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モーツァルトの交響曲第40番(ワルター指揮ウィーン・フィル、1952年) [音楽]

朝のうちは曇り空で、今にも雨が落ちてきそうな気配でしたが、午後になって晴れ間が出てきました。
しかし、気温は思ったほど上がらず、秋を感じさせますね。

この三連休、久しぶりにどこにも出かけず家に居ました。
こんなことはあまりないのですが、ちょっと疲れが出ていたので休養に充てようと思ったわけです。
うーん、やっぱり歳なのでしょうか(^^;

しかし、おかげでCDをゆっくり聴くことができ、それはそれで嬉しい限りです。

今日は何を聴こうかな、と考え、ふとモーツァルトの交響曲40番をかけました。
恐らく、モーツァルトの曲の中でも一二を争うメジャーな曲で、実に多くの機会で演奏がなされ、従ってCDの数も夥しいものがあります。

私は中学三年生のときに初めてこの曲のレコードを買いましたが、それはベーム指揮ベルリンフィルによる演奏でした。
ジュピターとのカップリングで、1961〜62年の演奏であったと思います。
この曲の見かけ上の悲劇性のようなものにとらわれることのなく感情的な部分を徹底的に排除した筋肉質で強固な演奏で、当時はやっていたポール・モーリア辺りのポピュラー演奏でしかこの曲を知らなかった人間の甘さを木っ端みじんに打ち砕いたものでした。
モーツァルト音楽の持つ美しさとそれ以上の透徹した厳しさを思い知ったのは、このレコードを通してのことです。

その後、カザルスやクーベリック、そしてワルター・コロンビアなどの演奏を聴きながら、深い感動を得るとともに、この曲を演奏することの難しさもまた痛感せざるを得ませんでした。

そんな中で、私が繰り返し聞きたくなってしまうのは、1952年5月にワルターがウィーン・フィルを振った演奏です。


第一楽章に顕著な絃のポルタメントの効果は凄まじく、全体を流れるように形作るレガートの魅力は例えようもありません。
そして、一瞬のゲネラルパウゼ。
ああ、これこそがウィーン・フィルのボーイングなのだなと納得してしまいました。

同じくウィーン・フィルを高く評価し愛情を持っていたとされるトスカニーニが、ディレッタントに陥ることを嫌い、インテンポの演奏を求めたところ、「私どもはモーツァルトの時代からこのように弾いてきたのです」といって楽団のメンバーから拒否され、トスカニーニは激怒して帰ってしまった、という結構有名な話がありますが、なるほど、こうした演奏がウィーン・フィルの真骨頂であるのであれば、それもまた宜なるかな、という気がします。

それにしても、この第二楽章の溢れんばかりの悲しみの表情はどうでしょう。
40番の中での唯一のdur楽章であるのにもかかわらず、私はこの楽章が一番痛ましく感ぜられます。
そして、このCDでは、それをさらに実感させてくれるように思われるのです。

ところで、カップリングされた25番ですが、これは映画「アマデウス」で一躍有名になりましたね。
ここでのワルターの演奏は、40番と打って変わって、快速そのものです。
かといって、インテンポで押し切っているというわけではなく、同じく快速といってもクレンペラー指揮コンセルトヘボウとは大分趣が異なりますね。
好みは大きく別れると思いますが、私はこのワルターの演奏の方に、17歳当時のモーツァルトの青年の慟哭のようなものをよりいっそう感じてしまいます。

ライブ録音であるからなのでしょう、時折、観客の咳払いも聴こえますが、何よりもワルターの力を込めたうなり声にふと心を奪われてしまいます。
ワルターは微笑みの指揮者といわれ、万人から愛される素晴らしい人格の持ち主であったそうですが、内面に秘めた情熱が如何に激しいものであったか、こうした演奏を通じてひしひしと伝わってくるように思われました。
録音も、当時のモノラルとしては、上等の部類でしょう。ウィーン・フィルの美しい響きの中に、薄日の差し込んできた午後のひととき、ゆったりと心を浸すことができるのではないかと、強くお勧めする次第です。

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