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マーラー交響曲第4番(ワルター、ニューヨーク「1953ライブ」) [音楽]

昨日からやっと何となく春めいた季節となりました。
この時期につきものの花粉も飛び始め、季節は穏やかになりつつあるものの、しばらくは憂鬱なときをすごさなければなりません。

マーラーの交響曲のうち、私は2・5・6・9番と「大地の歌」を比較的良く聴いていて、頻度としては9番を聴くことが多く、従ってレコード(CD)の枚数もこれが最多となっています。
そのほかの交響曲を聴くことはかなり稀で、特に3番と7番は聴いている途中でしばしば迷路に迷い込んだような気分にさせられてしまったりして、決して嫌っているわけではありませんが、何となく敬遠気味というところが実情です(8番は非常に力の漲る曲ですので、気合いを入れて聴きますが)。

さて、では4番はどうかというと、規模といいまとまりといい旋律の美しさといい、また私の大好きな第5番に通ずる部分も数多くあって、好ましい曲であるという印象はずっと持っておりました。
ただ、残念なことに、マーラーの音楽にのめり込み始めた76~77年当時、余り気に入った演奏に出会うことがなく、初めて購入したメータ指揮イスラエル響のレコードもいまひとつ共感できなかったことで躓いてしまったのです。
他のレコードを探そうと考える前に、他の曲のレコードを買うことに血道を上げてしまい、何となくそのままで、「積極的に聴こう」という興味が薄れていった、というのが正直なところでありました。

マーラーの交響曲としては比較的小規模編成で演奏可能ということもあり、演奏会でも良く取り上げられる演目ではありますが、やはりどうも「是非聴きに行こう」というモチベーションにまでは至りませんでした。

そんな中でふと手にしたのが、ワルター指揮ニューヨーク・フィルによるモーツァルトの「ハフナー」とマーラーの交響曲第4番の1953年ライブ録音盤でした。
独唱ソプラノはゼーフリート。
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これはすばらしい演奏です!
目から鱗が落ちる、とはこのことでしょうか。

ワルター指揮のマラ4は、それまでにもウィーン・フィルとのライブ(1960年マーラー100年祭)や、同じくニューヨーク・フィルとの45年録音など数多く存在しますが、恐らく演奏と録音のレベルや完成度からいけば、この1953年ライブ録音の方がかなり秀でているといえるのではないでしょうか。

ニューヨーク・フィルはバーンスタインとの間でもすばらしいマーラーを聴かせてくれましたが、やはり親和性が高いのでしょうね、マーラーにラポールする指揮者が振ると、驚くべきほどの厚みを持つ情感あふれた演奏を展開してくれます。
ゼーフリートのソプラノも非常にすばらしく、艶のある声が胸にびんびん響いてきます。

また、ハフナーのものすごさも特筆ものです。
ワルターのモーツァルトは何れもすばらしい演奏揃いですが、例えばコロンビアとのステレオ録音は、悪くはないのですが、何となく物足りなさを感じさせます。
ウィーン・フィルを振ったときは別物のようでありましたから、同じ米国のオケであるNYPではその点あまり高望みも出来まい、なんて思い込んでいた足下を見事にすくわれてしまいました。
「モーツァルトは軽いから好き」とか「モーツァルトの音楽聴くと気分爽快になる」などと表面的な感想を述べている人は、是非ともこの演奏を聴いていただきたいものだと思います。
モーツァルトの中にすむデモーニッシュはものをこれほどの迫力で聴かせてくれる録音はちょっとないのではないでしょうか。
この迫力と自在なテンポ。モーツァルトを知り尽くしたワルターなればこその演奏、ということもまた、言えるのではないかと考えます。

いずれにしても、このCDのおかげで、マーラーの交響曲第4番の魅力を改めて認識した感があります。
その意味でも大感謝!というところですね。

ところで、ご存じの方も多いかとと思いますが、マーラーの交響曲第4番の世界初の全曲録音は、1930年5月、近衛秀麿指揮・新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)の演奏によって成し遂げられました。
これは、メンゲルベルクやワルターの指揮による録音盤が出るまで、世界では唯一のレコードでありましたから、欧米でも相当の希少価値があったものと思われます。
因みに、マーラーの弟子であるクラウス・プリングスハイムの指揮によって、ブルックナーの交響曲第9番が東京音楽学校で演奏されたのは1936年2月のことでした。

こうしてみると、ブルックナーもマーラーも戦前から日本には紹介されていたわけであり、巷間よく言われる「1970年以降、漸く日本でも演奏されるようになった」というような定説は、かなりの誤解を招くものだと考えます。
確かに、日本国内の演奏会でもぼつぼつ取り上げられるようになったのはその頃からではありましょうが。

それにしても、1930年には右翼による浜口雄幸首相狙撃事件が起こり、1931年には満州事変、1936年には2.26事件、1937年には蘆溝橋事件から日中戦争へと、泥沼のような戦時体制に日本が飲み込まれていったこの時期、我らブルックナー・マーラーファンにとって記念碑的な取り組みが日本の音楽界で成し遂げられていたことには、ある種の感慨を禁じ得ません。

2月26日追記
気になる人もいらっしゃると思われるので、やはり触れておきます。
この録音、執拗に繰り返される客席からの咳を全部拾っています。
第一楽章から最終楽章までほとんど途切れることなく繰り返されているので、そうした異音に我慢がならない方はきっと神経をいらだたせてしまうのではないでしょうか。
かくいう私も、最初は気になって気になってなかなか演奏に入り込むことができませんでした。わざとやっているんじゃないか!と
何度か聴くうちに慣れてきて、演奏そのものの素晴らしさに浸ることができるようになりましたが、この点については一応指摘しておきたいと思います。
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cfp

伊閣蝶さん、こんばんは。

マーラーの演奏は、私も、ワルター、テンシュテット、バーンスタイン、
ラトル盤をBOXで持っています。
やはりワルター、バーンスタインの指揮が最高だと思います。

昔は1番、2番、5番ばかり聴いていましたが、
今では8番、大地、9番の3曲が最も聴く回数の多い、
ベスト3となりました。

また4番がシンプルで最も明るい名曲だとも思います。
反対にあまり聴かないのは、同じで、
3番と7番でしょうか?

6番は傑作だと思いますが、
とても疲れる曲で3番、7番に次いで聴かないでしょうか?

最近はもっぱらブルックナーばかりですが…。
by cfp (2010-02-25 22:36) 

伊閣蝶

cfpさん、いつもコメントをありがとうございます。
私が、マーラーを意識して聴いた最初の曲は交響曲第6番でした。
1975年頃だったと思いますが、NHK-FMをエアチェックして録音したもので、ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮のストックホルム響による演奏です。
これに震えるほど感動し、それからのめり込んでいった、ということでありました。
そんなわけで、私は今でもやはり6番は大好きな曲になっています。
ただ、ちょっと内容的にあざとすぎる感じはしますね。その意味ではそうした前提からフリーになっている感の強い第三楽章のアンダンテ・モデラートは最高だと思いますが。
この6番をより純粋に磨き上げたのが9番なのではないか、と私は思っていて、9番を最も好む所以の一つでもあります。
by 伊閣蝶 (2010-02-25 23:57) 

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