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クイケン&ラ・プティット・バンドによるバッハのロ短調ミサ [音楽]

今日は曇りがちで肌寒い一日となりました。
この冬一番の寒波がやってくるとの予報で、どうやら日本海側や九州・四国では大荒れの天気となりそうです。
折しも大学センター試験が行われており、これまでもこうした寒波の襲来による大雪とセンター試験がバッティングする例も結構多く、受験生の苦労を思うと胸が痛みます。
私たちが受験生だったころは大学センター試験はなかったので、本当にいろいろと大変だなあと感じますね。

以前、バッハのマタイ受難曲のことを話題にしたとき、クイケンとラ・プティット・バンドによるOPPの演奏についても触れましたが、今回、そのメンバーによるロ短調ミサを聴いてみました。

2008年3月、スペインのサンロレンツィオでのスタジオ録音SACDです。

OPPでのロ短調ミサ!
いったいどんな演奏になるのだろうと、実はかなりおそるおそる聴いたのでした。

第1曲のKyrie。
冒頭の全声部・全楽器による「Kyrie eleison」の大合唱は、この曲を聴く人誰しもがその迫真的な音楽に衝撃を受けるところだろうと思いますが、各パート1名による合唱(といえるのかどうか難しいところですが)で歌いだされることに対して、意外なことにほとんど違和感を感じませんでした。
非常に透明で静謐な印象を強く受けたため、その世界に圧倒されたことによるのかもしれません。
器楽も、合唱に合わせて最小編成で臨み、チェロをヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ、コントラバスをヴィオローネにするという徹底的なこだわりを見せています。

さて、聴き終えた感想ですが、なるほどこうした行き方もありだな、というのが正直なところです。
何よりも、各パートがぎりぎりに絞り込まれていることから、この曲の対位法的な進行が実に明晰さをもって伝わってくるところが大変好もしく思われました。
スコアを読みながら聴くと、さらにその感が強くなります。

声楽は、特に女声が素晴らしい。
その点、男声、殊にテノールはもう少し頑張って欲しいなと感じました。
KyrieのLargoのフーガで最初に出てくるのがテノールですから、なおさらそのことが痛感されます。

それから、ある程度予想していたことではありますが、Sanctusはやはりかなり無理があると思われました。
私はロ短調ミサの中ではとりわけSanctusが好きなので、この点はちょっと頂けませんでしたね。

しかし、Crucifixusは最高でした!
この静謐な美しさは正に特筆すべきもので、この曲の構造的な美しさを改めて再認識したような気がします。
この曲はOPPの特性が殊に良く生かされているのではないでしょうか。

それから、以前ご紹介したマタイ受難曲と同様、この録音もSACDの利点が遺憾なく発揮されています。
最小限の合唱と器楽である故に、一つ一つの音が明瞭に響くことの効果は抜群でした。

さて、ここまで書いてきましたけれども、やはり、バッハのロ短調ミサといえば、リヒター&ミュンヘン・バッハかな、という気もしますね。
あの記念碑的な1961年版が、やはりその求心的な集中力で圧倒的名演というべきでありましょうし、この点に関してはあまり異論もでないのではないかと思われますが、次のDVDも貴重な遺産ではないでしょうか。


また、ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニアによる演奏も大変美しく印象深いものでした。

ニュー・フィルハーモニアは、クレンペラーとの名演奏もありましたね。これも素晴らしいCDです。


というわけで、この曲を初めて聴くのでしたら、このクイケンの演奏を選ぶことは(私としては)あまりお勧めできません。

先に上げたリヒターが一番のお勧めで、クレンペラーやジュリーニ、コルボなどの演奏は、いずれもすっきりと胸に響いてくるのではないでしょうか。
レオンハルトのものも、私は好きですが。

プロテスタントであったバッハが、なぜカトリック典礼の音楽であるミサ曲を作ったのか、については、ライプチヒ市当局や教会当局との関係がぎくしゃくしてきた状況を打開するため、近隣のドレスデン大公の宮廷作曲家の称号を受けようとしたところ、大公がカトリックであったため、敢えてミサ曲(KyrieとGloria)を作曲し献呈したという事情があったようです。
当時48歳であったバッハは、とにかく安定した収入の道を確保しなければならず、自分の信仰は多少曲げても、ということであったのでしょうか。
しかし、プロテスタントが、礼拝においてラテン語の典礼文を用いなくなったのは18世紀の後半になってからのことで、それ以前は、ミサ、二ケア信条、クレド、サンクトゥスなどは、ルーテル派教会の典礼においても、それぞれ必要に応じて別個に用いられていたそうですから、ライプチヒの各教会においてもバッハ自らが用いるつもりで書いていたということも間違いではなさそうです。
いずれにしても、もともとは、
  • ミサ
  • 二ケア信条
  • サンクトゥス
  • ホザンナ〜ドナ・ノビス・パーチェム

