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未来を信ずる力 [雑感(過去に書いたもの)]

朝から雲に覆われた日となりました。
昼間もあまり気温が上がらず、空は今にも泣きだしそうな雲行きです。

日比谷公園に出向くと、ギンナンを拾っている婦人に出会いました。
私もこれまで何度か拾ってみたいなと思うことがありましたが、なぜか実行に移すことができません。
山の中に入ると、山菜やキノコや木の実など、ありとあらゆるものに手を出してしまうこの私が、街中になるととたんに臆病風に吹かれる。
自分ながらに不思議でなりません。

ユッカランの花ところで日比谷公園ではユッカランが立派な花をつけていて、バラなどとともに、この時期、目を楽しませてくれます。
それにしても立派な植物です。
さすがに「Yucca gloriosa」の名に恥じない姿態ですね。

「芸術は未来において完結する」
これは、福永武彦の「草の花」の中に出てくる言葉ですが、これは芸術の世界に身を置く創造者が有するべき一種悲愴な決意の表れなのかもしれません。

「いずれ私の時代がやって来る」
マーラーはそのように信じていたからこそ、あのように偉大な曲を残せたのでしょう。
そう信じない限り、あれほどの苦悩や困難をおして作り出すモチベーションを維持することはできなかったのではないか。
つまり、マーラーは(自分の作品が正当に評価される)未来の到来を信じていたということに他ならないのではないかと思うのです。

むろん、これはマーラーに限った話ではありません。
多くの芸術は、それが普遍的な力を有していればいるほど、ほとんどの場合、同時代的な評価を享受することが難しかったようです。
ピカソやダリのように長寿を極めた人は、その晩年にその片鱗なりと享受できた可能性はあるかもしれませんが。

さて、さらにことを自分という矮小な単位でみようとすると、いわゆる創造的な意味での未来などカケラもないことに気づき悄然とします。
私たちのような凡人には未来はおろか現在すらもなく、いわば過去のみが堆積していくのではないか。
確かに、将来なすべきことやなされるであろうことは予測がつきますが、それは単なる「予定」でしかありません。つまり、己の過去の上に積み重ねられていく、それまでと似たような程度の知れたシロモノで、「未ダ来タラズ」の対象となるべき深淵かつ哲学的・芸術的かつ無限の可能性を秘めた不確定な事象などという世界とは、完璧に無縁な陳腐極まりないものなのでしょう。

と、そうは思いつつも、やはり未来への憧れはあるわけで、それに想いを馳せることもまた、人としての喜びなのかもしれません(徒労かもしれないけれども)。

そんなわけで、やはり以前書いた文章ですが、ここに再掲いたします。
人間が、いわゆる知的生命体であることの証として様々な遺産を残してきた過程に、暫し想いを馳せてみた。
この世の中の存在がそうであるように、人もいつかは時間によって殺される。自分の身にもいつか「死」が訪れることを誰しも認識していながら、しかし、それがいつであるのか明らかではないが故に、人はそれを現実のものとして意識しようとはしない。
つまり人は、その生を享受している間、(半ば無意識のうちに)自分は永遠に存在するものという錯覚の中に居るのではないか。
従って、自分の営為の中で生み出す全てのものにも、やはり永遠に存在するという願いが込められる。それが「遺産」という具体的な形で残されているのかもしれない。つまりそれをもって「未来」に繋がろうと考える。
未来は過去があって初めて信ずるに足る概念となり得る。過去との継続を断ち切った先に恐らく未来はあり得ない。過去から未来に連綿として続く継続性こそが、恐らく様々な意匠に託された「文化」の本質なのだろう。
これは、文学・音楽・舞踊などのような、無形の表現芸術の世界において一層際だつものなのかもしれない。過去に生み出された表現が現在においてもそのままに残されている奇跡を目の当たりにすることによって、自らの生み出す表現が未来において存在する可能性をもまた信ずることが出来るのだから。
芸術家とは、このように奇跡的な力を有する伝統から様々な表現手法を学びとり、そこからまた未来に続く新たな表現を生み出そうとする人々に他ならない。
彼らの内には、新たなる奇跡を起こす可能性が横溢している。それは産みの苦しみを伴うものなのかもしれない。しかしそれは、確実に未来へと通じていく「遺産」となり得る。私はそう信じている。

うーん、相変わらず肩に力が入っていますね(^_^;

この頃は、もしかすると自分でも何らかの意味のある創造物が生み出せるチャンスが来るかもしれない、などと、不遜にも猪口才にも妄想をたくましくしていたのでしょう。
正しくこれも「冷汗三斗」なみの妄言の類ではありますが、こんな時代だからこそ「未来」を信じてみたくもなりましたので、敢えて再掲しました。

ご笑覧下されれば幸甚に存じます

それにしても、時間というものはなぜ過去から未来に向かってしか流れないのでしょうか。

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