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ムッちゃんの詩(DVD) [映画]

muttyan.jpg今日はこの冬一番の冷え込みとなりました。

しかし、昼間はあまり風もなかったこともあって、陽射が暖かく、絶好の散歩日和。
ああ、お天道様の力は偉大だな、と改めて思ったものです。

しばらくは厳冬期並みの寒さが続き、それが緩むのは来週になるのだそうです。

このブログは、基本的に音楽の話題を取り上げていますが、今回はある映画について取り上げたいと思います。

題名は「ムッちゃんの詩」
監督は堀川弘通。

中尾町子さん原作の児童文学を映画化した作品です。
本が出版されたのは1982年で、1985年に映画化されました。

あらすじは以下の通りです。

昭和20年横浜。小学校6年の山下睦子は父の出征後、食堂で働いて一家を支えている母にかわり、小さい弟・勝の面倒を見ている。母は父の戦死の知らせを信じようとせず、一家は疎開しないで父の帰りを待っていた。近所の子供は、皆学童疎開に行ってしまい、睦子の友達は、母を焼夷弾で亡くし弟と父親の帰りを待っている同い年の正一だけである。5月29日、横浜大空襲で母と弟を亡くした睦子は、大分の伯父夫婦を頼って出発した。だが、大分に着くと伯父夫婦はすでに亡く、唯一人の従姉・香代に面倒をみてもらうことになる。香代は料亭の住み込み女中をしており、睦子を置いてもらうかわりには座敷に出て客の相手をしなければならなかった。彼女には海軍下士官の島崎という恋人がいた。ある日、睦子が血を吐いた。肺結核だった。香代は睦子を近くの防空壕に隔離する決心をした。一日中防空壕に横たわっている睦子にとって空襲が唯一の楽しみだった。そんな中、彼女は京都から疎開してきた町子という少女と知り合い「ムッちゃん」「マコちゃん」と呼び合う仲良しになる。ある日、睦子は近所のトマト畑で、トマトを盗みにきた朝鮮人、金ビョンホと出会う。金は強制労働のため日本に連れてこられたのを逃亡してきたのだ。密かに二人の交流が始まるが、彼はやがてトマト泥捧で捕えられてしまう。7月16日大分大空襲の夜、香代が死んだ。面倒を見てくれる人がいなくなり、睦子の容態は急速に悪化した。終戦になり、町子は睦子を訪ねるが、睦子はお手玉を託し、息をひきとった。終戦で釈放された金は、睦子の死を知り遺体を乗せた大八車に泣きすがるのだった。

堀川監督は、黒澤明監督との戦前からの盟友であり、「わが青春に悔いなし」や「生きる」や「七人の侍」など数々の黒澤作品において助監督として支え続けた方です。
2001年には「評伝 黒澤明」を出版。第11回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞されました。
黒澤氏脚本の「あすなろ物語」で監督デビュー。
「女殺し油地獄」「激動の昭和史 軍閥」「アラスカ物語」などのほか、作者の松本清張氏が絶賛した「黒い画集 あるサラリーマンの証言」も極めて印象深い作品でした。
これは原作もきついものでしたが、それが映像化されると俄かに現実味を帯びてきて、正直、一種げんなりさせられるほどの迫力がありました。
これらの作品群からもうかがわれるように、堀川監督は黒澤監督譲りの厳格主義を貫き、妥協を許さない方であったとのです。
しかし、一面、花を愛する方でもあり、手がけた作品の中では様々な花が魅力的に用いられ、「花物語」のような作品も作っています。
弱者を見つめる瞳の大変温かな方で、その意味では黒澤監督に次いでついた成瀬巳喜男監督の影響も大きかったのかもしれませんね。
「裸の大将」は、堀川監督の代表作といわれているようですが、私もその意見に同調します。
この映画は、観ている全ての人々を幸せにするような力がありました。
もちろん、主演の小林桂樹さんの功績も多大なものがありますけれども。

その堀川監督、フリーとなってからは独立系の映画を手掛けるようになり、東宝時代に「きちんとした作品に仕上げるためフィルムを使いきった」などという完全主義者ゆえの蕩尽が嘘のような、低予算の作品を作り続けます。

「ムッちゃんの詩」はそうした中の一作で、制作会社は関西共同映画。
少ない予算をやりくりしながらも、決して手抜きをしない映画作りをしています。
横浜空襲や大分空襲のシーンはもちろん、大井川鉄道の蒸気機関車を使った列車シーンや空襲後の町並みの描写など、厳しい制作環境の中でよくぞここまで!と感心するほどの出来栄えでした。

