作曲家ですが、私もまだまだ知らないことが多く、それだけに歌い甲斐のある奥の深い音楽家ですね。
by Promusica (2011-05-14 02:36) 

伊閣蝶

Promusicaさん、こんにちは。
コメント、ありがとうございました。
お恥ずかしい内容ではありますが、お読み頂けて嬉しく存じます。
パレストリーナ、はやりお歌いになられたご経験をお持ちですか。
仰る通り、大変歌い甲斐のある奥の深い曲を書いた作曲家だと私も思います。
この当時の作曲家の作品には、今日の我々の耳からみてもかなり斬新な和声やポリフォニーが汲み合わさっていて、実に興味をそそられます。
もしもその背景に篤い信仰心があるとするのであれば、正しく神に近いところにいたということであるのかもしれませんね。
by 伊閣蝶 (2011-05-14 17:24) 

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