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ロッシーニのスターバト・マーテル [音楽]

ジュリーニのベルリン・フィルライブのTESTAMENT復刻録音版が次々に発売され、この2月9日にも、「ジュリーニ&ベルリン・フィル/イタリアン・ミュージック・ライヴ1978」と称する、ロッシーニのスターバト・マーテルをメインに据えた演奏のCDが出たところです。
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早速購入し、今聴いているところですが、実に堂々とした力がみなぎる素晴らしく立派な演奏です。
実演に非常な重きを置いたジュリーニ渾身の表現というべきでしょう。
もちろん、ジュリーニはスタジオ録音でも素晴らしい演奏を残しています。
スタジオ録音において演奏表現の完璧性を目指すのも一つの重要な行き方だと思いますが、「完全性を目指せば、生きた演奏が失われるリスクを冒すことになります。演奏の自然な息づかいやコンサートホールの聴衆との密着性が失われるのです。聴衆の反応がない録音においては、生きた演奏と緊張感に特に注意を払う必要があることは言うまでもありません」というジュリーニの言葉には大いに共感するものです。

スターバト・マーテルは、いわゆる純粋な宗教音楽というカテゴリーからは少し外れていて、イタリア以外ではそれほど重きを置いて作曲されなかった嫌いがあります(ドボルザークの同曲ような例外ももちろんありますが)。
この三行詩形20節からなる瞑想的な聖母賛歌につけられた曲のうちで最も良く知られているものはペルゴレージのそれでありましょう。
この26歳で夭折した天才作曲家のスターバト・マーテルの美しさは格別で、ロッシーニ自身、このペルゴレージの曲がこの世に存在する以上、他の者がこの詩に曲をつけるのはこの美しい曲を冒涜するようなものだと語った話が残されているくらいです。

ロッシーニは、37歳でウィリアム・テルを発表した後、主力のオペラ創作から手を引き、腰痛という身体的疾患などから端を発した精神的な危機状態の中にありました。
そんな中にあったのですが、ロッシーニファンであったある高位聖職者が、是非ともロッシーニの自筆譜によるスターバト・マーテルの作曲をと強く依頼したことから、そんな不安定な精神状況の中をおして引き受けたのです。
20節を12章に再構築して書き進めたものの、結局、6章までしか書くことができず、依頼者の催促もあって、親友の作曲家タドリーニに残りの6章の作曲を依頼します。
こうして書き上げられた第一稿は、依頼者の教会での演奏に限定し門外不出としたのですが、依頼者の死去に伴い、遺産相続人の手でフランスの出版社に売り払われてしまいました。
困惑したロッシーニは、別の親しい楽譜出版社と契約を結び、タドリーニの筆による部分を全て書き直した第二稿を出版し、これが現在残されているものです。

実は、私は4年ほど前にこの曲を歌った経験があります。
合唱や声楽にとって、この曲の和声や対位法的な美しさは格別で、私はすっかりこの曲の虜になったものですが、オーケストラにとっては、「単なる伴奏」といった意識が強かったようで、その演奏会では、第1・8・9・10曲のダイジェスト版に短縮された上、ベートーヴェンの第九とのカップリングになってしまったのでした。
何とも無念極まりないことでありましたが、それでもこの曲を舞台で歌えたことは嬉しく思っています。
この時にご一緒した藪山澤好さんが、ご自身のサイトの身辺雑記にこの演奏のことを紹介されていますので、よろしければご参考になさって下さい。

よけいなことを書いてしまいましたが、そのときに勉強のためにと購入したのは、フリッチャイ指揮RIAS交響楽団による演奏(1954年)です。
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モノラル録音でしたが、音質は素晴らしく、当時これを超える演奏はなかったのではないかと思います。

今回、ジュリーニの録音を聴いたあと、改めて聴き直してみたのですが、うーん、何とも判断に迷いますね。
しかし、私の感覚からすれば、やはりフリッチャイの方をとりたくなってしまいます。

ロッシーニのスターバト・マーテルはなかなか演奏される機会に恵まれず、1950年代などはほとんど見向きもされなかった中で、フリッチャイはこの曲を頻繁に取り上げてきました。
やはりこの曲の美しさに魅せられた故のことなのでしょうか。
それから3年後、フリッチャイに白血病の兆候が現れ、苦しい闘病と手術の結果、奇跡的に復活し、まるでフルトヴェングラーの再来かとも思われる感動的な演奏を残したのですが、1963年、49歳という若さで残念なことにこの世を去ってしまいます。
そんな背景もあって、こちらを選んでしまう気持ちも多少はあるのかもしれませんが、緩急自在でダイナミックな演奏は類い稀なるフリッチャイの才能を感じさせてくれます。

それにしても、こうしてスターバト・マーテルを聴いていると、ロッシーニという人がどれほど優れた作曲家であったかということをしみじみ感じます。
日本ですと、ロッシーニといえばセビリアの理髪師とかウィリアム・テルくらいしか思い浮かばないという不当に低い評価を受けがちですが、この曲や荘厳小ミサ曲などの秀曲にも是非とも触れていただきたいものと願って止みません。
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