しかし、何といっても、ムッちゃんとお母さんと従姉の香代姉ちゃん、そしてそのムッちゃんとの交流を実体験としてこの原作を書いたマコちゃん(中尾町子)たちにつながる、女性の視点がきめ細やかで丹念に表現されてる部分こそが、正にこの映画における白眉といえるものでしょう。
食べるものにも困窮する中で、とっておきの小豆を使い、ムッちゃんのためにお手玉を作るお母さん。
そんな小豆があるならお汁粉が何杯も食べられると不満を漏らすムッちゃんに、お母さんは「睦子も女の子から娘になって母親になっていく。女の子からひとりの女の人になると、その印がある。その時がきたら、これでお赤飯を炊いてお祝いをするの」「お母さんにもしものことがあったら、大分の伯母さんのところに行って、その時がきたらこれで伯母さんにお赤飯を作ってもらいなさい」と諭します。
そのお手玉、唯一の身内だった香代姉ちゃんが亡くなって、食べ物が届かなくなった時、ムッちゃんは思わず歯を立てて引き裂き、中の小豆を食べようとします。
しかし、お母さんの言葉を思い出し、それを踏みとどまる。
そして、ムッちゃんの命のともし火が消える最期のとき、そのお手玉をマコちゃんに託し「私はその時が来るまで生きられなかったけれども、マコちゃんにその時がきたら、これでお赤飯を炊いて祝ってもらって」と告げます。
この女性を中心に据えた一本の芯が通っているところにこそ、並みの独立系映画会社による類型的な反戦映画の枠を飛び越え、観客に大切な思いを伝える力の源泉があるということなのでしょう。

それから、戦争と結核。

当時の結核は死の病でしたし、強力な感染力で市井の人々を脅かす存在でした。
一般庶民が罹患すれば、とにかく他の人に伝染しないように隔離し、体力の消耗を防いで、自らの免疫力によって菌を撃退するのをひたすら待つよりほかにはなすすべもなかったのではないかと思います。
例えば松本清張の短編「断碑」でも、夫でありながら、結核に罹患した妻のもとに行くことすら禁じられる描写がありますが、そうした時代背景を鑑みれば、ムッちゃんを防空壕に隔離せざるを得なかった当時の選択もやむを得ないものであったと言わざるを得ません。
もしも私がその場に居合わせたとしたら…。
恐らく、金さんやマコちゃんのように、ムッちゃんに寄り添って介抱してあげよう、そばにいてあげよう、といった行動をとることなどはとても思いもよらぬものでありましたろう。
同情はしつつも、極力関わり合いを避けようと逃げたことでしょう。
「なぜこの子を殺した?ムッちゃんがあそこにいたことはみんな知っていたはずなのに!」という金さんの怒りの言葉に対する、「みんな自分のことで精いっぱいだったんだ。戦争だったんだから」という自嘲的な答えこそが、大多数の人々の実感であったことは否めますまい。
無視・無関心こそが最も冷血な対応、という話をよく聞きますし、それはその通りであろうとは思いますが、では、その時どうすればよかったのか。
明確な回答は提示されません。
この映画を観た人たちが、それぞれの心に刻まれた想いの中で解決策を見出して行くしか方法はないのでしょう。
しかし、そのように考えることによって、少なくとも無視・無関心という罪深い態度からだけはフリーになれる。
そこにわずかながらの希望を見出せるのではないか。そんなふうにも考えます。

私はこの映画を、1985年の公開当時、優秀映画観賞会の上映会で観ました(会員だったので)。
その時は、あまりの無残なラストに滂沱のごとく涙を流したことを思い出します。
その後、国民文化会議のイベントの中で、堀川監督自らが語られたこの作品への想いをお聴きし、深く胸を打たれたものです。

その後、一度ビデオ化されたのですが、ほどなくして絶版となり、入手が極めて困難な状況となりました。
それでも、各地の自主上映会や学校での観賞会などではわずかながら上映される機会もあったようですが、このような佳作がそうした限定的な場所や機会でしか人の目に触れないことは極めて残念なことだと思っておりました。

そんな中で、ネット検索をしていた結果、奈良県映画センターの存在を知り、たぶんダメだろうと思いつつも問い合わせてみると、なんと、DVDならば最後の一つが残っているとのことではありませんか!

