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近松門左衛門「心中天網島」 [映画]

台風による激しい雨に見舞われたためか、久しぶりに熱帯夜から解放され、今日の昼間も暑さは和らいでおりました。
残念ながら、天気予報によると明日からまた猛暑がぶり返すそうですが(^_^;

私は浄瑠璃が好きで、特に近松門左衛門の大ファンです。
「曾根崎心中」「冥途の飛脚」「心中天網島」などの超有名作品から、「卯月紅葉」のような可憐で哀れな物語まで、それこそ感動作に枚挙の暇はなく、読みながら何度涙にくれたかわかりません。
もちろん、文楽の舞台にかかったものもたくさん観てはいるのですが、結構当たり外れが大きく、本で読みながら頭の中に描く世界の方が、舞台よりもはるかに重層的な感動を呼ぶことの方が多いようです。

近松物で映画化された作品も当然多くて、その代表的なものは溝口健二の「近松物語」でしょうか。
特に、宮川一夫のカメラと早坂文雄の音楽が秀逸で、古今の時代劇の中でも断固屹立する傑作であろうと思われます。

しかし、この映画は、近松の「大経師昔暦」を題材にはしているものの、西鶴の「好色五人女」の中の「おさん茂右衛門」などの要素も取り入れて脚本の依田義賢が再構築したものであり、むしろ戯曲化した川口松太郎との共作というべきものでしょう。

そんな中で、私の一番のお気に入りは、篠田正浩監督による「心中天網島」です。

私はとりわけ、武満徹が担当した音楽の面から、この映画に衝撃を受けた者であり、その観点から自分のサイトにアップするための記事を書いたことがあります。
これは、映画専用のサイトを立ち上げようとしていくつか書いたものの中の一つで、ものぐさな性格が災いして未だにサイト立ち上げは放置したままですが、なんだかあまりにも残念なので、音楽を扱うという性格から、このブログに転載します。

そのうちにきちんとした形でアップしたいとは思っていますが。

************* ここから *************

篠田監督は、大学時代に文学部で江戸演劇史を専攻していた。
彼の浄瑠璃就中近松に対する深い知識は、もちろんそうした背景があってのことであろう。しかし、最も重要な点は、彼の近松に対する愛情である。
彼は映画監督を志した頃から、近松を撮りたいと願っていたそうだ。そうした想いがこの一作に結集された。それほどまでに完成度の高い作品である。
おそらくこの作品は、後に篠田監督自身が撮る「鑓の権三」とならんで、映画化が試みられた数多の近松ものの頂点を形作るものといっても過言ではなかろう。

浄瑠璃とは実に不思議な世界である。
歌舞伎や能などは、役者がそれぞれの役の台詞をしゃべるが、浄瑠璃は地からそれぞれの台詞まで義太夫の唄と語りによって表現される。
演技をするのは文楽人形であり、それを操る人形使いは舞台の上に「いない」ものとされる。蝋燭の光だけで演じられた時代は、正しく闇の中に人形が浮かび上がって、それに義太夫の唄と語りが重なる、一種の亜空間のようなものではなかったろうか(もちろん、義太夫も太棹も闇の中にある)。
現在のように明るい舞台で、太夫は勿論、本来黒子として人形を操っていた人たちが上下を着て素面を見せるようになっては、もはやそんな空間は望むべくもないのだろうけれども。
篠田正浩の「心中天網島」は、むしろその江戸時代の頃のありようを想定して映像化を試みているように思われる。
篠田監督がこの映画をとるきっかけの一つとなったのは、松竹の助監督時代に岸田今日子の「朗読とも音楽ともつかない心中天網島」をラジオで聴いたことなのだそうだ。その終わりに「武満徹作」とあった。
浄瑠璃を音楽だと考えていた武満徹の台詞のモンタージュ効果に、篠田監督は打ちのめされる思いだったという。
後年、具体的な映画化を模索しつつ篠田監督は武満さんと検討を重ねるうちに、詩人・富岡多恵子さんのシナリオ参加を具体化させていく。
詩人・作曲家そして映画監督の三者による脚本は、このような近松の世界に取り憑かれた表現者たちの必然的な行き方であったのかもしれない。