の独立した曲であり、整理の都合上、内容的に関連性の深い楽曲を、バッハが一冊にまとめただけ、ということのようですね。

とはいってもこの曲は、やはり敬虔なキリスト者であったバッハの音楽表現における信仰告白の重要な一つであったであろうことは疑いもなく、それゆえにこそ彼は、その持てる音楽的技法のすべてを注ぎ込んで作り上げたのでありましょう。
この曲が、300年という時空を超えて、今でも私たちの心に深い感動を与え続けるのは、それだけバッハの熱い想いが随所に込められ呼び覚まされるがゆえの必然なのかもしれませんね。
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節約王

こんばんは。お言葉に甘え、又ご訪問させていただきました。今回も夢中になって読ませていただきました。
クイケンとラ・プティット・バンドに大変興味を持ちました。楽器のこだわりの記事をよませていただき、”職人”という印象を受けました。妥協したくないがゆえ楽器も厳選したのですね。カトリックのミサの音楽というもの、SANCTUS、三聖唱、三度の「聖なるかな」で始まる賛美歌という解釈をしておりますが300年の歴史を持つ音楽が現在もしっかり受け継がれている事も大変興味があります。
バッハがプロテスタントなのに生活の為、カトリック音楽を作った事実、初めて知りました。歴史的背景を知ったうえで音楽をお楽しみになる伊閣蝶様を尊敬します。これからも勉強しにご訪問させていただければ幸いです。

by 節約王 (2011-01-16 02:08) 

Cecilia

このCD、以前記事にしたミンコフスキ指揮のものと同時期にNMLで聴きました。SACDの本当の良さはPCではわからないのでそこが残念ですが。
ミンコフスキ指揮と同じくらい素晴らしいと思いましたが、伊閣蝶さんお勧めのリヒター指揮を聴いてみなければいけませんね。
by Cecilia (2011-01-16 09:51) 

伊閣蝶

節約王さん、こんにちは。
いつも真摯なコメントをありがとうございます。
本当に嬉しく存じます
さて、クイケンとラ・プティット・バンド、「職人」というご評価は正に的を射ていると思いました。
表現者は一種のアルチザンであるべきだと私も思いますので、これは嬉しいご感想ですね。
ところで、節約王さんはカトリック典礼などにもお詳しいのですね。
生硬なことを書いてしまい汗顔の至りです。
バッハが生活のためにミサ曲を書こうとした動機はやむを得ないものがあると思いますが、それを内なる信仰の証しとして、最終的にこのような大曲に仕上げた深情には感激するばかりです。
でも、それはやはりこの曲そのものが純粋に素晴らしいものであるがゆえの、いわばあとづけの講釈なのかもしれません。
私がこの曲を最初に聴いたのは高校2年生の時でしたが、もちろんそんな背景など知る由もありませんでした。そうした知識の有無などとは全く関係ないところに、この曲はそびえ立っている、そんなふうに強く感じたものです。
by 伊閣蝶 (2011-01-16 10:40) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんにちは。
ミンコフスキーの演奏も素晴らしいものですね。
演奏の質、という点でいえば、ミンコフスキーの方が充実しているかもしれません。
ただ、こうしてOPPによる演奏を聴いていると、やはりこの曲の演奏に関してはOPPでは限界があるのかも知れない、と感じます。
ではなぜ聴くのかといわれると困るのですが、やはりポリフォニーの美しさ、明晰さはOPPで初めて体感できるような気がすることと、もう一つ、実は、今、同志を募ってOPP演奏を目指す合唱団を組織しようと考えていることもあって、その表現の可能性を探るべく集中的に聴いてみようと思っているところです。
リヒター&ミュンヘン・バッハの演奏、特に1961年版は、機会がございましたら是非ともお聴き下さい。
by 伊閣蝶 (2011-01-16 10:47) 

hirochiki

こんにちは。
今日は、こちらもお昼前からかなり激しく雪が降り始め、外出できない状況です。
センター試験を受けられる学生さんたちにとっては、大変な一日になったことと思います。
私が学生の頃は、「共通一次試験」という名前でした。
ところで、バッハが新教徒でありながらミサ曲を作った背景がよく理解でき、とても勉強になりました。
ミサ曲は、教会で聞くと声が響きわたり心が洗われるような気がしますね。
by hirochiki (2011-01-16 12:41) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんにちは。
嬉しいコメントをありがとうございます。
ミサ曲は教会で歌ったり聴いたりするのが本来の姿ですから、仰る通り、そこではまた違った時間や空間を感じて、正しく心の洗われる想いがします。
私も何度か教会でミサ曲やレクイエムを歌った経験がありますが、それはなんとも名状しがたい想いにかられました。

ところでそちらは外出も出来ないほどの大雪ですか!
センター試験の受験生の皆さんは大変なことでしょうね。
こちらは風の強い寒い日になりましたが、晴れています。
しかし、腰痛のせいですっかり出不精になってしまい、今、自宅でリヒター指揮のロ短調ミサを聴いているところです。
私は共通一次すらもなかった世代なので、受けようと思えばどんな大学でも受けられた時代でした。

by 伊閣蝶 (2011-01-16 12:51) 

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