我が目を疑いつつも早速申し込んだところ、昨日無事に自宅に届いたところです。

続けて二回観てしまいました。

何といっても、ムッちゃん役の磯崎亜紀子さんを始めとする子役たちの存在感がすばらしく、その子供たちの演技に触発されてか、米倉斉加年、高林由紀子、佐藤万理、有川博、伊藤孝雄、柳川慶子といった大人の俳優たちの演技も、自然に熱を帯びてきているように感ぜられました。

四半世紀前の感動がよみがえりつつも、この間の時間の流れをもまた再認識させられたような気がします。

価格は22000円と、DVDとしてはかなりの高額ですが、上映権の問題のほか、そもそもメジャーが扱っていなかったこともあって、これはいたしかたない値段だと思います。
何よりもソフト化されていることだけでも僥倖と申すべきでしょう。

世の中には、著作権の関係でパブリックドメインとなるまでは封印されたままとならざるを得ない作品が相当数あります。
総合芸術である映画が、それにかかわった一部の人間の思惑で、再上映やソフト化などの二次利用ができない状況というのは、我々愛好家にとって誠に無念なことで、なんとか有効な対策が出てきてくれないものかと願うばかりです。

そんな中で、こうして長年の念願だったこの映画のDVDを入手できたわけで、喜びのあまり、その思いを書き連ねているうちに長文となってしまいました。

なお、県の教育委員会や人権啓発センターなどではビデオの貸し出しをしているところもありますので、この映画をご覧になりたい向きはそちら方面を当たられるといいかもしれません。
私の居住地の付近にはどうもなかったようですが、ネットで検索すると滋賀県教育委員会では実際に貸し出しが可能なようでした。
ご参考までに。

ながながと失礼いたしました。
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Cecilia

映画の内容を想像しながら拝読しました。
興味深いです。
私は最近気になって「ボクは5才」という映画を検索したら某動画サイトで見ることができました。
優れた作品は地味なものが多いですが、テレビで放送してくれるとありがたいですよね。
by Cecilia (2010-12-18 08:31) 

hirochiki

この映画、チャンスがあれば是非観てみたいですね。
「お手玉の中に小豆を入れる」という文を読んで、私の祖母を思い出しました。
祖母は、とても器用な女性でお料理も上手でしたが裁縫も得意で、
私に着物を縫ってくれたこともあります。
最近は、ものが溢れかえっていてこういった心の触れ合いが薄れてきているような気がします。
でも、こういう時代だからこそ、人の心を大切にしたいですね。
by hirochiki (2010-12-18 08:39) 

Promusica

初めまして
ムッちゃんは、大分では親しまれている名前です。
毎年8月に平和教育の一環で「ムッちゃん平和祭」が行われています。
ご紹介していただきどうもありがとうございました。

http://www.city.oita.oita.jp/www/genre/0000000000000/1000000003257/index.html
by Promusica (2010-12-18 09:20) 

伊閣蝶

Ceciliaさん、こんばんは。
「ボクは5才」が動画サイトにアップされているとは驚きですね。
監督がガメラシリーズの湯浅憲明さんで、子供たちに人気が高かったので、DVDにはなっていないのにもかかわらず、テレビ放映などののソースからアップされたのでしょうか。
この作品などは、DVDになってもおかしくないような気がしますが。

by 伊閣蝶 (2010-12-20 00:33) 

伊閣蝶

hirochikiさん、こんばんは。
お祖母様、とても優しく素敵な方であられたのですね。
私の伯母も和裁が得意で、着物、半纏、布団など、たくさんのものを私のために作ってくれました。
そのひと針ひと針に、伯母の深い愛情が感じられ、今でも大切に使っています。
この映画は、そうした、それぞれの家庭に伝わる優しい思いやりを取り上げている点でも出色の作品だと思います。
仰る通り、今のような時代だからこそ、もっと多くの人に観て欲しいと思いました。
by 伊閣蝶 (2010-12-20 00:39) 

伊閣蝶

Promusicaさん、こんばんは。
nice!とコメント、ありがとうございました。
この著作がきっかけとなって、大分にムッちゃんの像が出来、やがて「ムッちゃん平和祭」にも繋がっていったことに、感動しています。
もっともっと多くの方に知って頂きたいと、心より思う次第です。
by 伊閣蝶 (2010-12-20 00:45) 

aka

本当壮絶な内容の映画ですね。

特に、「一日中防空壕に横たわっている睦子にとって空襲が唯一の楽しみだった。」というのが、本当私には想像できない毎日なのだろうなと思いました。
人が死んでしまった、ということが、日常のように起こった時代。今では考えられませんが、過酷な時代だったと思います。