この映画で最も重要な役割を演じているのは、浜村純を頭にした黒子たちだ。
「心中天網島」自体は相当に有名な心中ものであるから、殆どの人はそのあらすじをご承知のことと思う。要するに、曾根崎新地紀伊国屋の女郎小春に入れあげ契りを交わした紙屋の治兵衛が、その小春と心中をして果てる、という物語である(これはあまりに簡略に過ぎるが)。
映画の中では、勿論それぞれの役をその役者が演じているのであるが、場面に応じて黒子が演技を助ける。小道具を出したり、着物を包んだりといった具合に。
その最期の「道行名残の橋づくし」においてこの効果は絶頂を迎える。
綱島の大長寺をその死に場所と定めて、一里余りを二人は歩いてゆくが、この場面、まるで黒子の一団がこの二人を情死に追いやっているかのように見える。
治兵衛が小春の喉笛に小太刀を立てる場面でも、黒子の関与は既に「手助け」の域を超えているし、治兵衛が首をつるシーンでは、縄(腰ひも)のセット(治兵衛の首に腰ひもを巻き付けることも含めて)は勿論、その踏み台を蹴り倒す役割まで演じているのだ。
この荒涼たるシーン、吹きすさぶ風に乗って、トルコの笛ズルナが息の長い音を鳴らし続ける。背後の打楽器はタパンだろうか。この映画における武満徹の音楽表現が凝縮されているかのような背筋の寒くなる力を感じた。
この道行きで、墓場の中を通るアイデアについてオープニングクレジットの中での篠田監督と富岡氏の会話がよみがえる。(因みに、このオープニングクレジットで文楽の舞台の準備や黒子を背景として使うことは富岡さんのアイデアであったそうだ。武満さんはその「文楽」の雰囲気に映画全体のイメージが固定化されることを嫌っていた。そこで、篠田監督と富岡さんとのやりとりを持ってくることを思いついたのだが、当事者のふたりにはそのことが知らされておらず、あとでそのことを知った富岡さんは「とても恥ずかしかった」そうだ。)
「鳥辺山の方で見つけた」墓場はいかにも暗鬱で、この世の場所ではないかのように描かれる。そもそも「鳥辺山」自体、源氏物語の「夕顔」「葵」「紫上」などの登場人物が荼毘に付されている場所である(紫式部の墓もある)わけだし、魑魅魍魎・妖怪変化が跋扈する場所としてかなり有名なくらいだから。
驚いたことに、小春と治兵衛は、ここで最後の交合を果たすのだ。岩下志麻の恍惚とした表情が忘れられない。余談だが、このシーンのバックに写る 「紙屋治兵衛之墓」、「遊女小春之墓」は作り物ではなく、実際に大長寺にある二人の墓なのである。当時、心中者は檀家帳からも削除され墓が建てられることなどなかったが、近松の「心中天網島」が有名になったことによって特別に措置された。本名が判然としなかったため、芝居の名前をそのまま使ったとのことだ。

