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林光:交響曲ト調など。オーケストラ・ニッポニカの試み。 [音楽]

先日、山本薩夫監督の白い巨塔のことを書いた際、音楽を担当した池野成さんの純音楽における作品を聴くことができないと恨み節を述べてしまいましたが、すぐれた日本の管弦楽曲の演奏に力を入れている人たちももちろんおられます。

オーケストラ・ニッポニカと音楽監督の本名徹次はその代表的な存在でしょう。

nipponica01.jpgEXTONが初めて取り組んだ邦人作曲家のアルバム第一弾である「林光:交響曲ト調他」は、このメンバーによるライブ演奏で、CDの表題曲のほかに、入野義朗「小管弦楽のためのシンフォニエッタ」と池野成「ダンス・コンセルタンテ」がカップリングされています。

まず、なんといっても演奏がすばらしい!

オーケストラ・ニッポニカは基本的にアマチュアのオケなのですが、芥川也寸志さんの志を受け継ぐメモリアルオーケストラとして、日本人作曲家による交響作品を積極的に取り上げるという目的のもとに結成された団体だけに、その姿勢は真摯そのもの。
ブダペスト国際指揮者コンクール第一位、トスカニーニ国際指揮者コンクール第二位など、輝かしい受賞歴を持つ実力派指揮者である本名徹次のタクトのもと、綿密かつ芳醇な響きを聴かせてくれます。

ところで、これらの三曲は何れも1953年に東京交響楽団によって初演されたものですが、この三名は、当時20代から30代の若者であり、恐らく職業的な音楽家として生活していくためには(金銭的な意味でも)相当の苦労があったものと思われます。
そう考えると、当時の東京交響楽団と指揮者の上田仁の、若い邦人作曲家に対する積極的なサポートには、心底から感嘆させられますね。
それゆえにこそ、このEXTONによる記念すべき第一弾の組み合わせがこのような形になったのでしょうか。

さて、林光の「交響曲ト調」は、初期の代表作であり、恐らく彼の名を一躍世間に知らしめた記念碑的な曲でもあろうかと思われます。
実に流麗かつ抒情的で、聴く者の心をとらえて離しません。
第二楽章のスケルツォを聴いた外山雄三は「ブルックナー式だ」と評したそうですが、聴いてみると思わず頬がほころぶような愛らしい「ブルックナーのスケルツォ」でした(*^_^*)
第三楽章のインテルメッツォも、しみじみとした美しい旋律が展開され、しばしば映画音楽などの劇伴で用いられた数々の名旋律(「秋津温泉」「名もなく貧しく美しく」「裸の島」など枚挙のいとまもありません)を彷彿とさせます。
しかしなんといっても、5声によるフーガが展開する第一楽章は最高です。
ヴァイオリンから静かに紡ぎだされる主題が次々に弦に引き渡されていくポリフォニックな美しさと厳格な対位法的展開。
複音楽は日本人の苦手とするところ、などという自虐的なセリフがまことしやかに言われたりしますが、全く根も葉もない妄言ではないかと感じさせられました。

入野義朗は、日本に十二音技法を持ち込んだ先駆者として知られ、作曲のみならず、シェーンベルクを引き合いに十二音技法による作曲法などに関する著書も多く残しております。
入野氏は、「現代の作曲家が必ず問題にしなければならないことの一つは、調性によらないで、どうやって比較的大規模な作品を構成するかということ」と述べていますが、この「小管弦楽のためのシンフォニエッタ」は、その前に作られた「七つの楽器の為の室内協奏曲」とともに、そのひとつの回答、ということができましょう。
第一楽章の、序奏に続いて展開されるフーガは無調性独特の不思議な世界を作り上げていきます。
ロマン的な旋律という罠に嵌らないために大変な苦労を重ねていたであろう、当時の先駆的前衛作家の悩みは相当に深いものがあったのではないかと思いますが、新たなる表現を無調に見出し、それに向けて邁進した入野氏の情熱がひしひしと伝わってきます。

そして、池野成の「ダンス・コンセルタンテ」。
これはまた何という強烈で荒々しい曲であることか。
第一楽章のAllegro Vivace、打楽器の連打の上に金管が咆哮し、全身が泡立つような興奮の波が押し寄せてきます。
若かりし頃の池野氏は、ラヴェルやストラヴィンスキーの影響を相当色濃く受けたとのことですが、その片鱗は随所にうかがえることでしょう。
しかし、私はむしろ、映画音楽などでも展開されてきた激しくも個性的なエネルギーの放出を感じました。
終楽章のAdagioの冒頭に至って、透明で静謐な世界を作り出しますが、分厚い印象的な和声が鳴り響くのを契機に、曲は当初の激しさを取り戻し、一気呵成にトゥッティでの大団円を迎えます。
この曲は、当初「作品7番」という題名で作られ、池野氏の師でもある伊福部昭の「プロメテウスの火」の再演とともに、1953年11月、日比谷公会堂において、上田仁指揮の東京交響楽団によって初演されましたが、この曲を委嘱した江口・宮舞踏団を始め、各界に多大なる衝撃を与えたそうです。
正に宜なるかな。
池野氏の盟友でもあった今井重行氏によれば、池野氏はこの曲の作曲に当たり全てを擲って命を削るように打ち込んだとのことで、その創作現場は文字通りの「修羅場」だったそうです。
初演時、観客を大興奮のるつぼに落とし込んだことで、その労苦は報われたものと思われますが、一つの曲にこれほどまで打ち込んでいては、結果として寡作となるのも無理のないことだろうなと感じました。
なお、この曲は「ダンス・コンセルタンテ」として改作され、改めて第58回東京交響楽団定期演奏会により初演されました。これは、「作品7番」を高く評価した指揮者上田仁の計らいによるものです。
それ以来全く演奏される機会を持たなかったのですが、今回、オーケストラ・ニッポニカによって55年ぶりに日の目を見た、ということになりましょう。
池野ファンの私としては、誠に以て感慨深いものであります。

オーケストラ・ニッポニカとEXTONは、これ以降も次々に邦人作曲家による演奏をCDの形で世に出しております。
それらについてはまた稿を改めてご紹介したいと思いますが、いずれにしても、こうした高い志に基づく良質な演奏を提供しようとする姿勢には頭が下がりますね。
誠にうれしい限りです(*^_^*)
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