こういう時代を乗り越えた人たちがいたからこそ、今の私がいます。忘れないように、幸せに生きなければいけませんね!!
by aka (2010-12-20 09:59) 

伊閣蝶

akaさん、こんばんは。
素敵なご結婚のお写真、本当に美しくて感激です。
コメントありがとうございました。
「一日中防空壕に横たわっている睦子にとって空襲が唯一の楽しみだった。」
この部分、映画では実に印象的に描かれています。
ムッちゃんにとって、防空壕の中に人がたくさんいてくれるのが嬉しくてならないのですが、防空壕に来ている人たちの本音はムッちゃんに近づきたくない、その残酷な部分を小さなマコちゃんが超えていく、というところ。
確かに、戦時中という不条理の世界が背景にはありましたが、これは現代にも通ずることではないか。
たとえば、HIV感染者に対して、私たちはどのように対応しているのか、といったような部分もあぶり出してくれるような気がします。

その意味では、そうした疾病への根本的な差別意識をこのような映像作品で残してくれたことを感謝すべきではないかと、私も思いますね。
by 伊閣蝶 (2010-12-21 00:01) 

アオ

初めまして。小学5年生の時、母に連れられて映画館で観て以来、ムッちゃんは私の中にずーっと存在しています。今は42歳になり、母の立場からお手玉に込めた愛をひしひしと感じています。昨日、大分のむっちゃん平和公園に行ってきました。痩せ細った銅像に涙が溢れました。こんな素晴らしい映画をもっともっと多くの方に見てもらいたいと心から願います。DVDもう販売されてないのでしょうか。もう一度観たいと切望しております。突然コメント失礼致しました。
by アオ (2018-09-02 01:47) 

伊閣蝶

アオさん、こんばんは。
私が劇場で観た頃と恐らくリンクします。
もう30年以上前のことでした。
その後、堀川監督に直接お会いしお話を伺ったことも懐かしく思い出されます。
ビデオもDVDも、現在は恐らく販売されていないと思われますが、図書館や人権センターで貸し出してくれるところもあるのではないでしょうか。
私もいくつかの人権センターなどに問い合わせて入手に至ったので、そうしたアプローチも有効かと考えます。
by 伊閣蝶 (2018-09-05 22:45) 

一芝竹夫

はじめまして、2010年&2018ー09-05の書き込み拝見いたしました。丁寧な紹介と高評価をいただきありがとうございます。
1984年10月完成から34年、いまも「ムッちゃんの詩」の評価は変わりなく好評をいただいてます。「子どもの時に観て忘れられません、私の子どもに見せてやりたい」などなど、親子3代で見れる映画でこんなに永く希望される作品は映画界にとっても稀なことです1998年12月17日朝日新聞大阪本社版コラム「窓」欄に14年間で350万人以上が見たとあります。DVD版の販売及び「21世紀に戦争も核兵器も持ち越さない平和な社会の実現を求めます」の運動を1998年11月から全国の小・中・高校に寄贈(寄贈者が¥6500負担)する運動を展開してます。長野県の個人の方が県内&大分県の全校に寄贈されてます。このように寄贈を受けた学校や行政諸機関で芸術、平和、人権教材として鑑賞した人数は計り知れません。今夏和歌山県の或る地方行政で人権平和映画会が催されると聞いてます。弱小の映画製作・配給会社です、皆さんにお知らせする宣伝費や体制がありません、申し訳なく存じますがご理解ください。またお力添えをお願い申し上げます。
DVD版の購入については関西共同映画社のブログをごご覧ください。(なお、奈良映画センターは取次業務をされた事で委託してません)
寄贈する運動は次にご連絡ください。趣意書など送付します。
劇映画「ムッちゃんの詩」ビデオ版(DVD)を全国の学校に寄贈する会 TEL080-8341-1188
by 一芝竹夫 (2019-03-20 13:17) 

伊閣蝶

一芝竹夫 さん、こんばんは。
コメント、誠にありがとうございました。
この優れた映画が、このような形で上映され続けていることに感動しております。
是非ともこの映画のビデオやDVDが欲しいと仰る方もたくさんおられますので、頂きましたコメントは本当に貴重です。
私の方でもご紹介頂きました運動の周知に努めようと思っております。
by 伊閣蝶 (2019-03-25 23:03) 

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