浄瑠璃は唄と語りの芸能故に、自らはしゃべることのない人形にどの様な芝居をさせるかが勝負なのかもしれない。義太夫は地の唄を謡いつつ、ある時には高い調子で女の台詞を、ある時には張りのある太い声で男の台詞を語っていく。
近松は、当時の竹本義太夫と組んで、説教節から戯曲への道を開いた。
今、例えば岩波の「日本古典文学大系(近松浄瑠璃集)」に当たるだけでも、それがどれほど高度な構成力の元に作られたものか容易に推測が付くことだろう。
近松もの語るのには、腹にさらしを二重に巻いても切れてしまうほどの腹圧が必要になるのだという話を聞いたことがある。
それでも、現在国立劇場などで上演されている文楽の床本は、近松の原作とはほど遠い。その殆どは近松半二の改作だという。この「心中天網島」にしても例外ではあり得ない。特に先に述べた道行「名残の橋づくし」の改作(省略)は著しい。参考までに床本のこの部分を以下に引用する。
走り書、謡の本は近衛流、野良帽子は若紫悪所狂ひの身の果てはかくなり行くと定まりし。釈迦の教へもあることか元はと問えば分別の、あのいたいけな貝がらに、一杯もなき蜆橋「短きものは、われ/\がこの世の住居、秋の日よ、十九と二十八年のけふの今宵を限りにて、丸三年も馴染まいでこの災難に大江橋、アレ見や難波小橋から船入橋の浜伝ひに、これまで来れば来るほどは冥途の道が近付く」と歎けば女もすがり寄り、「もうこの道が冥途か」と、見かはす顔も見えぬほど、落つる涙に掘川の橋も水にや、ひたるらん、北へ歩めば、わが宿を一目に見るも見返らず、子供の行方女房の哀れも胸に押包み。南へ渡る橋々は、数も限らぬ家々を、いかに名付けて八軒屋、誰と伏見の下り船、つかぬうちにと道急ぐ、この世を捨てゝ行く身には聞くも恐ろし天満橋。「この世でこそは添はずとも、未来はいふに及ばず、こんどのこんどのずつとこんどのその先までも夫婦ぞや。アレ寺々の鐘の声。最期を急がんこなたヘと、手に百八の魂の緒を、涙の玉にくりまぜて、南無綱島の大長寺。薮の外面のいさら川流れ漲る樋の上を最期所と着きにける。「死に場所はいづくも同じことゝは言ひながら、私が道々思ふにも二人が死顔並べて、小春と紙屋治兵衛の心中と沙汰あらば、おさん様より頼みにて殺してくれるな殺すまい、挨拶切ると取交せし、その文を反古にし、大事の男をそゝのかしての心中は、さすが一座流れの勤めの者、義理知らず偽り者と世の人千人万人より、おさん様一人のさげしみ、恨みねたみもさぞと思ひやり、未来の迷ひはこれ一つ」と口説けばともに、くどき泣き。うしろに響く大長寺の鐘の声。「南無三宝、長き夜も夫婦が命短夜」と、はや明渡る晨朝に「最期は今ぞ」と引寄せて、後まで残る死顔に「泣き顔残すな」「残さじ」と気を取り直し一刀えぐる苦しき暁の見果てぬ夢と消え果てたり

近松の原作を知る身にとっては信じられない改悪である。
この物語の一番の肝は、おさんの「夫治兵衛の命を助けて」という願いに心を動かされた小春が、ならぬ堪忍を押して治兵衛を妻の元に返す、その小春がみすがらの太兵衛に請け出されると聞いたおさんが「小春は死ぬつもりだ」と悟り、見殺しにしてはならぬと小春の身請料を作ろうとする、という、おさんと小春の「女同士の義理」のやりとりにある。
小春が「治兵衛と同じところで死ぬわけにはいかない」とむずかるのは、このおさんとの間の「女同士の義理」が立たないことを気に病んでのことだ。
むずかる小春を治兵衛は、「おさんは舅に取り返され、去り状まで書かされて暇を出させられた。今となっては他人も他人。お前とはこの世は勿論次の世もそのまた次の世でも共に添い合おうと契った夫婦(めおと)。枕を並べて死ぬるを誰が誹ったり妬んだりするものか」と慰めるが、やはり自身にも迷いはあった。
それを断ち切るために治兵衛は「此の髪の有る中は紙屋治兵衛といふおさんが夫。髪を切つたれば出家の身三界の家を出て、妻子珍宝不随者の法師、おさんという女房もなければ、お主が立つる義理もなし」と、己の髷を脇差しで切り落とし、小春も「枯れ野の薄(すすき)夜半の霜、共に乱るるあはれさよ。浮世をのがれし尼法師、夫婦の義理とは俗の昔」と同様に髪を切る。
こうして互いにこの世の未練をうち捨てて死出の旅に出ようとしながら、治兵衛の問い「心残りのことあらばいうて死にゃ」に答える小春の台詞が哀れである。「何にもない/\。こなさん定めてお二人の子たちのことが気にかゝろ」。「アレひょんなことをいひ出して又泣かしゃる。父(てて)親が今死ぬるとも何心なくすや/\と、かはいや寝顔を見るやうな。忘れぬはこればっかりとかっぱと伏して泣き沈む」…、この言葉を聞いた治兵衛の反応はこのように表現されていた。

そして最期の瞬間である心中の風景を、近松は緻密な描写を畳みかけながらいっきに盛り上げていく。
「早く殺して」と願う小春に、治兵衛は脇差しを振るうが、楽に死なせようという意に反して刃先は乱れ断末魔の苦しみを与えることになってしまう。ようやくのこと喉笛を切り裂き、小春は絶命。その後の治兵衛の首吊りも、腰ひもを掛けるところから、首をくくって痙攣する様まで、事細かに表現される。
この道行きの部分、是非とも近松の原作を当たってもらいたいと思うが、これを文楽の人形芝居で見せるのは相当に厳しいのではないか、というのが偽らざる感慨であった。
いや、もっといえば、これはこの近松の原作のままで舞台にかかったのだろうか、という疑問すら湧いてくる。もしもかかっていたのなら、私は是非ともそれを観たい。
話が映画から離れていってしまっているように思われるかもしれないが、この道行きにこれほどまで拘ったのは、この篠田正浩の映画はこの部分を含めて、完璧に近松の「心中天網島」を映像化していることをいいたかったからなのである。
文楽はもちろん、おそらく歌舞伎でもこれほど完璧にはなしえなかったであろう、私はそう感じている。
この荒涼たる道行きの表現、当初は様々な演出が施されていたが、武満徹氏が音楽も含めて全ての余分なものを削り取ってしまった結果であった。
その提案を受けた篠田監督もさすがに驚いたらしいが、その映像と音楽表現に「結末はこのように訪れるのだな」と感動したそうだ。武満徹氏を脚本スタッフの一人に起用した効果は、音楽が演出するものであるという観点も含めて、尋常ならざる衝撃を我々に残していく…。
蛇足をひとつ。武満さんはこの映画において太棹などによる所謂「下座音楽」を殆ど使っていない。太棹を使ったのはたったの一カ所で、そのほかは琵琶やガムランで組み立てられている。
何故にそうした表現としたのか、篠田監督によれば「(武満さんはこの映画の音楽を)プリミティブなものとして演出しようと考えていたらしい」とのことである。つまり、より純粋に近松の浄瑠璃の世界を表現するために、観客の思いこみを徹底的に排除しようとした結果なのかもしれない。
文楽の人形が出てきたり下座音楽が主役となったりしたのでは、観客は文楽的な潜入観念の中にこの映画を観てしまうのではないか。そのことを武満さんはとても嫌がっていたということを前にも触れた。

この映画は、独立プロ故の厳しい予算制約の上に作られた。美術しかり、音楽しかり。
しかし、それ故にこそ旧来の発想を転換した表現が随所で試みられているのである。
篠田監督の従姉であることから、書家篠田桃紅の絵や書を惜しげもなく使えた、という僥倖も勿論あろうけれども。
この映画には余分なものが一切含まれていない。贅肉を完全にそぎ落とした筋肉質な印象を強く受ける。
逆境を逆手にとって斬新な表現に昇華させる、これこそ創造者の求める究極の姿なのかもしれない。

************* ここまで *************

長文、失礼いたしました。

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かずっちゃ

伊閣蝶さんは浄瑠璃を観るご趣味もあったんですね。
浄瑠璃って人形浄瑠璃とは違うのでしょうか?無知でスミマセン。
それから映画にも造詣が深いんですねー。
映画サイト、今からでも立ち上げてみてはイカガですか?
by かずっちゃ (2010-09-10 12:42) 

伊閣蝶

かずっちゃさん、こんにちは。
だらだらとした長文をお読みいただき、恐縮です。

浄瑠璃は、仰る通り、あの人形浄瑠璃です。つまり文楽の戯曲部分ですね。
本文中にも書きましたが、本音を言うと、文楽の舞台にはそれほど熱中したことがありません。
明るすぎて、人間が人形を扱っているというシチュエーションが丸見えなのがなんだか興ざめしちゃうのです。
その点は、私の個人的感覚として、能などとはだいぶ事情が異なるように思います。

映画サイト、かずっちゃさんのハゲマシのお言葉を受け、俄然、やる気が出てきました。
もう一度チャレンジしてみます。
ありがとうございました。
by 伊閣蝶 (2010-09-10 13:34) 

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